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東京川風景・相模川

 神奈川に配属され、越した。かくして遅まきながら実家を出ることに。二十八になっていた。

 川の近くにこだわって、不動産屋の案内の娘に訊くと、近いといえば近い、と言って地図を広げた。かろうじて左端に川らしい帯がよぎった。こういうことは悩んでも仕方がない、という妙な達観があって、二つ目の内見で決めてしまった。案内の娘にまんまと乗せられた、という側面も否めない。川獺を思わせる、体つきのしなやかな娘。

 新居に引き移ってまずしたことが、川を見に行くこと。不慣れな土地のことで、地図を確認確認しながら自転車を走らせる。駅前はそれなりに栄えていても、国道を渡ってしばらくもしないで畑地ばかりが広がり、なんとも心細い道行きだった。一時間をゆうに費やして、ようやく川にたどり着いた。

 相模川。思いがけず河原は広く開けていて、ところどころ灌木の鬱蒼と生える。河川敷の石はどれも石灰に晒したかのように白く乾いて、川音は轟々と迫った。

 白地に赤で記した「稚鮎禁漁」の立て看板が目立つようになり、やがて川の匂いが濃くなって、灌木の間に堰が見えた。水飛沫が上がって、陽を散らして小さな虹がいくつも立っていた。

 水量の多さに胸が躍る。しかしじきにたじろぐことになる。堰の上には少なからずの人がいて、ゴム引きのズボンを胸から吊って、宙でさかんに網を振っている。虹を集めるかのように。

 むろん彼らの取るのは虹ではなかった。水飛沫を越えて間断なく跳ね上がる無数の黒い影があり、それらを空中で掬い取っているのだ。見てはいけないものを見た、という思いが俄かに膨らんで、来た道を引き返していた。

 その土地に三年と居座ることになるが、以来その川を見ることはなかった。とまれ、川への敬慕は絶えるどころか、募るばかりで。

 夏は茹だるように暑く、冬はいつでも底冷えがした。あそこは盆地だから、と職場の先輩は言った。この人に食事に連れていかれることが多くなり、しかしほかの年嵩社員と違ってけして奢ることはなかった。二歳の娘が自慢で、写真を数葉見せられ、どんなことばを発したか、どんな仕種をしたか、逐一報告するようだった。こちらは、ふんふんと合わせるほかない。何が気に入られたものだろう、と心の隅で訝っていた。

 やがてその先輩の持ち分の仕事まで自分がやらされているのに気がついた。中途採用の身でなんにつけ贅沢は言えない、という引け目と覚悟は当然にあった。終電を逃すと、タクシー代惜しさに線路沿いを歩いた。線路沿いに広大な米軍の基地があって、行けども行けども民家の見えないまったき暗闇が続いて、こんなところで襲われたら一巻の終わり……と思えば自ずと足取りは速くなる。畑地に点在する雑木林は眠れる怪物の蹲るかの如く黒々と不気味で、その上に満点の星空があった。

 駅から南に伸びるメインストリートから一本外れたところにちょっとした飲み屋街があって、風俗らしい店もちらほら。あそこは穴場なんだ、と得意げに話していた先輩の口吻がふと思い出されたのは果たして偶然だったか。その夜も終電を逃し、二時間余りの道行きを終えてコンビニで食材を買い込んでいると、
「いま帰り?」
 と馴染みの声が背後から呼びかけた。別人、と見えた。顔が白く明け、目は血走っている。手には缶コーヒー、なりは職場を出たときのまま。
「ちょっと休憩。もう一件行くんだけど、行く?」
 誘われて、断った。あっそ、とそこはこだわりのない人で、店を出ると、じゃあ、と手を上げてにっと笑い、ネオンの灯るほうへ颯爽と去るのをしばし見送っていた。

 今度越した土地は、川は目と鼻の先。とまれ土手の盛り土の際で川自体を部屋から見ることは叶わない。川の匂いが強く立ち込めて、風の休まる日は一日たりともない。ここも一二件見ただけで決めてしまった。今時中央に踊り場があって、その両端に部屋が三間ずつ居並ぶような長屋仕様で、その古さと、安さが気に入った。自分には似つかわしいという、当時の多少なりともいじけた心持ちとよく親和する部屋だった。駅と部屋とを往復するときには土手上を歩くから、眼下に開ける河川敷と川面。水量に乏しくて、あれなら向こう岸まで歩いて渡れる、といつも思った。中洲には灌木が鬱蒼と茂り、隠れるようにしてトタン板の粗末な小屋が組まれて、男が何匹という猫と暮らしている。

 多摩川沿いの生活は、それから一年と続くことになる。

(了)

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