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読書記録。~思いの強さ~

「普通のおいしいを作る人——料理がくれた奇跡、そして夢の先へ」
Mizuki(2021)
主婦の友社

今日は主治医の先生を訪れ、お話をしてきました。
私のBMIは「怖いくらい順調」なほどに回復しているそうですが…
私の生きづらさは、体重の回復には追いついていないのが現状です。

とはいえ、発達段階的に致し方ない部分もありそうです。
それに社会性の発達が遅れている自分にはこれから学ぶことも多いだろうとも思います。
そんな感じで半ば諦めながら、体重の回復を受け入れています。

先日妹たちと一緒に奈良県のスタバに行き、そこでコーヒーを飲みながら読んだ一冊。
同じ境遇にある方のお話は、共感ばかりです。

スターバックス奈良公園バスターミナル店で、
コーヒープレスと共に。

幼い頃の「極端な部分」、私にもありました。
小学校の頃、忘れ物をするたびにいじけて、一人泣いていました。
先生に叱られたり少し注意されたりするだけでも拗ねて、周囲を困らせてい
たものです。

母親の支えには、私も頭が上がりません。
高校生の時は言い争ってばかりでしたが、今や受診にも同伴してくれて、下宿に戻れば週末は迎えに来てくれて、日曜日の朝にはまた下宿に送ってくれて…
ただでさえ妹たちや父親の相談に乗ることも多いのに、私が病気になったことでさらにストレスが強まったのではないかと自分を責めずにはいられません。

実家では、食器も洗濯物も片付いていないことが多々あります。
昔の私は怒りながらやっていました。
今も、私が大学生活と両立しながら最低限の家事はできていたのに、どうして私の親はできていないのだろう…とショックを受けることがあります。
でも私が病気になったせいでメンタル限界の母親に「ちゃんと家のことやってよ」と文句を言うこともできなくなりました。

…ということを主治医の先生に伝えたら、母は「私がずぼらなだけです…笑」と受け流されました。
涙こらえながら話した時間返して。笑

どうやら私は一人暮らしをしたことで、家事というものがどのように行われているのか把握できたからこそ、それができているか否かに気がつけたそうです。一種の社会勉強。
今は無理のない範囲で、「少しでも親を手伝おう」程度の気持ちで家のことをしています。




読書ノート。
とりあえず思ったことを書いています。

この本はとりわけ、勉強も日々のルーティンも、何でも「のめり込む」私の性格が悪いものではないということ、
使い方を誤りさえしなければ良い方向に用いていけるという確信を与えてくれました。

続けることって簡単ではありません。間違った方向かもしれないけれど私たちには走り続ける強さがあります。ただ、その強い気持ちゆえに、やめられなくなっているのかもしれません。
だとしたら、その「思いの強さ」を別の方向へ向けたら、きっとすごい力を発揮すると思うのです。
「普通のおいしいを作る人——料理がくれた奇跡、そして夢の先へ」p.138-139

決まったルーティンが崩れるとストレスになる。
一度決めたことはやり通さないと気が済まない。
主治医の先生からの指導は守らないといけないから、「食べない」なんて選択肢はない。 …

今思えば、私の「思いの強さ」は「怖いくらい順調」な回復に必要なことなのかもしれません。
先生曰く、この病気の患者さんに食べるよう指導してもすぐに言うことを聞くことは多くないとのこと。
食べるのが恐怖なのだから、結局食べずに次の受診日が来て、体重が増えていなくて、そこで入院が決定。

でも、私はそうではありませんでした。
食べる力…というよりはむしろ、
「先生や親の言うことを聞かなければ…‼」
という一種の執着心があったのです。

こだわりが強い性格は、柔軟性がなくイレギュラーな出来事に対応できないため、好きではありませんでした。
予定が狂えば必要以上に焦ったり、余裕がなくてイライラしたりしてしまう。そんな自分とは対照的に他の人は、「人生なかなか思い通りにはいかないものだねぇ」と余裕そう。
それを見て余裕をなくす自分がまた嫌いになる。

そのような私の執着心を全否定しなくてもいいんだよ、とこの本は教えてくれました。
私が患った拒食症の経験と共に。

こだわりが強くて柔軟性がない、頑固極まりない性格でも、
自分や他者を傷つけることにのめり込みさえしなければ、そんな私でも構わないのかな…と。

自分のことを「ひどい性格だ」と思っても、自分を好きとは言えなくても、
無理に好きになる必要はなくて、ただ自分を傷めつけることで安心するようなやり方さえしなければそれでいいのかな…と。

今更ながらそんなことに気がついて、自分と向き合う今日この頃です。

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