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死ぬ人と看取る人、両方に覚悟が要る

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先日、看取り士会が開かれたカフェサロンにお邪魔しました。
参加者の中には、実際にご家族を看取った経験がおられる方もいて、その時の経験を穏やかに満足いっている様子でお話しいただきました。
看取り士の方もご家族が納得した時間を過ごされている様子を頷きながら聞いておられました。

・一般社団法人日本看取り士会ホームページ

ただ、全ての看取りがそんなにスムーズに行くわけでもないと思いますし、そうした記事も出ています。

・毎日新聞 滝野隆浩の掃苔記「親を家でみとる覚悟」

記事では記者の知人のジャーナリストが父親を遠距離介護し、最後は父親の自宅で看取ったことが書かれていますが、その過程を「厳しい現実」と表現されています。
特に父親の自宅での介護となった理由が、父親が入院も介護施設も拒否したためであり、父親に対する憎しみがあったことも書かれています。

父親を看取ったジャーナリストは、この記事の記者が聞いた「在宅のみとり、勧めますか?」という問に対し、「死ぬ人とみとる人。両方に覚悟が要りますよね」と答えられています。
勧める勧めないなんて簡単には言えないし、それぞれが悩みながらやっていくしかない、と。
ただ「父と過ごしみとる時間があったからこそ、私は父の人生の深い部分を知ることができました」という言葉を読むと、看取り士会が目指されている方向にも似たものを感じます。

現代では、老病死を表に出して見えるようにすることが非常に忌み嫌われていると感じます。
老いた高齢者や病人は病院や介護施設に入れられます。
亡くなった方はたちまち棺の中に入れられてしまい、親族でも亡くなった後のお顔を見られていない、という方がおられたりします。
そして、老病死を見えないところに隠そうとすればするほど、さらにその意識が加速していっている気がします。

人は生まれれば必ず年を取って老いていき、身体が弱って病にかかり、いつしか亡くなります。
老病死のいずれもが人生で必ずやってくるのですが、アンチエイジングであったり、健康特集であったり、死後のトラブルの話であったり、マイナスのレッテルがはられていきます。
そうすると私たちの人生は必ずやってくるものを受け取る度にマイナスになっていくのでしょうか。

看取りは前述の記事にもあるとおり、負担も大きいことがうかがえるので安易に進めることもできません。
しかし、看取りの話がきっかけとなって、人が人生の中で必ず体験していく老病死について、受け入れていくためにはどうすればよいか、と考えるきっかけになるとよいな、と思いました。

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