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お江戸遊行記 〜ヒト・モノ・メシ・ハコは詰まるところ「情報」やねん〜

ごきげんよう。福太郎です。
最近大学の頃の学問の価値をひしひしと感じ、教授に頭を下げにいきたくて仕方がねぇです。
今日はお先週末に江戸へ行ってきたので、すごい情報量の整理と共に自分の思考のメカニズムについてメタ認知が捗ったので徒然に記す。

お江戸に定期的に赴く。自らに貯まる澱みを禊ぎ洗い流しに行くのだ。
都会風を自らに取り込み、肉体にも情報アンテナにも雑食さを持たせてエントロピー増大に抗い、自分が自分である動的平衡を確かめる。
寄り道で旅に関する禊ぎ理論が提唱されているのでご興味あれば。

ヒトに会い、コトを見て、メシを食い、ハコを巡る。

ヒト:学生時代の友人、コミュニテイで出会った人、福島に来てくれた人などのご縁を紡ぎにいいく。
新たな価値観やインスピレーションが取り込まれたり、分人的自分のさらなる一面を再発見したり再定義される。

今回は特に多くの人にあったが、ハイライトは週末イベントで福島に来てくれた人が早速東京でお会いしましょうとお声がけいただけたこと。
コミュニティを仕事にすることのあれこれとかを質問攻めにあった。(思えば質問攻めに最近合いがち)
そこに対してある程度概念的な話から入り、個別具体の自分の活動にまで話は及んだ。 ただ、僕は普段それを何か言語化しているわけではない。
気づきをダー〜ーっとしゃべりながら、その過程により溜まった暗黙知が初めて体系化される。 オートクラインっていうらしいな。 

一生ものの大学時代の友人たち。定期的に会って近況を話したりしつつも
酒のせいで最後はIQ3まで退化する。

モノ:アートやらプロダクト・サービスを見る、実際に触れる。
今、世間は何に注目してるのか?テクノロジーはどこまで社会実装されているのか?ファッションは?食は?渋谷とか丸の内でどんな開発が起こり、何が取り沙汰されてるの?
定期的に訪れる人との話題の広さ・深さのチューニングになる。

ちなみに東京というのもローカルなものの集合体。「まち」ごとのカルチャーやコードが全く異なる。わかりやすいものだと丸の内VS渋谷。
権威的なものやメインストリーム文化を好む東海岸VS自由と混沌とサブカルチャーで活気づく西海岸。

丸の内エリアには色々なパターンがあり見るのが楽しい

メシ:南相馬にはないチェーン店、普段だったら払わないような額の飯、食べたことのないものを食い、栄養補給以上の価値を得にいく。
ちなみに都会では最終手段となるマクドナルドも、南相馬近辺にはちっともない。だからこそ都市部に出た時必ず食す。オレ・アブラ・ホシイ。

雑誌d デザイントラベルの食堂 長崎のアジフライと牡蠣飯を食らう。お値段2000円ごえなり。

ハコ:本業である場の運営のインプットをすべくコワーキングやホテルの視察に赴く。 同じ場を回したりコミュニティのお仕事をしてる人が案内してくれることが多いが、こだわり、世界観、運営体制、楽しみ、苦悩など普段見えない部分も似たような立場だから学びが多いし、高い解像度・抽象度のまま深い対話ができる。

圧倒的カオスなのに美意識のあるMidori.so

この本質的価値は「情報量」にあり、自分の性質を最大限に引き出してくれるトリガー

こうやって自分の持つ情報量や視点を定期的にリフレッシュしに行くことで自分はなんとかなってるようだ。

あとあとなんか言語化できたのだけど、手前味噌ながらちょっと自分は頭の回転が早いと言われる。(記憶力、とかロジカル、というより回転がはやい)
人に喋るのが上手いですねとか、哲学的ですねと言われることもある。ちょいちょい「何いってるかわかんねぇ」と言われることがある。
これ、それぞれバラバラに見える情報の構造を把握したり、抽象化、普遍性。本質を抽出したがるサガを持っているからなんだと思う。
具体と抽象の反復とかがよく言われるが。

じゃぁ自分はエジソンだとかアインシュタインみたいな稀代の天才か?といえばそうではない。
しかし、この「サガ」はやがて反復動作となり、思考のメカニズムとなる。

そこに対して好奇心の強めな性格だったり、役割柄人より普段から合う人や見聞きして話したり扱う情報量=具体 が多く、自分のサガと非常に相性よし。
具体抽象反復能力のレベル10の天才が取り込む情報量を10にしたら10x10で100にしかならないけど、5ぐらいの才能に対して300ぐらいの大量の情報を読み込ませることで、1800になる、みたいな。
点と点を繋げるための引き出しに1800個通りの手札の組み合わせを持っていたら、文脈や解像度など、常に強い組み合わせを自在に相手に対して出せる。

「情報をハンティングしに行く」

究極的にヒトモノメシハコを平面化すると、それは「情報」だと思っている。
こんな味覚を体験した、こんな商品を売っている店に初めて入った、ある人と会って初めて新情報を得た、あるサービスに対して実際にお金を払ったという体験価値、サービスを受けてみて抱いた感覚、などなど。
東京に一度赴くことは、普段自分の脳みそに入ってくる情報量が100だとしたら、3000ぐらいを得ることを意味する。
つまり東京に赴くことは「情報をハンティングしに行く」とも表現できる。

ゑ?じゃぁ東京住めばいじゃんて?
いや、そうじゃないんだ。

人間の環境への適応性は恐ろしく、やがて1週間もいればあの交通量を、あの音量を、あの価格を、あの気候を、あのアクセスを「フツウ」と捉えてしまうんだ。

「ここには何もないよ」という地域のおばあちゃん、「東京は愛せど何もない」と宣う椎名林檎。
一箇所にずっと止まることで、心が躍ったり、ワクワクしたり、驚いたり、逆に不快に思ったりなど情動が揺れて初めて得る「生きた情報」が相対的に少なくなってしまう。それが澱みをうみ、クリエイティビティを失わせ、パフォーマンスを落とす。

そういうわけで、僕はもうしばらくは福島にいるのだが、かといって根っこを生やして両足がちっと固定されているわけでなく、回遊を続ける。
さて次は春先かな。(なんか仕事とか創造につながるとなほ嬉しきかな。)


お読みいただきありがとうございました。
SNSもやってるのでご興味あれば思考の垂れ流しを見れます。
ご覧をば。(RRR激アツだったからこのツイーヨ置いときます)


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