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人間が海を見たくなる理由

海に限ったことではないけれども、川とか池とか、なぜ人は大きな水たまりを眺めるのか。

水に限ったことではなくて、春は桜の木に集い、秋は紅葉に群がる。疲労や危険を冒してまで高い山に登ったりもする。

「自然」はどんなアイドルやインフルエンサーよりも世界共通で人を集めるのだ。それは、改めて考えてみればすごいことなんじゃないか。

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先日、とある方とお話していて「人と自然は人間のエネルギーの素で、Kahoさんの場合は特にそうだから、自然にたくさん触れた方が良いね、そして色んな人に会って」という言葉をいただいた。

なんだか妙に納得してしまった。

先月は忙しくって、休日も家にこもりがちだった。元気がなかった原因は、多忙よりも、自然の欠乏にあり、か。

人が散歩をしたり外に出たくなるのには、きちんと訳があるような気がした。

私がヨーロッパ-、とりわけフランスを愛する理由もここにある。

一歩外へ出ると、人間のエネルギーの素となる「人と自然」を感じられるのだ。公園や広場を筆頭に、街中が生活の第三の場として機能している。もちろん、ぼけっと歩いていたら日本と違ってスリにあってしまうけれども。でも不思議なことに、日本にいるとできないことが、フランスの街中ではできてしまう。

たとえば、歩きながらバゲットをかじるとか、公園で勉強するとか。自然を近くに感じながら何気ない行動がとれるのだ。

多くの人が自然からエネルギーをもらえるように、自然は美しくできているのかもしれない。美しいものは、人を集めるから。

そして、美しいものを見た人の心もまた、美しくなるのだと思う。プレゼントの花束も、失恋のあと眺める海辺の夕日も、きっとただ花や夕日の見た目がきれいなだけではない。見る人の心を美しくするエネルギーも持っているのだろう。

と、

「いてっ」と小言を呟きながら書き始めたこの文章。久しぶりに都心から小一時間離れた海岸でサイクリングをしたら、とたんに筋肉痛。

「筋肉痛」は、自分の生活の中に自然が不足している証拠だと思う。

1ヶ月に一度は思いっきり自然と触れ合う日を作りたいなぁなんて思いながら、ああ私は1ヶ月に一度「意図的寝坊」(前記事参照)もしたいんだった。人生いそがしいなぁ。

読んでいただきありがとうございました😊 素敵な一日になりますように!