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芸術とは必ず美しいもの?

年に2回くらいは異文化に触れないと色々自分の中のバランスが崩壊する(知的好奇心の満たされ度合いとか、リフレッシュ度合いとか、)人間なのですが、昨年は6年ぶりに日本から出ない一年でした。

やっぱり多少自分の中でしんどい時期はあったけれども、旅する代わりに、ただひたすらに読書や芸術鑑賞で自分のバランスを保っていたように思います。本や絵画は、家にいながら世界旅行に連れていってくれる、と思って。

芸術は、そんな私にとっては生活の中でなくてはならないもの、なのですが、生活必需品ではないので未だその価値が問われる場面があったり。「そんなものに税金をかけるくらいなら」の「そんなもの」になることもありますよね。

そこで、芸術を愛する一人として、フランス高校卒業試験バカロレアの哲学小論文の問題になっていた「芸術とは必ず美しいものだろうか?」について、自分なりの思ったことをまとめておこうと思います。(厳密には「芸術作品とは・・・」なのですが、問いをシンプルにしたいのでここでは「芸術が必ず美しいのか?」を書きます。)

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私は、芸術とは必ず美しいものではない、と思う。

美が主観的な感覚である以上、必ずすべての人に美しく見えるとは限らない。かのエッフェル塔だって、今でこそ美観都市パリのシンボルだけれども、建設当初は「美しい」なんて言う人はごく少数だったとか。

それに、芸術にとって「美しい」はオプションであると思うのだ。

そもそも芸術とは、ふんわりと宙に浮いたような、パラパラと断片的なような感情や感覚を表現したもの、だと私は考えている。

世の中には理屈で説明のつかないことや、どうしようもないことが、たくさんある。そして人間はなんだか得体のしれないような感情や感覚をたくさん持っている。その「何か」を表したものが芸術、である。そこに美が備わっているかどうか、メッセージがあるかどうか、というのは本来関係ないと思うのだ。

正直なところ、私も「?」となる芸術もたくさんある。ただの塊にしか見えないけれども、これはどういうことなんだろうか?、と。「現代アートは難しくて意味がわからない」と言う人が多いのは、そういう部分なのかもしれない。

多分、そういうときこそ「美」や「何かしらのメッセージ」を求めて観てしまっているから「?」という反応になるのだろう。芸術には、美もメッセージも必要要素でないのだ。

それでも、多くの人が共通して「美しい」と感じる芸術があるのはどういうことなのだろうか?

そういう作品は、「美というオプション」を巧みに用いて、かつ、「いろんな見方ができる」作品であるのだと思う。美は主観であると書いたけれども、どんな見方をしても「美しい」と感じるものを作れば、多くの人が「美しい」と感じる。

色々書いたけれども、人間は機械でもなければ、本能のみで動く動物でもないので、日常の中にささやかな歓びみたいなものがどうしても必要だ。

クスっと笑ってしまう街角の落書きとか。

そういう部分でフランスの街は、芸術の使い方が本当に上手だと思う。そこに美やメッセージがなかったとしても、人の心を豊かにしている。間違いなく。



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