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読書記録。~不安の根底にあるもの~

『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
かほり・著
武田 友紀・監修
ソシム

「暗黒期」というひきこもり時代を乗り越えて自分の生きる道を見つけた体験を、
かわいいうさぎのイラストと、武田さんのアドバイスと共に描くコミックエッセイ。
高校生の時、武田さんの本を探していて見つけた本です。

大学生になり読み返すと、繊細な気質だからこそ共感できるエピソードのみならず、
「暗黒期」から回復していく過程で感じる悩みやありがたみにも、何度も頷かずにはいられなくなりました。

コミック部分の具体的なエピソードと武田さんのアドバイスが1つ1つセットになっているので、
アドバイス部分も「私の場合はどうすればいいかな?」と考えながら読むことができます。

些細な事でも心配でならない


以前Zoomを使って学部内での説明会が行われたのですが、開始時刻になっても始まらないため学部の事務室に電話を入れたことがあります。
そして「○○説明会のZoomがつながらないのですが…」と言った瞬間にZoomミーティングが開き、説明会が始まりました。

あるいは妹の帰りが遅い日、表面上は「まぁ私も高校時代はよく帰りが遅かったからね~」と言いつつ、
内面では、「何か良からぬことをしているのでは…!?」と焦ったことも。
ちなみに妹は、単に塾の都合で遅くなっていただけでした。

本の中で描かれていたお母さまとの待ち合わせで不安になるエピソードも、
まさに私のことを紹介しているみたいだと思うと、共感が止まりませんでした。

不安の木


「日頃から不安になりやすい人は、根っこに「大きな不安」があるのかもしれません。「大きな不安」があると、そこから枝葉としてさまざまなことが不安に感じられてしまうのです。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.59

小さなことで破滅的思考とも呼べてしまうほど非現実的なことを色々想定してしまうのですが、
それは妹がなかなか食卓に来ないこととか、時間になっても先生がZoomを開かないとか、そういうことそのものが原因ではないのです。
(なので私は、自分が不安になるのを妹たちや先生のせいにはできません…そんなの申し訳なさ過ぎて。)

では私にとって、根底にある大きな不安とは何なのか。
様々な面で責任を果たせるか、他人を嫌な思いにさせていないか、迷惑をかけていないか…
色々思い浮かびますが、究極的にはアドバイスにある通り、「存在の不安」なのかもしれません。

そして武田さんいわく、気づきやすいのはHSPの気質だけれども、それによって不安になるかどうかは過去の経験が影響しているとのこと。

幼い頃からの私の悪い癖は、自分にとって少しでも都合が悪いことになればすぐ、極端な行動に出てしまうことです。
小さなことでも簡単に感情的になってしまうのです。

だからきっと、他者にも同じように当てはめて考えてしまうのだと思います。
私みたいに極端な行動に走りたくなってしまっていたら…とか、
私が至らない人間だから、故意に私を外しているんだ…とか、
そういう風に思ってしまうのです。

でも実際はそうじゃない。
妹は塾に行っていただけ。先生は時間ちょうどにZoomを開けただけ。

不安になったら、まずは「私、今、不安になってるな」と自分の気持ちを眺めてみてください。可能であれば、現実を確認しましょう。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.63

おかしなくらい不安になったら、「ちょっと待って、それは私の思い込みかも」「昔こんなことがあったから、こういう思考になっているのかな」と冷静になって、
思い切って「まさか○○じゃないよね…?」と自分の思考を打ち明けてみるのも、一つの方法なのかなと思います。
あわよくば、打ち明けた後に「まさか!そんなわけないじゃん‼」と笑い話になれば上出来。

壊滅的な思考回路を、ファンタジックな想像力として使っていけたらいいなと思います。

生きるためには、他者の存在が必要


他者からの評価が全てではなくて、自分の内側から湧いてくる思いに大きな意味がある。
そこに気づけると、生きる意味を他者だけに依存せず、自分の内部にも持てるのだと思います。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.41

私は今、「何かしら生きる意味が与えられているのだろうな~」という状態です。
弱る所まで弱り切って、それでも生きているどころか、やりたいことをやるチャンスが残されていたのですから、「まだ死んだらダメなんだろうなぁ」と、ただ漠然と思うのです。

1年生の時の自分は、楽しいことをしてはいけない、ただ勉強だけをしていなければ授業についていけない、と思って、自分の楽しみにふたをし続けていました。

「自分には価値がないから、そんなものを買ってはいけない」
「自分には価値がないから、そんな楽しいことはしてはいけない」

そういう考えを持ちながら生きていました。
それがエスカレートして、コンビニでの買い物が怖くなっただけでなく、
毎週のスーパーで買う食料も、徐々に減っていったのです。
健康的とは決して言えない節約です。

それが春休みになって時間ができて、ただ純粋にゲームにのめり込んだり、料理に夢中になったり、
美味しいと思えるものも、少しずつではありますが増えてきています。

自分の価値とか、自己肯定感とか、そういった類いのものは未だ見つかっていません。
それでも楽しいことができているのは、妹たちをはじめとした家族と情報をシェアしたいから。
自分1人もいいけれど、「ここのベーグル美味しかったよ!」「このグッズかわいいよね」と伝えることができるという点では、誰か他者の存在が大事なのかもしれない。

ひきこもりになっていなかったら
家族のありがたみや大切さにも気付かないままだったので
「これも必要な経験だったんだな!」
と、今では思っています。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.96

「できる/できない」よりも大事なこと


「愛されるには、何かができなくてはならない」という思いは、エネルギーが枯渇して動けなくなるまでがんばり続けたり、「できないこと」に深く傷ついて身動きができない状態につながります。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.168-169
命は誰かに「許可される」ものではなく、ただあるのです。
『「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。』
p.55

勉強ができるとか、成績が良いとか、たくさん仕事をこなせるとか、部活なら演奏が上手だとか…
そういった目に見える証拠は、受験や就職活動なら必要だけれども、
それがその人の存在価値まで決定づけてはならないのです。

私もそんなことは頭では分かっているはずなのに、つい忘れてしまいます。
でもこの本を開けば、教えてくれます。

なにもできなくたっていい。
ただそこにあるだけで、それがあなたの価値なのだ、と。

心が傷ついて不安な時ほど、「そんなの受け入れられない」と思ってしまいたくなるけど、
少しだけ心が回復した今、「もしかして、私もそうなのかも…?」と思えてきている、
そんな途上にいる私です。

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