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ファッションについて考察するとは、何を考察することなのか。考察対象の諸問題の整理。

最近は、ファッションに関して考察することが多い。

ところが、ファッションについて考察するとは、一体どういうことなのか。これを整理しておかねばならない気がしてきた。

なぜなら「ファッションについて考察する」、という文が非常に多義的であるからだ。そしてこれは、自分が意図するものとは正反対の文脈で理解される可能性を、大いに秘めている。

というか、日常でこの文を口にすると、おそらく違った文脈に誤解されるはずだ。

服を紹介すること≠ファッションを語ること

ファッションについて語る、というとき一般的には、新しくて、おしゃれで、流行している衣服を紹介することに終始している気がする。

つまり、おしゃれな服や着こなしを知っていて、トレンドの移り変わりを把握し、これから流行るものが何かを予測できる力を持った人が、ファッションについて語る、と呼ぶ場合が多いのだろう。

だが、自分がファッションについて考察するとき、決して「服好きの人」「おしゃれな人」「トレンドに敏感な人」などといった評判を手に入れたいわけではない。(いや、少しはそうかもしれない。)

それよりもファッションを通して、自分についてより理解し、さらには人間というものの特性、そしてこの世界を捉える切り口にしたいのだ。

構造を明らかにすること

そこで、具体的にどのような議題について考察を進めているかというと、以下のキーワードが挙げられるだろう。

これらのテーマについて、およそ「認識論」的な見方で構造を明らかにしていきたいと思っている。

1、アイデンティティ
2、流行
3、コミュニケーション
4、身体性

さっとだけ(自分のために)、整理しておきたいと思う。

1、アイデンティティ

まずは、ファッションが人間の姿に関するものである以上、誰にとってもアイデンティティに直結する問題なのだ。

つまり、ファッションに興味を示さないということさえも、一つの自分らしさを示している。それと同時に、もちろん衣服で自分を語りきることも不可能だ。

現代では、ほとんどのモノがファッションアイテムと化している。この状況で、改めて「自分とは誰なのか」という問いに、個人として向き合いたいと思う。

2、流行

次に、ファッションという言葉は、上記のように個人単位の行為として捉えることもできるが、それに対して、流行という社会的な現象として捉えることもできる言葉である。

この現象を認識論としてみると、自然科学のような一貫性や厳格なロジックを構造として捉えたいところだが、ファッションはそうはいかない。

正解が日々変化していき、ときには正義さえも移ろいゆくこの現象について、多面的に理解を深めたいと思う。

3、コミュニケーション

次に、コミュニケーションについて。自分は今までの人生でそのほとんどを「言語的な」コミュニケーションに依存してきた人間だ。

しかし、実際には言語だけで他者を理解などできるはずがなく、多くの非言語的なコミュニケーションが存在している。そして、ファッションは非言語コミュニケーションに大きな影響を与えているはずだ。

そこでファッションが、他者との関わり合いの中でどのような影響を及ぼすのかに注目して考察したい。

具体的には、衣服のメディアとしての役割、あるいはファッションにおいて記号的なコミュニケーションは可能なのか、など。

4、身体性

最後に、衣服の考察を通して、自分の身体について理解を深めたいと思う。

以下の記事でも書いたように、われわれは衣服を身につけてはじめて人間になれるのである。

ある意味で、衣服は自分の体の一部としても考えることができるのだ。衣服が担うことができる身体的な機能や、社会的な役割について考えていきたいと思う。

そして最後に、ファッションという多義的な抽象概念を理解するためにも、できるだけ「おしゃれ」であろうとする努力も怠らないようにしたい。

なるべく複合的に、俯瞰的に積極的にファッションに関わることによって、よりその構造が明らかになることが多いかもしれないからだ(そしてなにより楽しい)。

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