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読書記録。

「私は私のままで生きることにした」

キム・スヒョン 著
吉川 南 訳
ワニブックス

韓国エッセイに興味を持ってからずっと読みたかった本です。

最近妹と一緒に関西旅行に行き、嵐山に行く道中の電車で読んでいました。

社会の過酷さを当たり前のように受け取り、それに耐えることを当然としてきたことに気づかされました。
今の社会が過酷なのを認め、それでも自分らしく生きるにはどうしたらいいのだろう、と考えさせてくれる一冊でした。

特に、学歴や仕事などの肩書を重視し、それによって人を判断してしまう周囲の人たちに嫌気がさしていながらも、私自身もそれに従順になっていたことに気がついた話を共有しようと思います。

肩書きを大事にする社会

私の周囲は、肩書を大事にしている。
名前の知られた学校を勧められ、お金を稼ぐために資格を取って、良い仕事に就くことを求められている。

それは家庭でも、学校でも同じ。

家庭では「一流」「三流」と近所の高校をランク付け。親は私や妹たちに「○○高校行ったらおばあちゃんがたくさんお小遣いくれるよ!」という励まし方をする。
私の祖母は、私が大学に行っていることを周囲の人と分かち合うことに喜びがあると聞く。
「うちの孫はね、○○大学行ってるの!」といった感じ。

大好きな先生でさえ、「あなたの行く進路は、文系の最高峰なのよ」という慰め方をする。

慰めてくれる先生の優しい眼差しは大好きだし、先生があの時支えてくれなかったら私の心はあの時点で破綻していた。

けれども「文系の最高峰」という文字列を心から信じたことは、申し訳ないけど一度もない。
その先生が大好きだからこそ、先生の言葉を信じることができない自分を見つめると悲しくなる。

周囲の、いわゆる”大人”たちが私の進路に喜んでくれるのは私も嬉しい。
私が頑張ることによって周囲に幸せが広がっていくなら、私が頑張るに越したことはない。
ただ、そうした”大人”たちに私は伝えたい。

あなたたちの応援によって頑張り続けた結果、心身共に破綻して帰ってきました。
いま、どんな気持ちですか?
と。

そして、自分自身に問いたい。

どうして周囲からのプレッシャーを鵜呑みにすることしかできなかったのか。

期待に応えるのはいいけれど、それで自分をないがしろにして、そんな自分を格好いいと思うことがどうしてできたのか。
なぜ、そんなことをして誰かが助けてくれると信じていたのか。

それよりも、もっとアイデンティティを確かにするために、できることはなかったのか。

私にできることは

「私たちはただ、一人の個人として自分の人生に責任をもって生きていくだけ。
 その人生が両親の期待に応えられる場合もあれば、そうではない場合もある。」
「私たちが期待に応えるために力を尽くすべき唯一の存在は、自分自身だけ。」
「私は私のままで生きることにした」p.91

心理学を学び始め、心のケアに携わりたい、生きづらさについて知ってほしいという、入学前に抱いていた思いはより一層強くなった。

でも今は高校までの自分とは違い、自分自身の生きづらさを改善しようとは思っていない。
少なくとも、それを目的に心理学を学ぼうとは思わない。

現在私は精神科に通い、専門家の指導を受けて自分の心の問題と向き合うことができているのだから。

ただ少しでも多くの人が、少しでも社会の制約の中からアイデンティティを見出して、自分らしく生きることができるようになるために、心を支えるという方法で貢献できればそれでいい。
どんな形でもいい。カウンセリングでも、啓発活動でも、研究活動でもいい。
全然違う職種についたなら、それでもいいかもしれない。

周囲の人々や社会に押しつぶされそうな人を少し支えることができるようになるためには、まず自分が自分自身を支える方法を知らなければならない。
そのことを私に知らせてくれる、そして励ましてくれる一冊でした。

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