毎日、奥さんと何を話してるの?
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Twitterで発表されているマンガで深谷かほる先生の「夜廻り猫」という作品があります。
ある回で定年後の夫婦のコミュニケーションについて書かれていました。
退職した夫が新聞で、スポーツジムがいいらしい、と読み、妻に「俺もジム行くわ、お前が行っているとこ手続きしとけ」と言います。
それを聞いていた息子が母親に、ジムの定員がいっぱいだったことにして他のジムに手続きをしておけ、お父さんが来たら台無しだ、と助言します。
間の悪いことに父親(夫)がそれを聞いてしまい「なんだよ、台無しって!」と怒りますが、息子は「人の話はさえぎる、人前でも怒鳴る、お父さんが来たらお母さんは友達なくすよ」と厳しく指摘します。
私は結婚して10年経ち、夫婦仲も良い方だと思います。
毎日、妻と何かしらコミュニケーションを取りますが、私より結婚生活が長いご夫婦がしばしば「毎日、奥さんと何を話してるの?」と聞いてこられます。
まだ付き合って間もない頃なら、次はあの話題を振ろう、と力んで準備もしていたでしょうが、今は日々の暮らしの中での会話なので「何ということ無い話をしています」としか答えようがありません。
ただこの何ということ無い話しかしていないよね、ということを妻に話して「あどけない話だよね」と言ったら、「そんな話をしながらレモネードで乾杯しないとね」と返ってきました。
もちろん高村光太郎の「智恵子抄」を踏まえての会話です。
そこに取り立てて深い意味は無いのだけれど、お互いに共通理解しているものを確認し合った会話になりました。
「コミュニケーション」の要素の一つはこういう「共通するもの」を確かめ合っていくことではないかと思います。
夫婦二人の時ならコミュニケーションが取れていた二人が、子どもが出来ると途端に上手くいかなくなる話をよく聞きます。
特に、家事育児について、女性が男性に対して
「非協力的である」
「言わないと動かない、言っても役に立たない」
「もっと察して欲しい」
「いつも横で見ているはずなのに理解していない」
「少し何かしただけでやってやった感を出される」
などの不満をよく言われます。
これについて、Twitterで的確な投稿がありました。
私も長男が産まれた時の妻とのやり取りで「家事は十分な経験があるからほぼ引き受けることが出来るけど、育児は未経験で自信も無いから、戦力になれるか分からない」と言っていました。
妻は特にその言葉を否定せず、育児のいくつかを丁寧に説明しながら私に委ねてくれました。
きっと妻の思いや、やり方と違ったものがあったはずなのですが、何も言わずにただ「ありがとう」と言ってくれて、私自身「任せてもらえた」と言う実感がありました。
仕事で考えてみれば、子どもが産まれたばかりの夫婦は親としては新人なのだし、分からないことだらけの中を互いに協力してやっていくしかありません。
「やり方は教えないから横で見て後は察して」
「やるタイミングは自分で経験を積んで分かって」
「いくらやってくれても、私がして欲しいことの何分の一しか出来ていないから満足しないで」
という同僚がいたらどうでしょうか?
自分が出来ないこと、手が回らないことは相手にお願いする、つまり任せるわけなので、間違っていない限りは相手のやり方を尊重しないといけません。
後に育児について妻に確認してみたら、やはり「お願いしたのだから、あなたのやり方に任せた」と言っていました。
「コミュニケーション」の要素のもう一つは、こうした相手の発言ややり方を尊重することではないかと思います。
冒頭のスポーツジムの「手続きしとけ」は会話でなく指示ですし、育児現場での「役に立たない」「察しろ」というやり取りはブラック企業かと思う内容です。
相手が自分の思いどおりに動く便利な存在と考えるのでなく、尊重・尊敬すべき個人として捉えるならコミュニケーションの糸口はつかめるのではないでしょうか。
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