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バスで出会ったアコーディオンのおじいさんと、私の2ユーロ。

【photo】仏ブルターニュ地方の山道に捨てられていた古いピアノ

私には、音楽の才能が一切ない。

こんな風に言うと、批判されるかもしれないけど、小学生のときから音符を読むことが苦手で、1年に1回の発表会は苦痛でしかなかった。

そういえばの思いで話。4年の時にシンセサイザー担当になってしまったのに、リズム感がなくて難しいパートが弾けなかった。独りだと大丈夫、でも全体で合わせると慌ててしまう。そしたら発表会までの時間がないのを加味した先生に「楽譜のここは弾いてるフリをしなさい」と言われてしまった!

頑張っても弾けないし、先生も許してくれたからと楽観的に捉えていた当時の自分に言いたい。「いや、頑張れよ」って。

1年間ピアノを習ったけど、中学高校でもなるべく音符を避けていたな。
合唱に力を入れていた学校だったので、歌は毎日のように歌っていた。音痴だけど、賛美歌は伸びがあるのでそれほど苦ではなかったし、メゾのポジションは好きだったよ。

音楽は聴くけど、自分では出来ない。これが私だった。

そんな風に過ごして、21歳のときフランスに1年住む機会が巡ってきた。
そこは、音楽の宝箱だった。いつでも道には演奏している人がいる。なぜかフランス人の友達はみんなギターとか、ピアノとかサラッと弾いてしまう。

やっぱヨーロッパは違うわ〜なんて自分を棚にあげる。

✳︎

ある日、バスの中に入ってきたおじいさんはアコーディオンを取り出した。

「あぁ、またか。」

と言わんばかりに、周りの人はおもむろにおじいさんから10センチ程のわずかな距離を置く様に動く。(本当にわからないくらいの僅かさ。心の距離がそのように見えるだけなのかもしれない。)

海外ではよく見る光景だと思いますが、楽器が出来る人がバスや電車で突然演奏会を始めて、そして、もし良かったら〜と言いながらお金を回収して回る、それです。

その日、なんとなく疲れていた私は携帯ではなく窓の外のローヌ川に目をやりながら耳を傾けた。(リヨンに住んでいました)

次の瞬間、キャスター付きのお買い物バッグみたいのに入ってた、古びたアコーディオンからは想像も付かない程の美しい音色が出てきたので、私は驚いたのを覚えている。

ビビっと鳥肌が立っていたかもしれない。

CDをかけて、いかにも上手く弾いているかのような演出をする人もいるけど、おじいさんは違った。CDがあるんじゃないかって勘ぐるくらい、上手かった。もっと聞きたい。次も〜って思ってしまうほど。
なんでアコーディオン弾けるんだろう。その昔はミュージシャンだったのかな…。バスでお金を集めるほど、ひっ迫した生活?
それとも人を楽しませるためだけ?と、いろんなことが頭をぐるぐる。

3曲を笑顔で演奏し終わった彼は、小さな箱を持ってバス車内を回った。
私はドキドキしながら、財布を確認した。コインがなかったらどうしよう。

2ユーロコインが私に笑いかけた。握りしめる。

私の前にお金を入れた人はいなかった。
機会を逃さない様、目の前にきた小さな箱にすかさずコインを入れた私は、おじいさんにMerciと言われ、笑いかえした。
本当は、「とても良かったです!」って伝えたかったけど、バスはほぼ満員。加えて、おじいさんを避ける様にして携帯に目をやる人々の間に微妙な静寂が広がっていた。私の口からフランス語はフガフガと抜けていった。

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実は最近、家にある電子ピアノで練習をしている。

お供は、youtube様。
押すべきピアノのキーがメロディーと共に現れるようになっているのだ。
A,B,C...コードは覚えないといけないけど、楽譜よりはるかに分かりやすい。

自分にも出来るかもしれないと、半信半疑で始めてから数週間、洋楽が好きな私は、ビートルズや、エド・シーラン、ビリー・アイリッシュのbad guyにまで手を出し始めた。

まだまだだけど、出来ないと思っていたことが、出来ている。

それに練習を重ねて少しずつ左手も動かせる様になってきた。

BSの番組、「空港ピアノ」「駅ピアノ」が大好き。私がいつも目をキラキラさせながら見ていた「ピアノが弾ける人たち」に今は10センチ近いた気がしている。

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でも1つ言えるのは、私が将来ものすごいピアニストになったとしても、
おじさんの温かいアコーディオンの音色には叶わないってこと!

今日もどっかでアコーディオンを弾くおじさんを思いながら、東京でそろそろとキーを押します。