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赤の時間 #後編

 丙午生まれの女は、男を早死にさせる、と言われる。

 干支は古代中国に端を発する暦法上の用語で、暦のほか、時間や方位にも用いられてきた。午の刻は日中を半分に分ける時刻だから「正午」、子は北で午は南で地球の南北を結ぶ線はだから「子午線」、というように、いまでも干支に由来することばは身近に少なくない。ちなみに「甲子」から始めて九年後は、十番目の干と十番目の支を組み合わせて「癸酉」となり、翌年に干は「甲」に戻り、支は十一番目のそれと組み合わさって「甲戌」となる。二十年後が「甲申」、三十年後が「甲午」、四十年後が「甲辰」、五十年後が「甲寅」と、「甲」と組む支が十年ごとに十一番目、九番目、七番目……と飛び石にさかのぼり、だから10×12÷2で六十年後に「甲子」に戻り、これを暦が還るとして「還暦」と呼ぶ。「甲子」といえば甲子園だが、これなんかも、落成した年の干支に由来する。

 丙午の年に火災が多くなるとは、とりわけ江戸時代に取り沙汰されたらしい。
 これまた古代中国を起源とする陰陽五行思想と縁浅からずで、十干の甲、乙、丙、丁……は訓読みすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと……となり、五行の木、火、土、金、水と、陽を表す「え」と陰を表す「と」が十干に規則的に割り振られていく。十二支にはまた独特な規則性でもって五行と陰陽が割り振られ、「午」は火の陽とされる。よって「丙」は火の陽、「午」もまた火の陽で、このように干支の陰陽五行が重なることを「比和」というが、同じ気が重なれば、その気は盛んになるというところから、丙午の年には火事がはやるとされたようである。

 ここに、歌舞伎や文楽で知られる「八百屋のお七」をめぐる流言蜚語が加わって、江戸期の終わりまでには丙午生まれの、殊に女は誠に分の悪いこととなった。
 丙午の女は気性が荒く、男を「食い殺す」などという俗説の出どころを、井原西鶴とする意見が一部にあるようだが、西鶴の名誉のためにいっておくと、実在したとされるお七を題材にとった『好色五人女』巻四「恋草からげし八百屋物語」の女主人公は、天和三年(1683年)に火刑に処され、そのとき齢十七としているから、生まれは寛文八年(1667年)で、丙午(1666年)とはならない。お七を丙午生まれとしたのは後世の脚色で、文楽・歌舞伎へより悲劇性の高いそれに変奏した紀海音の『八百屋お七恋緋桜』をもって、その嚆矢とするのらしい。

 このあたりの消息は、wikipediaの「八百屋のお七」の項に詳しい。ただ、wikiでは西鶴のお七の享年を十六としているが、原文に「……毎日ありし昔のごとく、黒髪を結はせて、うるはしき風情、惜しや十七の春の花も散り散りに……」とあり、享年は十七が正しく、数えだから、天和三年(1683年)より十六年さかのぼって生まれは1667年となる。ちなみに逝去の年を天和三年と確定するについては、八百屋八兵衛一家が焼け出されて駒込吉祥寺に難を逃れる原因となるのが「天和の大火」で、これの発生年が天和二年(1682年)だからで、お七の火刑はその翌年に執行されるのである。

 西鶴のお七は火の見櫓に登らない。よって半鐘を鳴らすこともしない。契りを交わした寺の小姓に会いたさに、火事になればまた駒込の寺に寄宿するとなって会えるやもと、そこは十六の幼い頭脳の浅はかさ、「それとはいはずに、明け暮れ、女心のはかなや(焦がれる想いを人に打ち明けられずに日に日を継いで、女心のはかなさよ)」やむにやまれぬ思いでとうとう付け火して、火はすぐに消し止められてボヤにとどまるも、火付けした者は、結果はどうあれ火刑に処せられる。
 かの悲恋物語をスペクタクルに移植するについて、映画ならまだしも、舞台となれば、西鶴版はいかにも見せ場に不足する。それで、お七が想いを寄せる吉三郎を由緒ある武士に仕立て、お家騒動やら敵討ちやら宝刀探しやらのドタバタに投げ込んで、そこへ愛する男の窮地を救うべく、天女と謳われた美しきお七が颯爽と現れ艶やかなる衣装着て火の見櫓を登って半鐘打って助太刀をする、とまあ、派手の極みのような物語に変ゲするに至った。ちなみに平時に半鐘を鳴らすのも重罪だったから、女心の捨て身のはかなさは、かろうじて温存されもする。
 このような変遷をたどるについて、wikipediaは、火付けが主題になることに幕府が敏感だったこと、芝居小屋が火事で焼け落ちることも稀でなく火付け自体が興行側から忌み嫌われたこと、そして「陰でコソコソ行う」放火の演出自体が難しかったことの三点を理由に挙げるが、これに加えて、この物語が体制批判の火種にならないともかぎらないと懸念されたからとも推察される。
 というのも、西鶴の筆がお七の不憫さを切々と綴る場面で、「……けふは、神田のくづれ橋に耻をさらし、又は四谷、芝の淺草、日本橋に、人こぞりてみるに惜しまぬはなし、是を思ふに、かりにも人は、悪しき事をせまじき物なり、天是れをゆるし給はぬなり……」などと市中引き回しされるお七の罪と罰との道理をわざわざ説いてみせるあたり、ある種の目配せが感じ取られるからである。浅はかさのなせる業にて、そこに情状酌量の余地もあろうのに、体制の硬直した厳罰主義がいたずらに悲劇を生んでいる、と大衆の感性が仮に傾けば、こんな小さな物語でも、もとい、こんな小さな物語だからこそ、体制に対する日頃の鬱憤不満に形を与える契機ともなりかねないわけである。「お上の事には間違いはございますまいから」と、お七をして暗に語らせることだけはすまいとする配慮をそこに見る気がするが、どうか。

 ところでこの度「丙午」を調べるついでに西鶴『好色五人女』の原文に接する機会をたまたまに得たのは、なににも替えがたい僥倖であった。たとえば恋の馴れ初めの場面。これが男の棘抜きであったとは、浅学にして知らず。

……母人見かね給ひ、ぬきまいらせんと、その毛貫きを取りて、暫くなやみ給へども、老眼のさだかならず、見付る事かたくて、気の毒なる有さま、お七見しより、我なら、目時の目にて、ぬかん物をと思ひながら、近寄りかねて、たたずむうちに……

「目時」とは、「視力の強い年頃」の意だという。まずは、老眼の年増の母親が若い男の棘の刺さった指先をどれどれと覗き込む。それをわたしは目がいいから声をかけてもらえれば、とはたからヤキモキして二人を見ている若い女。なんとも匂い立つような演出ではないか。
 また、募る恋心にやむにやまれず、難民の寝静まった時分、抜き足差し足して男の部屋へお七が夜這おうとする場面、雑魚寝する下女の腰骨を踏んづけてしまって、「……それを乗り越へて行くを、此の女、裾を引きとどめける程に、又、胸さはぎして、我留めるかとおもへば、さにはあらず、小半紙壱折、手にわたしける、さてもさても、いたづら仕付けて、かかるいそがしき折からも、気の付きたる女ぞとうれしく……」とあって、これなんかは要はことの前におぼこにティッシュを持たせる手練れの配慮が描かれているわけで、濡れ場を生々しく再現するのとは趣きの異なるリアリズムとエロティシズムとを醸成して、読んでいてなんとも嬉しくなってくる。
 火刑の場面はこうである。

……入相の鐘つく頃、品かはりたる道芝のほとりにして、其の身はうき煙となりぬ、人皆いつれの道にも、煙はのかれず、殊に不便は是にぞ有ける、それはきのふ、今朝みれは、塵も灰もなくて、鈴の森、松風ばかり殘りて、旅人も聞きつたへて、只は通らず、回向して、其の跡を弔ひける、されは、其の日の小袖、郡内嶋のきれぎれ迄も、世の人拾ひもとめて、すへすへの物語の種とぞ思ひける……

 夕時を刻む鐘が鳴り、品川は刑場の鈴ヶ森で、お七は火刑に処されて翌日には塵も灰もなく、最期に彼女の身につけていた郡内縞の小袖の焼け残りを人々が拾い求めたというのも哀れより凄まじいが立つところだが、しかしここにも西鶴一流の脚色はあって、江戸の火刑は塵灰となるまで罪人を焼くことはなく、品川の海風に煽られ大になり小になりする炎に炙られ阿鼻叫喚の末に絶命すると、中途で火は落とされて、止め火と称して男は鼻元と陰嚢へ、女は鼻元と乳房へ松明を当てられて仕舞いとされ、生焼けの遺骸は刑場の隅に打ち捨てられたという。

 最後に余談だが、「振袖火事」というのは、お七とはなんら関係がない。こちらも悲恋といえば悲恋だが、片恋に悶えて死んだ娘の振袖にその念が移り、棺をくるんだその振袖は遺品として寺に寄贈され、これが売られて若い娘の着るところとなり、ひとたび袖を通すや病いに臥せてその娘は早死にする始末、同じ振袖が同じ寺に寄贈され、やがて巷に出回る同じ運命をたどって、また別の娘のものとなってはこれをとり殺してまた寺に戻ってくる。これが四度続いてさすがに怪なりと住職心付いて振袖を寺の庭で焼き払う仕儀にいたり、火をつければにわかに海より風が立ち、たちまち類焼して江戸八百八町を焼いたとは、小泉八雲のその名も「振袖」に詳しい。
 振袖火事は明暦三年(1657年)に出来した江戸の大火事の別称で、悲恋と火事との組み合わせからどうにも私の頭のなかでお七とごっちゃになるところがあったのだが、このたび調べて、絡まりもようやくほどけるにいたった。
 振袖のほうも異伝・異本のある話で、掘り下げればおもしろかろうが、それはまた別の機会。


 メダカがほしいと妻がいうので、休日に子らを連れて近くにある体験農業用の市営の田圃に出向き、網ですくってそれらしきを五、六匹捕まえてきた。小さな水槽で飼ううち、どうも違うとなって、見るうちにメダカにしては横に長い菱形がはっきりしてきて、それの側面に黒い筋が濃く浮き出てきた。
 それはそれで妻は不満はないようなものの、近頃会えば口を聞くようになったひとまわりほど年嵩の恰幅のいい陶芸家が近所にいて、その家の前を通りがかって立ち話するうち軒先に置いた大ぶりの信楽の蓮鉢のなかを見せてくれて、食い入るように覗き込んでいると、その心を読んでか、増えすぎて困るからお分けしましょうと別に発泡スチロールの容器に移されていた子メダカの大半を、二十匹から持たされたものだからさあたいへん、こちらの水槽には黒い筋のある先客のあることで子メダカが食われては事だし、かといってうちにほかに入れ物はなし、とりあえず鍋やらなにやら取り出してきて応急的な住処をこしらえたが、どうせならうちも陶芸家の軒先にあるような風情のある入れ物で飼いたいとまた妻がいい出して、仕事で外回りするついでに本郷は金魚坂まで出向いて、何焼きとも知らぬが白磁の表に黒と赤の金魚がたくさんに描かれた艶々したひと抱えはあるものを求めてうちに届けさせた。舶来の高級万年筆が一本買える値段はした。
 蓮鉢が届いたところで近くを流れる小川の底土を失敬してきてそれを鉢の底に敷き、水道水をじゃんじゃん流し込んでから、麦飯石を加えた上で日に半日晒し、らしくするため蓮と金魚藻を近くのホームセンターで求めてこれを鉢に植え替えてしばらく放置すると、やがて水は澄んだ。そこへ子メダカばかりを水ごといっせいに放った。

 これが五月の初めのことで、あれからひと月、朝な夕なに蓮鉢を覗き込むのが妻の、そして子らの習いとなった。庭に置けばいいというと、庭は三毛猫の通り道だから、悪さをされると困ると妻が難色を示して、それで蓮鉢は二階のベランダに置いてある。直射日光の当たらぬよう、物干しの下に隠してある。諸々の洗濯物の垂れる下で、妻と子らとがしゃがんで鳩首して鉢を覗き込んではああだこうだと観察をする声が窓越しに聞こえてくる。これを聞きながら休日の遅寝の破られるのが、なんとも心地よかった。

 その変化に気がついたのは小三になる長女で、薄緑色をした細長い predator がいるというのである。水底からゆらゆらと這い上がってきて、水面にいる子メダカを攫っていくと。妻はピンときたらしく、右手に網を構えると、子らとじっと息を詰めてうかがって、水面がかすかに揺らめいたかと見るや網を素早く差し入れて、それを捕まえた。
 ヤゴだった。
 トンボの赤子だが、肉食で、放っておいたら子メダカが絶滅しかねない。たしかに子メダカは数を減らしていた。おそらくは失敬してきた小川の土に、卵が紛れていてそれが孵化したものだったろう。トンボはトンボでも、羽は黒く、胴はメタリックな緑で、蝶のようにひらひらひらひらとはかなげに飛ぶ、ハグロトンボのヤゴだった。藁の切れ端のようにも見えた。
 夫の調べに満足した妻は、ヤゴを殺さずに鉢へ戻した。これも自然だから、と妻は子どもたちに教えるのだった。
 数日すると、蓮の葉の上にヤゴの抜け殻が引っ付いていた。どこぞへ飛んだかは知れぬが、かわいそうに、ここは住宅街、ふるさとの水場はトンボにしてみれば途方もなく遠方にある。

 蓮も大きくなった。
 水面を丸い葉がほどよく覆うものと期待したが、茎がぐんぐん伸びて葉はみな鉢の上へ、鉢の外へと飛び出していく。これでは風情もなければ日除け熱除けにもならないと不満をいうのは夫ばかりで、妻や子らはそれはそれでおもしろがっいる、こんな蓮もあるのかといって。

 梅雨入りの声も聞こえてきそうな、雨風の割合の日増しに多くなる時節、蓮の葉の縁がところどころ破れているのに妻が気づいて、それをまずは次女の仕業とした。しかし四歳児はちがうと首を振る。明くる日、蓮の葉の中央にも破れの線が見えて、これはと葉を裏返すと、ひたとひたと水に触れるそこに、一匹の青虫が隠れていた。蓮の葉に卵を産みつけたのがいて、それが孵ったようである。
 青虫がいる、と夫に報告し、夫は早速確認しにいって、いかにも青虫だが、モンシロチョウの幼虫なら食草はアブラナ科のはずで、どうにも腑に落ちない、といった。蓮、葉、青虫、で検索すると、ヨトウムシ、ミズメイガといずれも見目麗しからぬ蛾の類がヒットして、これの幼虫かもと写真を示されて、妻は苦笑いをした。ささやかなビオトープが形成されたことを喜んで、蓮は食われるにまかせるつもりだったのが、それが醜い虫の幼虫と知らされるなり、たちまち変節するようだった自身の鷹揚な心をいぶかったのだ。早いところ駆除すべきだと言われながら、数日放擲したことに、そのためらいは表れていた。
「青虫、どうしたの」
 聞かれて、
「ああ、まだいるよ。殺すのは忍びないし、かといってどこに捨てたものか」
「庭なんかに捨てたら、庭の草木が食われるからね。屋根の上に放置しておけば、いずれ干からびるか、鳥が食うかするよ」
「そうだね」

 青虫、まだいるね。
 蓮鉢の縁にしゃがみ込んだ学校帰りの長女がいい、後ろから覗き込んだ次女も、まだいるねえ、と口をそろえる。長男はあまりビオトープには関心を示さず、ひとり食堂にいてiPadなんぞをいじっているものだろう。
「兄ちゃん呼んでおいで」
 いわれて我先にと長女と次女が家うちに入って廊下を抜け階段を駆け降りる。呼ばれれば素直に来て、なになにと好奇心あらわにするのが、息子のまだ擦れていないところだった。
 子らが三人鳩首して葉をめくり、一段と太った青虫を認めてさてこれの処分をどうしたものか口々にいい合う。アサガオを育てたときのプラスチックの鉢がベランダにそのままになっていて、これの蔓の支えの棒が手頃と見て、妻はそれを鉢から引っこ抜くと先っぽで青虫をいらって、どうにかそこへ這い登らせて、高々と掲げた。
 どうするものか、固唾を飲む子らの注視に圧されて、夫の忠告など白々と明けてしまった。気がつけば、庭のほうへ棒を振っていた。
 ひと振りで、青虫は消えた。

 東の空のまだ明けやらぬ時刻、平日の日課で妻は家を出る。近くの公園内を一筋に縫う小川を横切って、園内ぐるりを巡ってまた小川を横切って、かれこれ三キロの行程をこなす。わずか三十分足らずの不在だが、時折次女が起き出して、母親を遅ればせに追って部屋を飛び出してくる。泣きながら廊下をととと、と走って、なんの応答もないとわかると、途方に暮れるようで、立ち止まって薄闇のなかでしくしく泣き始める。異変に先に気がつくのはいつも長女で、これがあとから起き出してなだめすかす。早起きの同居の年寄りたちは、二階のこのにわか騒動に気がつくのは稀で、長女の優しげな声が耳に触れ、ぐずる鼻声がそれに続いて、ようやくこちらの眠りも破られる。
「おいで」
 父親の寝室に招かれて、次女は素直に布団にくるまれることもあるが、拒むことも少なくない。そんなときは東に向く出窓に取りついて、それ自体がひとつの生き物であるような、収縮と膨張を繰り返しながら移動する椋鳥の群れを見つけては指差して気を紛らせなどする。なにやら父親が蘊蓄めいたことをいい出せば、それが三歳児の頭脳の理解を超える小難しい内容であったとしても、聞き入って時折は質問などはさむところがなんともいじましい。
 四歳になってからは、あまり母親の不在に驚かなくなったようである。起き出すことはあっても、泣いたりはしなかった。長女となにやら廊下でことばを交わして、寝室におとなしく引き返すようである。

 その未明、珍しく次女が泣きながら部屋を飛び出した。こちらは寝入りばなで、どうした、とひと声かけて扉を開いた。薄闇に子どもがふたり、ぴたりと腹合わせになって、大きいほうが小さいほうの頭をしきりになぜていた。聞けば、怖い夢を見たという。おいで、といざなうと、二人して素直についてきた。ママは走りにいった、という。息子はなかなか太い眠り方をする人で、こういうときに起き出すことは一度もなかった。
 怖い夢を、次女も長女も見たのだという。内容はよくも思い出せないが、誰かに手をかけられる夢だったといった。思い当たることとして、連日のように山梨県某町で数年前に行方不明となった女児の遺留品やその子の骨と思しきが見つかったとテレビで報じられていて、その報道を観たせいかもしれない。
 ベランダ側の引き戸を開いて、三人して外に出る。戸外はまだ朝方は肌寒い。洗濯物は干されておらず、足元には信楽の蓮の鉢。青虫は、と尋ねて、二人の口からことの顛末を知った。まあ、害虫扱いしてむやみやたらと殺すものではないから、と慰めて、次女を胸元に抱き上げた。もう四歳ともなると、容易には抱きかかえられないような大きさ重たさである。生まれたときは月満たずで、生まれた我が子を見下ろして、思わず、「ちっさ!」と夫が叫んだと、これがもっぱら次女の誕生にまつわる妻の語り草だが、この子なりに大きくなったわけである。

 そろそろ朝焼けが来るね。なぜ朝夕の空は赤く染まるのか。プリズム現象といって、こんな三角の断面をしたガラスの棒に光が差すと、ガラスを出るさいに七色に分かれる。虹は、空気中に舞う水滴がこのガラスの役割を演じてできる典型的なプリズム現象だ。青が屈折率が大きくて、赤が小さい。青はよく曲がり、赤はあまり曲がらないということ。それで七色に分かれると赤と青が両端になる。青はこの場合、厳密には紫だけれど。ちなみに赤の外にある見えない光線が赤外線で、紫の外側の不可視光線が紫外線。
 お空が青いのは、地球を取り巻く大気がレンズの役目を果たして、よく曲がる青の光線が地球の隅々まで拡散するから。いっぽうで太陽が地平線にあるときは、青の光線は大気に弾かれるように曲がってこちらには届かないけれど、あまり曲がらない赤の光線は届くので、それで朝焼けも夕焼けも赤く見える。月蝕の満月が赤く見えるのも、地球の大気を通過してあまり曲がらない赤い光線だけが月のおもてに届くから。赤い月を、海の向こうでは blood moon、 「血の月」というよ。

 長女も次女も、寝巻き姿のまま、東のほうにじっと視線を注いでいる。夜が白々と明けてきて、東の彼方からこちらへ密集する家々の屋根の稜線から、いまにも光が放たれようとしている。この一瞬のしじま、私は心に、青の時間、とつぶやいている。
 鳥がどこかで小さくさえずった。追うようにして別の鳥のさえずりが聞かれて、いっせいに花開くようにしてあたりは賑わった。ついに曙光が到来する。東の端が、赤々と滲み出した。まるで、血のようにも赤い、赤の時間。
 長女が独り言のようにいう。
「ママ、大丈夫かな」
 空いた片方の手で小さな肩をつかんで抱き寄せる。震えている、そう感じて、おのずと手に力がこもる。
 気がつけば、こちらの胸に抱かれている次女の頬を涙の筋が伝っている。
「ママが、かわいそう」
 そういって、おびえて私の首に抱きついた。

【参考文献】

井原西鶴『好色五人女』(江本裕・全訳註) 講談社学術文庫

小泉八雲『怪談・奇談』(平川祐弘・編) 講談社学術文庫

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