蟻のままに語る

公共図書館が大好きです。知的で文化的で、それでいて誰もが自由にいつでも気軽に利用できる…

蟻のままに語る

公共図書館が大好きです。知的で文化的で、それでいて誰もが自由にいつでも気軽に利用できる本当に素敵なところです。 けれども、今その公共図書館がおかしなことになっています。経済の論理に巻き込まれ、職員の非正規化も止まりません。 このおかしさを言語化するところから始めてみよう思います。

最近の記事

1970年代の図書館委託

以前にも書いたことですが、日本の場合、公共図書館はすでに多くが外部に委ねられています。この事態は、日本の図書館界に大きな影を落としています。 日本の図書館界で、この問題に関する本格的な議論が開始されたのは、1980年代になってからのことだと思われます。1981年には、京都市を皮きりに、各地において公共図書館の管理運営を公社や財団等に委託する動きが相次ぎました。とりわけ京都市では、管理運営を含めて図書館業務の全てが委託されたことで、大きな話題となりました。 けれども、残され

    • 「公共図書館」と「公立図書館」

      「公共図書館」という用語について、少しだけ細かいことを書いておきます。 日本の図書館界では、都道府県や市町村など、地方公共団体が設置する図書館に対して、「公共図書館」ではなく「公立図書館」という用語を使用するべきだと主張する人が多くいます。この主張が間違っていると言いたいわけではありません。それでも、「蟻のままに語る」では、あえて、「公共図書館」という用語を使おうと思います。 その理由は、主として以下の二つです。 一つ目は、「公共図書館」と呼ぶのか、それとも「公立図書

      • 〈読書〉をみんなの手の届くものに

        公共図書館の存在意義について考えたことはありますか。公共図書館は、たまたま通える立場にある人や、一部の本好きの人たちだけが、楽しむために存在しているわけではないのです。 フランスには、公読書という言葉があります。公読書は、公共図書館が担うべき最も重要な役割の1つとされています。なお、ここでいう「読書」には、そのための能力や機会、あるいは環境といった意味も含まれます。いわゆる書を読むことだけに留まらない、もっと広い意味をもつ言葉として使用されています。文字だけではなく、例えば

      1970年代の図書館委託