見出し画像

逆叉

書くこと、妄想すること自体がとにかく楽しいんです。だからといって盆休みにかまけて妖怪譚ばかり書いてもいられませんからね。

せっかくの夏休み。パンデミックで昨年一昨年と子どもたちとはロクな思い出も作れなかった。いい加減彼らの相手もしなさいよ、とのやさしい家内のオッカナイ・オーラをネコの敵視するクイックルワイパーによる部屋の拭き掃除にいらっしゃるたび感じないわけにはまいりませんで、よし明日は水族館に連れたったる、オマイら、今夜は早く寝ておけ! と私は子らに予告した。

ところが翌朝は、あいにく台風の接近にともなう暴風雨。なんにつけ事前に周到に準備するというのが私は大の苦手で、行き当たりばったりの性格がまたしても禍いするのでした。しかし三人の子どもたちはすっかり水族館に行く気でいて、早朝からパパが起き出すのを待っている。二日前に『さかなのこ』という映画をサブスクでみんなで観ていて、それで水族館と提案したまでですが、明日とみずから予告したからには、連れていかないわけにはまいりません。口がラーメンなのにカレーに変更されるやるせなさを、私も知らぬ身ではありません。ちなみに母親がそれをよくやる人で、だからいまだに母と私の間にワダカマリンがあるくらい。

私は水族館ならどこでもいいだろうくらいに思っていて、徒歩三十分圏内にある井の頭公園内の水生動物観察園を考えていたのですが、子どもたちは私の知らないところであれこれ調べたものらしく、鴫浜オーシャンワールド一択で! と口をそろえてせがむのでした。ここからだと車で三時間(!)、昨年の夏にオープンしたばかりの水族館で、そこのシャチのショーがどうしても見たいというのです。長男曰く、国内でシャチのショーが見られるのは名古屋と鴨川とそこの三箇所だけで、テレビでもBIG MOTORに劣らず話題沸騰なんだとか。家内をチラリうかがうとニコニコしている。わかりました、鴫浜へまいりましょう、となりまして、何ヶ月かぶりに1973年製造の三代目ダットサン・サニー(もちろんマニュアル)を走らせることになったのでした。

行きから雨が叩きつけるように降ったかと思えばしばらくもしないで晴れ間が見えて照りつける。こんな日に朝から出かける人もそうないわけで、盆休みというのに一度も渋滞しなかった。トラブルといえば次女が車酔いしてLIFEに立ち寄って酔い止めを買ったことと、山を越える際にギアの選択を間違えて何度かエンストしたことくらい。坂道でゆるゆる後退してくる車にさぞ後続車は驚いたことでしょうが、こう見えても坂道発進は得意なのです。クラッチの焼ける匂いもまたたまらない。

家内いわく、鴫浜オーシャンワールドは、さる国内ベンチャー企業の資本によって開発される一大リゾートの一画として建設されたものらしいのでした。おそらくはそこでの売上を元手に、海水浴場の整備、ホテルの建設、別荘ヴィレッジの建設、テーマパークの建設……と一気に事業を拡大する計画のようで、ドバイのパーム・ジュメイラを彷彿とさせる枝分かれした砂州状の埋立地が、沖合へ伸びているのでした。じっさい、この荒風と高波に屈することなく、重機らのたえまなく働くのが遠く霞んで見えていた。

壮大なる構想の実現です。というのも水族館は水族館で、遠浅の海を掘り込み港の要領で掘削してこれまた沖に建設され、魚を囲う水槽は、丸々海をアクリルで仕切って作られた広大なものだったからです。そこでは、マグロやカツオの魚群を観察することもできた。シャチやイルカ、マンタやホオジロザメも同じ要領で囲っており、生き物たちが限りなくストレスフリーの環境下で飼育される水族館として世界中の注目を浴びるのでした。

「すごいね!」
ひょっとすると、子どもたち以上に私が興奮していたかもしれません。水族館のエントランスは、その海底深くに根を下ろす構造物にとっては屋上にあたり、海岸沿いの駐車場にサニーを置いて三百メートルほどの幅広なコンクリートの桟橋を歩いてきた私たちのいま四方に広がるのは、波頭の白く砕け散る高波の原なのです。エントランス両翼の南北に連なる屋根つきステージは、ローマのコロッセオかはたまたギリシャの神々の神殿を思わせる白亜で、畏怖の念に打たれます。水平線に対峙すれば、まるで荒波をゆく船の舳先に立つかのよう。いずれは世界に先駆けて大型クジラの飼育・繁殖を成功させたいと公言しているのらしい当該水族館のウェルカムアーチが、水飛沫を上げて躍り上がる四頭のシャチのオブジェから、身を弧に反らせる一頭のシロナガスクジラのそれに置き換わる日だってそう遠くないと思われる。さあ、台風よ、かかってきやがれ! と柵から身を乗り出して口角泡飛ばしながら拳を突きあげて叫ぶ父親に、到着早々神妙な顔してタブレットのビデオを回している長男が、「パパ、そっちは東。台風が来る西は反対側だよ」とそれとなく教えて、家内も二人の娘も目を剥いて笑うのでした。

腹が減っては戦はできぬとばかりに最下階にある海中庭園レストラン「タイタン」でビュッフェ形式の遅い昼餐。高天井の店内は柱が一本も使われておらず、ぐるりも枠なし壁なしの一面アクリルで、その向こうは極彩色の魚たちが群れなしてさながら竜宮城に迷い込んだかのごとし。手元のポインターで席にいながらまさに目の前を泳ぐ魚介のこれとこれ……と指示すれば、スタンガンのようなもので一撃された魚どもは瞬時に正体失くして浮遊し、ロボットアームに回収されてさばかれるという仕儀なのでした。

海の幸をたらふく腹に詰め込みまして、いざふたたびの海上へ。先刻の雨もよいの空は走る風に吹き流されて、いまや残夏の照りつけはこれ以上ないくらいに凄いよう。来園客の誰彼の肌の焼かれる音がジッジッ……とそこかしこから仄かに聞こえ、あたりを焼けた肉の匂いが立ち込める。
「すばらしい!」
子どもたちのリクエストにしたがって、ペンギンショー→ペリカンショー→アシカショー→ベルーガショー→イルカショー→オルカショーと計画を立てたのでした。もちろん当館目玉のシャチのショーが〆。ショーの開始時間は、三十分刻み。こんな悪天候でも園内は大型連休に似つかわしい混雑ぶりでしたから、ショーの合間合間は各スタジアムの席取りの競い合いで大わらわ。そしてそんな大わらわが、私には珍しくも楽しいのでした。そうだった、オレは動物が小さい頃から大好きだったのだと、今更のように思い出すのでした。

ときおり突風がきて、人々の帽子や日傘を遠く沖合へ攫っていく。暗雲立ち込めて、大きな雨粒が鉛の弾丸のように人々の頭上を襲来する。それでもみんな笑顔です。泣き出す子どももなかにはいますが、大人たちはなぜか必要以上の剣幕で叱りつける。きっとみずからに兆した童心に水を差されたくないからでしょう。スタジアムの狭間狭間にある広場に展開する出店のコンテナは至るところとうとう風に転がされ、敷地を埋めるパラソルつき丸テーブルとベンチは薙ぎ倒され隅へと追いやられて、人々も同じくソフトクリームやらホットドッグやらを手に離さず転がされ、あるいは宙へ飛ばされして、キャーキャー歓声を上げる。私たちはといえば、私をさきがけ家内をしんがりに、次女、長女、長男と腰をつかんで離さず連なって、あたかも麒麟か丈の短い龍のように風に煽られ、風にあらがい、風をいなし、風になびいて……と、風と戯れながら席取り競争に勝ち進んでいくのでした。

子どもたちは、愛くるしい動物たちの健気な芸にまたたきひとつしないで見入っている。家内も終始満面の笑顔で、ペンギンやペリカンが挨拶の羽を振れば、手を振って返す。私はといえば、ペンギンの登場からすでに感涙しているのですから始末に負えません。ただただ凄い凄いといいながら手を叩いているばかりの阿呆なのでした。小六の長男はスペクタクルを動画に収めては、ショーの合間に編集して映画の予告編みたいなものをこしらえて悦に入っている。ふだんから友だちと和さず、ひとり部屋に閉じこもって本ばかり読んでいる小四の長女は、「ここに住みたい!」とたまらず母親に訴える。年長の次女は、アシカショーを見ながら「みぃちゃんはしょうらいはすいぞくかんのしいくさんになる」と秘密を打ち明けるように私に耳打ちする。よかった、よかったと、私はハンケチで目頭をぬぐうのでした。

ベルーガにイルカともうじゅうぶんお腹いっぱいになっているところへ、いよいよシャチのお出ましです。期待は否応なく最高値に達しておりました。なぜって、それぞれのスタジアムから黄色い声が上がるなか、なかでもほとんど絶叫に近いようなひときわ大きな歓声とどよめきとが起こるのが、ほかならぬオルカスタジアムだったからです。おりよく黒雲が切れ切れになり、金砂を撒くように西日が水面に乱反射し始めた。

ショー自体はどれも五分前後でしまいですから、席取りのあとは二十分以上の間が開くことになる。客席はほぼ満席状態でしたが、なんとも幸運なことに中央の最前列とそのうしろ三列ほどが空いており、迷うことなく最前列のベンチに五人して陣取った。日頃のおこないが良いからだと子どもたちをことほぎながら、またしても私は泣けてくるのでした。スタジアムの屋根のへりやらステージ背後の塀の上やらには、カモメがひしめいている。ほかのスタジアムでは見られなかった光景で、おそらくは鳥たちもシャチのショーに魅了されているのでしょう。

しばらくすると、係員が来てマイクで諸注意を述べ始めた。ベンチとベンチのあいだの階段に座りついている人があると、優しい声音で「階段はほかのお客様の妨げになりますし、万一の避難時にたいへん危険ですから、お座りにならないように。ベンチのみなさまも、階段に座ってる人を見かけましたら、無言の非難の視線を送って、『コラ〜』と叱りつけてあげてください!」なんていってる。日本人の操り方をじつに心得た方便と思って私は感心することしきりでした。ベンチの上に靴を履いたまま立っている中国人たちには、「それ以上の狼藉には罰金および追放です」の一言でおわり。出不精のくせに外に出たら出たでなにかと店員の客あしらいに点のカライ私が感心しているのだから自分でいうのもなんですけどいたって珍しいわけですが、子らを挟んで控える家内は私についての余計な寸評などなにも加えず微笑みを湛えつづけるのみ。にしても私らの周囲だけ空いているのはなんでだろうと不思議に思っていると、先ほどのスタッフがこちらに屈み込んで、マイクをオフにしていうのです。
「こちらの席は海水でずぶ濡れになります。防水ポンチョをお買い求めになるのをお勧めしますがいかがなさいますか」
聞けばポンチョはフリーサイズのみの用意で一着三千円とのこと。五人で一万五千円、チラリ家内をうかがうと微笑みがややこわばったように見え、私はしばしのためらいのあとで「なに、思いっきりオルカの洗礼を浴びようじゃないか!」と子どもたちを諭すようにいって係員の申し出を断ったのでした。ちなみに長女はポンチョに未練ありげでした。周囲のそれを着込む人たちを見て、図柄がかわいいとしきりにいってましたから。

ショーの開始までのあいだ、子どもたちにはスタジアムの水槽=プールのぐるりを思い思いに歩かせて、別のプールから入場してきたシャチを間近に観察させた。目の前を回遊し始めたシャチがいずれも予想外の大きさで、私はたまらず喫驚した。同じ鯨偶蹄目とはわかっていながら、なんだ、これは、もはやクジラではないか! などとオカシナことを叫んでいる。私も家内も、呆然としてシャチを食い入るように見つめるばかりでした。ひと通りの写真撮影と観察を終えて戻ってきた子どもたちに、家内が色々と尋ねている。

「出生地は?」
「北海道沖」
「何を食べるの?」
「クジラとかアザラシとかペンギンとかを集団で狩りして食べるんだって。でも当園ではホッケとシシャモとニシンを与えてるんですってよ」
「名前はあるの?」
「うんとね、アテルイとね、それからね、シャクシャイン。でもね、ほかにもいたけど、うんとね、うんとね、みぃはおぼえられなかった」
「あとはコシャマインとカムイだよ。ぜんぶで四頭いる」

ホルストの「惑星」ジュピターが厳かに流れ始めて、四人の黒と青のウエットスーツ姿のうら若い女性演者(いずれも美形です!)が、プールを挟んで正面のステージに横一列に並んで一礼した。割れんばかりの拍手。するとアトランダムにプールを回遊するようだった四頭がステージの前に来て、それぞれの演者とペアリングされているものでしょう、水から顔を覗かせて、女性らの抱擁と愛撫とを受けた。シャチらは口を半開きにして鋭い歯列から薄桃色の舌を覗かせ、嬉しげに笑うように見えるのでした。

ショーは圧巻の一語でした。演者とのダンス、演者を背中に乗せてのゆったりライド、鼻先に直立した演者をのせて背面泳ぎするシャチの曲芸。やがてBGMはアップテンポなロック調に変わって、見たこともない速さを目撃することになるシャチの高速ライド、全身が水面の上に躍り上がるハイジャンプとそれにつづく凄まじい水飛沫、そして天井から吊り下げられた蛍光色のボールを、水面から飛び上がったオルカが身をくねらせて回転し、尾鰭で力いっぱい蹴りあげる……。それら芸の合間合間に、オルカたちは水のなかで逆立ちすると、その尾鰭でいっせいに水面を煽って大量の水を観客に浴びせかけるのでした。道理で水浸しになるわけでした。しかし中央の最前列付近でなくったって、どのみち観客は最上階に控える者らまでみな公平に水浸しになるのでした。歓声とどよめきの絶えぬなか、ひとつの芸のシークエンスが終わるたびにプールサイドの四隅に据えられた大きなクーラーボックスから演者がなにやら蓋を開けて取り出してはシャチの口に放り込んで抱擁するのを見て、あれは褒美のホッケかシシャモかはたまたニシンか、一頭あたりの餌代はどんなものだろうなどとあらぬことを考える私なのでした。

ショーも終盤と思われたそのときでした。四人の演者が晴れやかな笑みを振りまきながらステージに等間隔に並ぶと、立て膝して銘々の可愛いオルカを迎えた。BGMもいよいよ佳境。差し伸べられた演者の頬に、水面から顔を覗かせたオルカが頬擦りするかのように近づくと思ったら、ふいにくわっと大きく口を開け、演者の頭へ横ざまにかぶりついた。これ以上ない蜜月ぶりをこれ以上ないディープキスで見せつけてくれるとこちらまで照れ笑いを浮かべていると、オルカはいっせいに身をくねらせて水面に躍りあがり、演者たちの首を瞬時に捩じ切った。胴のほうは、そのままがくりと前のめりにくずおれて、肩から水へ滑り込むように没入する。首の切断面から血が噴きあがり、汀が赤く染まっていく。スタジアムを囲繞していた鳥どもがにわかに騒ぎはじめ、四つの骸の上に一羽また一羽と飛来する。四頭のオルカたちは鼻先に女たちのナマ首を器用にのせたまま、立ち泳ぎをして一糸乱れぬワルツを踊り、踊り終えるや首を放って、銘々のクーラーボックスの前に悠然と泳いできて、早く褒美をくれといわんばかりに、キーキーと鳴いた。ふと傍の家内と子らを見やると、膝の上に銘々ナマ首を抱いて、全身を鮮血に染めているのでした。いやはや、こんなことならポンチョを買っておくんだった。

「水族館、どうだった?」
「すごかった!」
「たのしかった!」
「君はあいかわらず水族館に住みたいの?」
「もちろん!」
「よし、またこよう!」

土産コーナーでは、妻は箱詰めの蛸煎餅を、長男はペリカン柄の座布団を、長女はさまざまな深海魚の泳ぐスノーボールを、次女はベルーガの小さなぬいぐるみをそれぞれ購入。私はオルカの抱き枕をひとつ買いました。一体一万円とは、法外なようですが、どんなものでしょう。

そいつを頭の下に敷きながら、しばらくはシャチの夢のつづきを見ようと思うのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?