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都市の緑地として神社を見ると

以前もこのnote+の記事に書いたように、社寺の境内はそこそこ広さもあって、緑も豊かな場合も多くて、不特定多数の人々が使うことが前提となった空間だ。お祭りとか体操とかスポーツとかのイベントにも使われる。つまり都市の施設としてみると公園緑地と同じ機能がある。
公園緑地は都市のインフラとして、役所が予算を組んで作られる。草刈りや枝打ち、古くなったベンチや遊具の撤去、日々の清掃などの維持管理も役所の予算から専門の業者に支払われて行われている。これは明治時代に日本が公園緑地制度を西洋から移入したときから変わっていない。
神社やお寺の境内は、公園緑地制度が日本に取り入れられるよりもはるかに古くから、公園緑地と同じ機能と役割を、日本の人々に提供してきた。つまり日本が近代社会になるはるか以前、日本書紀に書かれた古代から境内は公園緑地として機能してきた訳だ。
この公園緑地が西洋で最初に作られたのが18-19世紀のイギリスやドイツにおいてである。しかし類似の施設が公園緑地に先行すること千年以上も前に日本では作られてきたことになる。
この点から言っても、社寺境内は公園緑地制度よりもはるか以前から、人々によって作られ、守られてきた緑地であり、それゆえに日本の文化と呼べるだろう。
近代社会が成立するにつれて、近代以前からの文化が、近代社会における機能と重なるように再発見されることを文化人類学では「接合」と呼ぶ。
近年、日本政府は多文化共生を謳い、建設行政においてもさまざまな文化を取り込んだ施策を展開しようとしている。
社寺境内も、公園以外の多文化的な緑地として造営・維持管理の対象となる時代も近いと思う。

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