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文体練習vol.4 「へびいちご」

 蛇苺を見ると思い出す。大量のいじめっこを葬ったことを。

 鎮守の森のお社の裏に、鉄条網で囲われた百坪ほどの土地があった。

 鉄条網はすっかり錆びついて、よほど前から立入禁止になっているとわかる。なぜ立入禁止になったか、詳しいことを知る者は私のまわりにはいなかった。地主の土地だとはわかっている。そもそも森のある小山全体が地主の地所だった。

 誰かは、ここに墓場があった、と言った。土葬の頃の。慰霊のための儀式もやらず、めぼしいものを機械的に掘り出して平地に移した。だからこの場所は呪われている、と。

 ひどい事件があったと言い張る者もいた。たとえば、殺人。若い女が街で犯されて、殺されてからここに運ばれて埋められた。いや、埋められているのは当代の末弟。座敷牢に入れられていたのが、見かねた先代が自ら手にかけて隠密裡に埋めた。

 B29が落とした不発弾が埋まっている、と、私は長らくこちらの説の信奉者だった。その証拠に、土地はゆる勾配のすり鉢状になっていて、爆発の跡を彷彿とさせた。中央には、沼というほどもない水が溜まっていた。水があれば当然そのヌシに話柄は向けられる。大蛇がいる、河童がいるとなって、そうなると溺れて死んだ子どもらに言及され、尾鰭がどんどんついていく。死んだ子どもらを言うなら、空襲で焼かれたそれだろうと私は密かに思ったものだが、この土地に空襲がなかったと知るのは、もう少し大人になってからのことだった。

 いずれにせよ、子どもたちの好奇心を掻き立ててやまない土地だったが、そこに踏み入れるのは困難を極めた。鉄条網が先述のように錆びついて、誰もが破傷風を恐れた。高さも二メートをゆうに超えていて、かすかに外側に開くようだったから、そもそものぼりにくいということもあった。よしんばのぼったとして、まもなく地主の雇人らが駆けつけて、見つかれば袋叩きにあう。狭い土地のことで、親ばかりか親戚にまで迷惑がかかる。かくしてその土地は、公然の禁忌となった。口にするのさえ、はばかられるような。

 いつか沼にハスの花が咲くと噂された。あの花は、初夏の朝ぼらけに開くとき、ポンと音を立てると誰かが言うのを真に受けて、私も何度か早朝に足を運んだ口だが、花開く境の吉音を耳にすることはついぞなかった。
 花なら見たことがある。吉音を聞きに行ったのもひとりなら、花を見たのもひとりだった。花は白か薄桃色というのが大方の意見だったが、私の見たのは鮮烈な青だった。しかし私はそれを黙っていた。さまざまな草の茫々と生える土地は、いつからか蛇苺が優勢群落となる。蛇苺が真っ赤な実をつけると、雨曇りが断続し、やがて梅雨が到来する。

 梅雨の時節だった。
 あの頃子どもらは、もっぱら蛇玉の話で持ちきりだった。蛇玉といっても、火をつければうねうねと長いものが生え出てくる花火のあれではない。蛇という蛇が互いに絡み合って、両手に余るような団子になる。それを地元では蛇玉と呼んだ。これを見れば吉、触れれば凶とされた。
 で、子どもらはなんとしてもこれを見たい、となった。蛇玉を見たと最初に自慢した当の子どもは、その嘘がばれてしばらくは登校もかなわなくなった。蛇玉に冗談は許されない。寝た子が起こされた格好で、とりわけ土地の悪餓鬼どもは焚きつけられて、あたかも蛇玉に取り憑かれたように、明けても暮れても蛇玉、蛇玉、となった。

 蛇玉を見た。
 朝にそう友だちに耳打ちして他言無用とあれだけ強く念押ししたにも関わらず、下校時に私は悪餓鬼のひとりに胸ぐらをつかまれて、足のつま先はむなしく宙を掻いた。
「蛇玉を見たって、ほんとけ」
 凄まれて、私はなんとかうなずき返す。
「嘘だったら、タダじゃおかねぇし」
 私は何度となくうなずいた。はたから見れば、首を絞められて痙攣しているように見えたかもしれない。
 私はようやく開放された。昨日の早朝に沼に行って、ポンと音を立てて花が開くのを見た。青い花だった。そのとき、同時に水のまんなかにぬらぬらと光って蠢くものを見た。間違いなくあれは蛇玉だった。

 なぜそんな嘘をついたのか。

 そもそも私にはちょっとした虚言癖があった。庭でツチノコを見たとか、屋根裏に小さな宇宙人が住んでいるとか、じつはブラジルのジャングルで生まれたとか。他愛もない嘘ばかり吐いてなにを喜んだか理解に苦しむが、いやいやそれは、いまだに私を苦しめてやまない虚栄心の萌芽であるに違いなかった。
 家にシャンデリアがある、とホラを吹いてその日の放課後、クラスの女の子たちが家に押しかけたことがあった。きっとこれをあの子はシャンデリアと言ったのでしょう、と母は寝室のナイトテーブルに置かれたティファニーの紛い物のステンドグラスランプを持ち出して女の子たちに披露し、子らにお菓子を振る舞いながらそのランプは東京のどこそこで買い求めたもので、そのお店というのがこの土地に生まれた誰それいう名士の経営で……と長い話をして煙に巻き、あとで母親から火のような折檻を受けたし、女の子たちは女の子たちでしばらく私と口を聞いてくれなかった。彼女らが私を激しく憎むようだったのは、今でもまったくもって解せない。
 蛇玉を見た、と嘘を吐き、嘘だったらタダではおかないと脅されて、どうしよう、とはならないのが、今思えば私の変態の本質だっただろう。どうしよう、とはならなかった、というのは正確ではなくて、取り返しのつかないことをしてしまった自覚に脂汗をかくにはかきながら、またいっぽうで、胸は高鳴っていたのである。嘘がいずれ露見して、ひどい目にあわされること自体に胸を高鳴らせたというようなそんなマゾヒズムではなく、吐いた嘘が誠になるかもしれないと思ってワクワクした、それこそが本質だった。いかにも私は、幼い時分、無意識裡にどれほど神様にすがっていたものか、量り知れない。

 翌日、朝から学校は時ならぬ騒動に見舞われた。先生たちは教室を出ては現れ、廊下を右に左に走ってなんとも気ぜわしかった。
 午前いっぱいクラスは自習を言い渡されて、子どもらは歓喜した。ところで〇〇はどうしたんだろうね、とちらほらと空いている席の子らの名前を口にして神妙な顔を作ったが、みないじめっこの嫌われ者ばかりだったから、誰もが今日に持ち上がった騒動と彼らの欠席とが関連して不幸な結末を招来することを、内心で願っていたはずだった。そうでなければ、あの日の一致団結するような躁状態の説明がつかない。
 かくいう私はと言えば、当事者意識はまるでなく、この騒動の発端であるなどという意識もさらさらなくて、なにが起こったのかまるでわからないという素振りを演じることになんの躊躇もなかったし、そのように信じ込むことさえできたのである。

 悪餓鬼グループは、その日以来、忽然と姿を消した。六人もの集団だったから、全国区のニュースにもなったし、昨今ネット民に掘り起こされて、愚にもつかない憶測つきで伝説化されるに至った。今ではよく知られた「蛇苺池」の怪談は、だから私の地元で出来した児童六人失踪事件に由来している。

「蛇苺池」の現在の完成形では、クライマックスは次のようになっている。

「……後日沼を訪れると、四方の背高な樹々は風もないのに梢を揺らして、不気味なほど静まり返っていた。鉄条網に手をかけてしばらく窪地を見渡すも、なんの変哲もなかった。踵を返そうとして、ふと気配に引かれて振り向いて視線を落とすと、足元の蛇苺のひとむらが不自然に揺れている。しゃがみ込んで傍に落ちていた棒で草むらを掻き分けると、果たしてそこに両手に余る蛇玉がくんずほぐれつしていて、茂みの奥からは囁くような人声と、なにかをむさぼり食うような音。蛇玉をつつくと、つつかれた一匹がこちらへ鎌首をもたげて吃驚仰天、蛇の頭にあるべき頭はそこになく、あるのはウズラの卵大の人の頭で、これが食いさしの蛇苺を吐き出して、真っ赤な口腔をくわっと見せて威嚇したかと思うと、悪態ついた。邪魔するな、と。ほかでもない、あの顔は、失踪した六人のうちのひとりだった」

 べつにユングの信奉者でもなんでもないのだけれど、奇妙な一致をめぐっては、集合的無意識みたいなものがあるのかもしれないと私なんかは思うほうである。たとえばこの場合、六人児童失踪の後日談を怪談は語っているわけだが、事実、私だけが知る後日談が存在し、それはネット民によって創作された話とあながち大きく外れてはいないのである。
 後日、と言っても、お社の裏のすり鉢状の窪地は早々に捜索の手がつけられて、衆人環視するなか、予想に反して沼の深さは捜査員の膝下をせいぜい濡らすばかりだったことを子どもたちはしかとその目に刻んだし、小山の方々が重機で掘り返されては埋められして、とうとう窪地全体も埋められ更地となって、鉄条網もいつか取り払われていた。不審者の目撃情報もなく、子ども六人が集団でどこぞへ向かうのを見かけた者もおらずで、一ヶ月もすると何事もなかったかのように集落は平穏を取り戻した。時折夏休みの子どもらが、暇を持て余した挙句に〇〇を探しに行こうと言い出して、酔狂に森や水路を探検するのが関の山だった。

 私がほんとうに蛇玉を見たのは、二学期に入ってからだった。事件からは二ヶ月以上が過ぎていた。
 家人がまだ寝床から出ないような早朝にひとり起き出して、私はお社の裏手に行った。胸騒ぎがしたでもなければ、預かり知らぬなにかに誘われたわけでもない。夢枕になにかが立つなど、ゆめゆめない。なんとなく、だ。禁忌の土地とは、つぶされたあとに人目のないところではどんなだろうという、好奇心は前々から働いていたのかもしれない。しかしそれも後付けのような気がする。あくまでもあのときは、なんとなく、だった。
 ハスの花の開く小沼は跡形もなかった。蛇苺の群落もなく、あるのは矩形に切られた土剥き出しの更地だった。夜明け前の空気は青く染まって、虫の音も絶え絶えだった。
 虫の音がぴたりと絶えて、鳥もまだ鳴き出さない、凪のような時間が訪れる。それを人は青の時間と呼びなすらしいが、そのときの私は無知だった。時ならぬしじまに脅かされて踵を返そうとして、更地の中央にぬらりと光を溜めるものが視界をかすめた。蛇玉、と瞬時に思った。なぜかはわからない。私は足元を探って子どもの頭くらいはあろうかという石を抱え持って、かつて禁足地として囲われた土地におぼつかない足取りで足を踏み入れた。近づいて、まじまじと見た。
 蛇どもが、くんずほぐれつしている。互いの身体の作る結び目のわずかな隙間にまた別の身体が潜り込んで、ほどけかかるとまた別のところが締め上げられして、音もなく悶えていた。無音のようで、音は立っていた。人の、息を切らすような音。蛇はそのような音を立てるものかしらと顔をさらに近づけると、そのあえぐ音に、映画に観た男女の交わりが想像されて、下腹に血のざわりと凝る感覚が来た。足先で蛇玉を蹴る。それは半回転して、腹側の白が薄闇にあらわになって、すると蛇の頭のあるほうからはあえぎの音がよりあからさまになって、見れば懐かしいような顔が白目剥いて仄暗い口腔を晒している。そこから苦しげな声をいっせいに絞り出していて、たちまち私はひるんだが、その声は苦しげとばかりとも言えなかった。やがて没頭する声とは知れた。人から見られているとはまるで意に介さずに、六人の小さな顔は、得も言われぬ恍惚に没入するを表していた。おぞましさに全身総毛立ち、いなや、私は手にした石を力任せに振り下ろしていた。

 あれからもう三十余年が経った。二親はとうに鬼籍に入り、生まれ故郷と断絶してきっかり三十年。不惑を超えてから結婚した私には、四歳になる女の独り子があった。
 これが虫や植物が好きで、外に連れ出すと、小さなものを見つけてはしゃがみ込み、いつまでも対話するよう。名前をつけては、勝手な物語に夢中になる。花壇の土筆をつついて胞子が舞うと知ると、けむり草と名づけて、彼女においてそれはアリさんたちの工場ということになった。最近は方々の植え込みや空き地に蛇苺を見つけるとそれこそ時間を忘れていじくって、蛇が食べるから蛇苺なのかと母親に訊いたりしている。
 贈り物と称して食卓の私の定位置にひと握りの蛇苺が盛られているのを見たとき、三十余年前の記憶が蘇って、それでネットで六人の児童失踪事件を検索するうち、怪談「蛇苺池」に行き着いた。ネットに流布する怪談というものが、ひとつのジャンルを構成すると知ったのも、これがきっかけだった。

 備忘録としてしたためたはずの雑文が、思いがけず長文になってしまった。取り留めもないのは、私の人生そのもので、まったくもって面はゆい。
 蛇苺の窪地を思い出したちょうど矢先のことで、奇妙なメールが私のPCに舞い込んだ。この雑文は、そのことを記そうとしてそもそも書かれ始めたものだった。
 メールの送り主は不明。営業か詐欺かと読まぬうちに削除しようとして、生まれ故郷の土地の名が目に入った。添付ファイルのないことを確認してから文面に目を通してみて、私は正直困惑しきりだった。文面は次のような内容を告げていた。

「あなたは××さんですよね。×××村の児童六人失踪事件の鍵を握るのは、あなたですよね。もしあなたが××さんなら、ちょっとお耳に入れたいことがあるので、あなたが××さんであることを証明する返信をしてください。それを確認したあとで、ことの顛末をお話し差し上げます」

 私は失踪した六人の名前とあだ名を書いて返信してやった。半ば面白がってのことだった。私もいい加減、人生とやらに屈託する年齢なのだった。
 報道では児童の名前はいっさい伏せられていたから、それを知ることが私であることの保証では必ずしもないにしても、児童らの間近にいた当事者であることは証明できる。それをもって相手がどう判断するかは、こちらの知ったことではなかった。
 果たして数日して返信があった。

「……六人が蛇玉に変ゲしたのはあなたも知る通りです。いま、わたくしは都内某所のマンションに暮らしているのですが、ここにはそれは大きな水槽がございましてね。六人の子らは立派な人頭蛇になられまして、このマンションの一室でわたくしと寝食をともにするのでございます。近いうち、こちらに訪ねていらっしゃいませんか。メールの最後に、住所を記しておきます。くれぐれも、他言無用にてお願いいたします。人に話せば、呪います」

 手の込んだいたずら、と思って、先方の記した住所も控えずに、私はメールを削除した。差出人のメールはことごとくブロックされるよう手配して、こちらのメールアドレスもいずれ破棄した。

 長々とお付き合いいただきありがとうございます。これにてこの雑文もおしまい。世のなか、奇妙なことがございますね、とにっこり笑ってラップトップを閉じかけたところが、たった今、娘が仕事部屋に駆け込んできて、庭に蛇が出たと息急き切って言う。
「そのへびね、しゃべるんだよ。パパはげんきって。げんきっていったら、わかったって。へびいちごたべるかってきいたら、たべるっていうから、にわのへびいちごをつんであげたら、ぜんぶたべちゃったんだよ。そしたら、パパをよんできてって。でもね、そのへびね、へんなんだよ、おかおがね、パパなんだよ」
 それを聞いて憤然と立ち上がると、玄関先に立てかけられたままの雪かき用のシャベルを手に私が庭へ躍り出たのは、言うまでもない。

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