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ヴァンピールの娘たち Ⅰ-3

人は生まれながらにエグザイル追放者であると教えられて育った姉妹は、小さい頃から一所不住の生活を強いられる。職業不詳の両親の仕事を探った妹のクゥは、彼らがトレジャー・ハンターとして生計を立てているのを知る。後日、真夜中に帰った甲冑姿の二親が、その手に生首を提げているのを目撃したクゥだったが、後年それはアンタ特有の妄想だと姉のムゥに否定される。しかし姉妹とも幼い時分はいわゆる妄想族だったのであり、妄想世界で何かを演じることでしか集団に馴染むことができなかった。

『ヴァンピールの娘たち Ⅰ-2』あらすじ


Ⅰ-3.ムゥとクゥの妄想サバイバル術、あるいは姉妹に施される英才教育について。そして姉妹は図書館にて無言で騒ぐ

🦇

 幼稚園バスのドアが開くと、
「ただいまよりムゥ艦長、およびクゥ副艦長、任務につくでありまっす!」
 そういって姉妹は、出迎えの副園長夫人および運転士の朝の挨拶に敬礼でもって応える。ステップを上がって乗り込むと、姉は周囲を睥睨し、すでになかで待機している十二名の園児らは、皆直立してきりりと口元を引き結び、同じく敬礼でもって迎えるのを確認して満足げにうなずき、「全員、配置!」と号令して自分は妹の手を引いて、運転台の隣りの席に陣取る。子どもたちは命令が下るたび、「ラジャー!」と黄色い声を上げる。
「いざ、出発進行!」
 運転士のジィが高らかに宣言し、アクセルを踏む。マイクロバスが走り始めるや、子どもたちの大歓声。
「右前方、自転車接近中。前カゴに髪の薄い小さい人が乗っている。ジィよ、あれは敵か味方か?」
「味方であります!」
 マイクロバスが左に幅寄せして自転車を先に通そうとするが、住宅街のただなかを縫う一車線道路のこと、自転車のママこそ電信柱を盾に幅寄せしてマイクロバスをやり過ごそうとする。運転士のジィが自転車に向けて一礼すると、子どもらも窓外にいっせいに一礼する。
 マイクロバスが発進するや、またも大歓声。今度は左前方、シルバーカーを押しながらゆっくり歩を進めてくる老嬢を認めるなり、姉はおもむろに立ち上がり、目を細める。右手で眉庇しながら、しばし思案して尋ねる。
「あれは……」
「廣瀬のお婆さまです!」
 運転士とのここまでのやりとりは、朝な朝なのルーティンである。というのも、一秒と違えず、廣瀬の老嬢は毎朝同じ場所で幼稚園バスとすれ違うからだった。さてその先は、姉の匙加減による。ある朝の老嬢は我らの味方であっても、ある朝の老嬢は我らの敵であった。
「皆の者、だまされるな! あれは廣瀬の婆をよそおう敵方のスパイなりよ!」
 すると子どもらは、副園長夫人の制止も聞かず左の窓側に殺到し、銘々手にした嘘っこ銃を構えて廣瀬の老嬢に向け、バンバン、ダダダダ、バシュー、ズドンズドン……とあらん限りの銃弾砲弾を浴びせにかかるのだった。窓ガラス一枚隔てて繰り広げられる小鬼らの騒擾を見上げながら、廣瀬の老嬢はいつだって福々しい笑顔を振り撒いて、片手を振って幼稚園バスを見送る。
「ホホホホホ……元気のいいこと」
 老嬢はいってやり過ごすが、かに見えながら、マイクロバスが徐行ですれ違ってから加速し始めると、とても八十を超える高齢者とは思えぬ機敏さでもってやおら振り返り、シルバーカーの陰に立て膝つくと、ピッと背筋を伸ばし、「ガキども、これでも、食らえ!」と叫んで、ロケットランチャーをシュルシュルシュル……とお見舞いする。
 凄まじい衝撃波ががマイクロバスを襲う。
「右舷後方ロケット弾命中!」
 妹が報告する。
「状況は?」
 姉が問う。
「大破です! 黒煙が上がっております。敵ながら、あっぱれです!」
 妹が答える。
「むむぅ、ジィよ、間に合うか?」
「なんとか間に合わせましょう!」
 運転士が力強く請け合うと、子どもらの興奮は最高潮に達する。
 こうして園児らは、幼稚園までの十五分の道すがら、町の平和を守るべく、人知れず敵と戦い、悪を成敗し続けるのであった。幼稚園に着くと、おばあちゃん先生(園長先生)が園児一人ひとりを出迎えた。
「おはようさん。今日の戦果はいかがでした」
「園長殿。今朝は黒のアルファード一台と軽トラ一台をやっつけました。横断歩道で停止しなかったゆえ」
 姉が代表して報告する。
「そうなのね。それは良いことをしました」
「しかし……しかしながら、幼稚園バスは右舷後方にミサイルを被弾いたしました。ゆえに大破した模様です」
「そう。それで、怪我人は」
「おりません!」
「まぁ、それはご立派なこと。生きて元気に還ってくることが、なによりの功徳です。よかったわ」


 しかしその幼稚園にも、姉妹は半年とは在籍しなかった。年長だった姉のほうは、あと一ヶ月で卒園というタイミングで引っ越しを余儀なくされ、結局卒園式を経ないまま小学校に上がった。それからまた数年とイッショフジュウの生活を強いられることになり、妹もまた、卒園式はおろか小学校の入学式に出席した覚えもないまま、気がつけば小学生になっていた。

 土日の午前中は、もっぱら父と母による個人授業に当てられた。それは英才教育にほかならず、いま思えば姉妹は幼稚園児であるあいだに小学校で学ぶことの大半を教わり、小学生であるうちに中学校で学ぶことの大半を教わった。それ以外にも、サバイバル術山編・海編なんて講義もあれば、身近にある毒物とその解毒についての講義とか、人体の急所についての講義とか、それに付随する護身術の実地訓練なんてのもあった。姉妹は小学校に上がるまでに、国連公用語による日常会話をマスターしていた。さらには音楽の嗜みとして、ピアノは姉妹ともドビュッシーを弾きこなし、バイオリンはパガニーニの超絶技巧まで難なくこなした。いっぽうで、数週に渡って無言の行を課せられることもあり、そんなときのために習得させられたのは、世界各国の手話だった。
 イッショフジュウのエグザイルであっても、姉妹が新環境で勉強や運動やにおいて、見劣りするどころか大活躍だったとは、想像に難くない。この世が公平にできていたなら、そうであっただろう。しかし姉妹は、いたずらに人の注目を浴びることを自戒し、おのれの持てる能力の半掛けぐらいで臨んだから、特筆すべきことなどなに一つない、当たり障りのない生徒として集団に埋没することにこそ成功した。二人とも小学生になると、ごっこ遊びに興じて自他を偽ることもしなくなった。彼らの居場所は、おのずと図書館になった。図書館であれば、うるさい連中はいないし、いるのは変わり者ばかりで、彼らがさかんに手話を交わして無言で騒いでいたとしても、誰ひとりクレームめいたこともいわず、放っておいてくれたのだから。


つづく

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