行動を伴わない知識は未完成である
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私が住む高島市の出身で、近江聖人と称えられた「中江藤樹」という江戸初期の陽明学者がいます。
陽明学では「知行合一」と呼ばれる命題があり、「行動を伴わない知識は未完成である」として実践が尊ばれています。
これにまつわる本人の逸話も色々とあるのですが、弟子の馬方又左衛門という人の逸話があります。
私の家から車で5分ほどの所に河原市の集落があり、馬方又左衛門の石碑があるので、藤樹先生のことを学んだばかりの長男に見せて又左衛門の話をしていました。
長男は「馬方又左衛門はスゴいなぁ」と言うので、少し注意をしました。
この話で肝心なのは、藤樹先生が伝えた教えに又左衛門が忠実に従った結果、賞賛される行いになったということです。
したがって、もしスゴいというならば、又左衛門でなく、藤樹先生でもなく、藤樹先生の教えだということです。
現代のビジネスシーンでもそうですが、何か業績を残す人がいるとその人だから出来た、と人にフォーカスしがちです。
しかしインタビューしてみると、その人も誰かからの教えや読んだ本などから得たセオリーに忠実に従った結果だと答えていることが多いものです。
多くは、ピーター・ドラッカーやフィリップ・コトラーの理論ですし、星野リゾートの星野佳路会長が話されると大体このあたりの名前が出てきます。
人にフォーカスしてしまうと、「あの人だから出来た。自分は出来ない」となりがちで、いつしかその人が神格化され、カルト化していきます。
そうではなくて、教えや理論に従えば同様の結果を出す確率が高い、という再現性があることを前提にする必要があります。
私たちは本を読んだり、セミナーで学んだりして、「知る」ところで終えてしまっていることがしばしばあります。
「実践」して上手くいけば「知る」ことで得たものが血肉となりますし、上手くいかなければ「知る」ことが不十分か、「実践」への落とし込みが不十分だと分かり、改善に繋がります。
「知行合一」はまさに現代でいうところのPDCAサイクルではないでしょうか。
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