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お寺に未来はあるのか

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先日のお寺の役員会で、新聞記事のコピーを一つ紹介しました。

・毎日新聞 「お寺に未来はあるのか」 2022/09/29

この中で浄土真宗本願寺派のご住職の記事が載っています。
こちらのご住職も書かれていますが、戦前のお寺は田畑を有する地主でしたし、お寺以外に収入の方法がありました。
しかし、現代では、葬式仏教と揶揄されるように、葬式とそれ以後の年忌法要ぐらいしか収入がありません。
そのため、多くのお寺では住職がお寺以外で仕事をし、その収入の一部をお寺の維持管理のお金に充てている状態です。

私の実父も養父も学校の教員でしたが、これはお葬式ができた時に休みやすい職業だったというところが大きいと思います。
現在では授業を休むと別の先生に代講をお願いするか、後日、その分を埋めるための授業をしないといけないとの事で、教員はむしろ休みにくい職業になったようです。

私が地方公務員になったのも、休みを取る事に職場の理解があるところ、というのが一番の理由でした。
お客さんがいるわけではない事務職は、休みを取る前か後に仕事を詰め込めば、何とかなるからです。

現在の全国のお寺で何とか維持できている理由の大きな部分は、住職が高齢の方が多く年金受給者だというところも大きいと思います。
労働の対価ではない形で生活を成り立たせる一定収入があれば、お寺の事に時間やお金を使う事ができるからです。
ただし、これはその次の世代が現役世代のうちは継承が難しい事を意味します。

築地本願寺の改革で名を馳せた安永雄玄さんは、お寺を経営する、という観点でお話をされています。
特に、葬式・年忌法要以外で収入源を確保するということを話されており、今後、必ず必要になると思います。
一方でこの記事のご住職は「お坊さんは職業ではない。悲しみに寄り添う役割だ。民間企業のようにお寺を経営するという発想はない。」と語られています。

ただ、決して安永さんと真逆の事をいっているのではないと思います。
両者とも、お寺の本来の役割として、宗教を軸として、人の生き方についての場である事を言っておられるのでしょうし、お坊さんをツールとしてお金儲けをするようなものではない、ということが本意なのでしょう。

日本社会は今後も確実に少子高齢化し、人口減少していきます。
また、年に人が集中しなくても農村部はますます過疎化していきます。
そのために、お寺を維持していくためには統廃合は避けられない方向です。

ただ、くっついてガタイが大きくなれば解決するわけではありません。
お寺の周りに住む地域の人々がお寺があってほしい、お寺には役割がある、と考えて、その事に対して自分ができる事をしようと思う気持ちが無ければ絶対に続きません。

私がウチの寺に養子に来る際に、役員の方々が集まって「お寺を守りたい、お寺の事を自分たちが一生懸命盛り立てるから住職としてきてほしい」と言われました。
そのお言葉があったからこそ、色々な可能性を振り捨てて、住職と地方公務員の道を選択しました。
しかし、代が変わり当時の役員の方々がほとんどいなくなると、「お寺は負担だ。お金も労力も極力出したくない」とハッキリと言われる方が増えてきています。

仕方の無い事かと思いますが、そうであるならば、もうお寺を続けていく事は難しい、と思います。
また、私も求められてきたと思った寺から、求められていないのなら住職を辞める事も選択肢かと思います。

お寺は地域の人々が有ってほしいと思うからこそ生まれて、現代まで続いてきたものです。
お寺を負担にしか思わないのであれば、世の中から必要とされていないのですから、必ず消えて無くなります。
また、自分以外の誰かが勝手に守ってくれるものでもありません。

環境問題などと同じく、今、現代に生きる私たち一人一人の選択によって、今後のお寺が残るか消えていくかは決まります。

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