読書記録。~アイデアの宝庫と社会~
『仕事、人間関係の悩みがスーッと軽くなる!「繊細さん」の知恵袋』
武田 友紀・著
マガジンハウス
私自身も繊細さについて学び、どういう生き方をすれば幸せに生きられるのか、繊細さを思う存分全面に出せるのか、といったことはなんとなく掴めてきました。
けれども、日常生活の困った瞬間にどうしたらいいのか、そういった小さなストレスへの対処法が知りたくなることも多くあります。
そういったプチストレスの積み重なりが、いつか溢れて精神的な崩壊を引き起こしてしまう。
あるいは、同じストレスの繰り返しで気がめいってしまう。
そうなる前に、日々の暮らしを工夫するだけで、繊細ゆえのちょっとした生きづらさを解消する。
そんなアイデアを集めたのがこの本でした。
「なるほど、そういう考え方のあるのか!」と新たな発見の連続で、読んでいて実践してみたいものばかりです。
ワンクッション置いて
なんで私ばっかり…と思うことが、私も多くあります。
実家に帰省した時に、全然できていない家事に呆れて「あぁ私がやるしかないのか…」と思うこともあれば、
授業中のグループワークで話がまとまらず、結局焦って私が全部終わらせることもありました。
そうしたストレスが、後になって突然親に「なんでやってくれないかなぁ」と愚痴をこぼしたり、勉強が嫌になってしまったり…という状態になったとして、周囲の人からしたら理解できないわけです。
この人は勝手に色々やってくれているけれども、ものすごく嫌な顔をしながらやっている。
それなら、やらなくても誰も困らないから初めからやらなきゃいいのに… といった感じで。
そうはいっても私はやらないと気が済まない。ちょっとした異変や変化に気がつけば気になって、何とかしたくなる。
でも、いつも私ばかりがやるのは骨が折れるし…
そういう時に、爆発する前の「ワンクッション」が必要なのだと気がつきました。
無理な家事もグループのリードもお休み。
そうして心を落ち着けた時に、「私以外に誰かやってくれないかな?」という提案ができるのだと思います。
そうした心の余裕が欲しい、とも同時に思うのです。
心の余裕
こんな繊細さんのアイデアがありました。
えぇ、自分を休ませるためだけに断るのは…と驚きつつも、そんな余裕のある生き方ができたらいいなぁ…とも思います。
夏休みも終盤に差し掛かりスケジュールが徐々に埋まっていくにつれて、焦りと不安でいっぱいになります。
グループLINEでは、日程調整の投票やURLが絶えず流れてくるようになり、
ちょっと待って休ませて…という余裕も今は無い状態。
そんな時に「自分を休ませる」という用事を入れて、一旦心の重荷をリセットして、そうして次の予定に臨むということができたら、そっちの方が断然効率もパフォーマンスも良いはずなのです。
私は休むのが苦手でつい休みの日も勉強にふけってしまいがちなのですが、
心を落ち着けて、ゆっくり休む時間を作りたい。そう思います。
(次はいつ休めるかな…)
私だけの問題じゃない
幼い頃から周囲の雰囲気に敏感で、感受性が豊かではあるけれどすぐに泣くからいつも皆を困らせていた。
こんな自分はダメな問題児だというのに、どうしてしかるべき支援を受けられないのだろう?
そんなことを私は考えながら育ってきました。
ところがHSPを知り、私が生きづらい理由は単に心の問題があるからとも言い切れないということに気がついたのです。
HSPは生まれつきの気質。
刺激に敏感だけど、深く考えて、豊かな感性で物事を捉えることができる、素敵な気質なんだと自覚しました。
それでもやはり生きづらいものは生きづらい。
その原因は私に心の問題があるから、敏感さが悪い方向に行っているのだろうか?とも思いました。
この本では、決して自分の内的なものが原因とは限らないと教えてくれました。
著者の武田さんは繊細さんが生きづらい原因に、「繊細さんが少数派であること」「育った環境の影響」そして、「社会の状況」を挙げています。
最初の2つはなんとなく、以前の著書でも触れられていたのですぐに理解できましたが、3つ目の「社会の状況」については初めての視点でした。
社会が余裕をなくす。
それに従うようにして、私の心も余裕をなくしていく。
それを止めるには、私はどうしたらいいのだろうと考えます。
勉強に追われ、心の余裕を自分から勉強で埋め尽くさなければ気が済まなかった。
そのせいで自分自身をこれでもかと追い込み、心身共に疲弊しきって受診したころには危険水準。
生きづらさを放っておいて、社会に無理やり適応しようと足掻いていたら、
自分を傷つけるようなことにばかり、走ってしまった。
・
地元で母親と共に受診して、思うことがあります。
「それは一人暮らしとして自然に感じること」
「発達の上で必要な経験」
そのように、親も先生も言うのです。
確かにその通り。
一人暮らしをして、自炊や家計管理に悪戦苦闘しながらの勉強というのは、
将来自立するために、いや今すぐ自立するため必要な経験だと思います。
でも私が持つ繊細な気質は、そのような価値観にうまく合っていないようにも思います。
だから、誰もが経験するであろう試練につまずいて拒食症になったわけで。
私の大学では自由を特徴としていて、その校風ゆえに責任感がいつも重くのしかかっています。
追試が少ない、救済措置がない、等の話を聞くたびに、怖くて仕方がない。
先生方も、学生を脅すつもりはないにせよ、
「大学は授業に出るも出ないも自分で決めるところ」「出席するかどうか、単位を取るかどうかは自由」
「大学とは、そういうところ」
そのように言うのです。
それも確かにその通り。
自分に合った科目を自由に選択して、自由に勉強する。
ギリギリ単位取得してとりあえず卒業するも、好成績をたたき出して奨学金を得るも、
さらに進学するために勉強に励むも、希望する就職先のためになる勉強をするのも、全部自由。
その自由な選択を、責任もって行うスキルは将来必要。
でもその責任感に押しつぶされて、強迫的に勉強する必要はあるのだろうか。
それゆえに精神的に追い込まれて、大学を続けるか休むかまで視野に入った私は、それでもその社会の在り方に今まで通り適応しなければならないのか。
・
そんなの嫌だと泣きたくなる「繊細さん」は私だけではないと信じます。
自由を重視していても、その裏側にある責任に気がつき、
責任を果たせるかどうか深く考える。色々な可能性とその対処法を想定する。
その対処法を片っ端から行う。
そうして心身ともに消耗する。
だから繊細な気質は生きづらい。
少なくとも私のこれまでの歩みは、そんな感じだったと思います。
だからといって、今すぐこんな社会から抜け出そうと思えば、そんなことをする勇気もない。
新しく入った社会に適応できなければ、それは全くの意味がない。
私が今一番必要としているのは、今の過酷な社会で繊細な気質を大事にしながら、自分自身をこれ以上傷つけようと思わなくていいような、そんな生き方を実行するための方法。
責任感を大事にしながら、でもそれが自分を必要以上に追い込む必要のない生き方。
自由であることをもっと楽しめる生き方。
そうしたことができるようになればきっと、他者の自由も自分の自由も、尊重できるのではないかと思います。
・
自分に自信がないために、自分を傷つけ追い込むことで注意を引こうとしていました。
どんなに努力しても、どんなに勉強しても、「私はもう大丈夫!」とは思えません。
それがたとえ、直近の成績がMAXだったとしても、BMIが順調すぎるくらいに回復していたとしても、
自分の力で立てる自身があるかと聞かれれば、答えられないような気がします。
その理由もこの本は、教えてくれました。
また今度、その話もしようと思います。
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