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長生きによって評価が下がる社会

遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
詳しくはこちらのホームページから。

当寺の永代経法要をお勤めしました。
永代経は、永代読経または永代祠堂経の略です。
自分にまで届いた仏法や念仏が、子や孫以降も永代に渡って届きますようにと、父母やご先祖の年忌法要などを機会として「永代経志」を出されたことに感謝する法要です。

法話でお寺と資本主義の関係についてお話ししました。
お寺という仕組みは資本主義の仕組みに上手く当てはめることができません。
お寺や本堂を維持するために、毎年多額の会費を出していただき、掃除などの出役をいただいています。
効率と費用だけを考えるなら、本堂を維持管理してそこに集まるよりも、オンライン上で集まった方が簡単だし、費用もかかりません。

また、資本主義の仕組みの中では、お金という価値を生み出せる存在の評価が高くなります。
人で言うなら18歳から50歳くらいの体力がある時期に高い評価が集中し、長生きするほど評価が低くなります。
しかし、長生きによって評価が下がったり、排除される社会は多くの人が望んではいないでしょう。

資本主義がダメだとか間違っている、というのではなくて、社会としては長生きを祝う習慣があるのに、長生きをするほど評価が低くなる資本主義の仕組みは、どこかで齟齬があるわけです。

現代社会に生きる以上、資本主義を全く無視するわけにはいきません。
しかし、資本主義によって解決される問題がある一方で、先ほどの排除のような別の問題も起きています。
お寺にしても、時代遅れと言われるような不効率な面があることは否めませんが、そういう中だからこそ寛容に多くの人を取り込める面もあります。

時代や文化が変わってもお寺が続いていることには意味があります。
その意味は、ここ最近の資本主義という考え方だけでは否定できないものであることをお伝えしました。

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