見出し画像

*チャネリング練習・トヨウケビメ&コノハナサクヤヒメ* 『機能不全の家庭で親を愛そうと、苦しまなくていい』


みなさん、こんばんは。

for Venus.のわかなです☺

本日もtwitterでお世話になっている愛美さん(@MANAMI82614555)の投稿から着想を得て、チャネリングの練習をしました。

機能不全の家庭について。

わたし自身の父に対する想いを整理する内容にもなります。


愛せないものを、無理に愛そうとしなくてもよい。

それが例え親であったとしても。


守護神であるトヨウケビメと、

ガイドであるコノハナサクヤヒメの二人から

メッセージをいただきました。


本日のテーマ『機能不全の家庭の親を、愛せなくてもいいということ。』


豊「親を愛せないということが、なぜ深い苦しみとなるか理解できますか?」


わ「仲の良い、穏やかな家族、愛し合う親子に憧れがあるからですか?」


豊「親を愛すべき、敬うべきであるという文化が、あなた方の国に深く根付いているからです。

年功序列の文化、年齢が上のものは必ず立てなければならないという風習が根強く息づいてきたのが、この日本という国です。

齢を重ねればそれだけ賢く、人間性が優れているという訳ではないにもかかわらず。

この国は(地球は、と言ってもよいでしょう。)、長きに渡り男性性を主軸とした社会を構築し、

家庭内にすら縦社会というシステムを取り入れてしまいました。

ゆえに男親を敬愛しなければならない。

子から見れば、女親である母も自分より上の立場ですから、

同様に敬わなければならない……という

理想の皮を被った社会的圧力が存在するのです。

あなた方は生きる限り、或いは所属するコミュニティによって、その圧力を肌で感じながら日々を過ごすことになります。

そうしなければならないのだと。

しかし実際には、尊敬に値する養育を受けていない子の魂は

親である彼らが敬愛に値しないことに気がついています。

ここで、男親に対する葛藤と、

女親に対する葛藤とでは、心の反応が分かれてきます。


母と子の魂は、子の生存を掛けて魂同士が愛の周波数で結ばれます。

ゆえに子は母を強く求めます。

母はごく自然にそれに応えることとなるのです。

しかし、魂ではそうして愛し合っているにも関わらず、

肉体の次元で、魂が望むままに愛を行うだけの経験値が母親に備わっていなかった場合、

子は、愛する者に愛されなかったという

愛の喪失を体験することとなるのです。

この傷は深く、今後、愛ある関係を他人と築いていくための原型が損なわれることとなり、

多くの失敗と教訓を経て愛し愛されることを知るという

困難の多い人生を歩むこととなるでしょう。

母との関係が安らかなものではなかったという幼少期の体験は、

愛の喪失という点において、人にとって大きな悲しみであるのです。


では、男親の場合はどうでしょう。

父の場合、誕生と同時に互いの間に愛が通うことはありませんから(※父親が出産の場に居合わせ、子が愛するに値する人間性を持ち合わせている場合は除く。)、

男親が共に愛を学ぶ仲間として子を受け容れなかった場合、

魂と体の間にすれ違いは生じないことになります。

つまり、種を蒔いただけの存在を、

子が親として認識し愛することはできないのです。

ここに成立するのは、父親の裏切りではなく、

『動物的ではない、人間としての父親の不在』ということになります。」


わ「違いがよく分からないのですが……。」


咲「母に対する悲しみは、愛する者に愛されなかった悲しみ。

父に対する悲しみは、他者として愛することの出来る存在がそもそもいなかった、という悲しみになるわね。」


わ「その違いは人生に何か影響するの??」


豊「します。」


わ「愛されない悲しみは、女性性の、愛の受け取りの傷? 

愛する対象を見つけられなかったというのは、能動的な愛……愛するということの傷ですか?」


咲「その通りね!」


わ(難しい……。この問いはどこに向かっているのだろう。)

わ「母から愛されなかった場合、愛している人から愛されなかったという傷が心に残る。

父から愛されなかった場合、初めて対面する他者を愛そうとした意思が挫かれる?」


豊「一から愛を築く体験を損なわれる、と表現した方がより正確ですね。

母親、父親との愛ある関係の築き方にも、

陰と陽の性質が適用されるのです。

そして、この男性性が優位となっている現在の地球では、

子育てについて非協力的な男親が多く(望まない妊娠、性犯罪による妊娠出産も含む為。)、

母親の周囲に、親密な関係の、頼りになる他者が他にいない場合、

子は、一から愛を育み、

母親以外の他人と親密な関係を築く、という体験の原型を喪失します。」


わ「混乱します……母は母であり、父は他者となるのですか?」


豊「生まれたばかりの子にとって、母と自分とは未だ一体の存在です。

それほどまでに子にとって生きるためには必要不可欠な存在、

それが母親です。

しかし、昔からある程度の人が集まり、それぞれに担うべき役割を分担して、支え合い、生きてきた人間にとって、

幼い子の視点からすると、父親という存在はそこまで必要不可欠なものではないのです。

しかし、ごくごく身近な存在であることは確かです。

これを愛してゆく体験というのは、魂にとっては大きな学びとなるのです。

殆ど自身と一体であるかのように感じている母の次に近く、

それでいて少しだけ距離のある、初めての他者。

それが父親です。」


わ「世界で、多くの人が愛することを知らず、真実に愛することに恐れを抱くのは、

自分の望みばかりを優先して子や家族を顧みなかった、

自主的で能動的な愛(父親)の不在、その映しということですか?」


豊「子どもの頃に親から授からなかった愛の形を、

全くの他者と一から構築していくことは、経験が不足しているという点からも、非常に難しい課題と言えるでしょう。」


わ「ニュアンスの違いが繊細で、とても難しいですね。」


豊「愛されなかった悲しみは、受動的であり、女性性・陰の性質のさみしさです。

他者を愛するという体験を挫かれた悲しみは、

男性性・陽の性質の傷つきであり、勇気を出したのに報われない体験として残る、ということです。」


咲「どちらにせよ辛いことではあるわね。

しかし、もう気付いているでしょう?」


わ「はい。」


咲「男性性が女性性の学び、つまり他者と協調することを深めることによって、この地球はより生きやすい星となるでしょう。

もちろん、女性性の魂も、男性性の学びは必要だけれど、

殊、子を育てることに関しては、

人間に必要なのは『人間になること』なのよ。

分かるかしら?

種を蒔くだけならば、動物と同じなのよ。

しかし、そこを越えて慈しみ合い、支え合うことに挑戦しているのが、人の魂というものなのだから、

父親は母親を守り、子も守りなさい。

そんなことも出来ない男なんて、男じゃないわね。ふふ♡

出来ないなどと柔で不実なことを言うのなら、自分のDNAをこの世に残せぬことを当たり前と受け容れなさい。

出産直後の母子は弱い。

守れぬ男など不要です。

また、女も見る目を養い、そんな男を選ぶことは止しなさい。

物質的なことだけではなくて、精神的にも家族を守ろうという気概のない男の子どもを身ごもるなんて、下手をしたら飢えて死にます。

体だけではない。心が死んでしまうのよ。

共に生きるとは、心を合わせて生きること。

その決意を固め、夫婦の絆を深め、子を産みなさい。


子は『欲しい』と望んで得るものではない。

自分を整え、環境を整えてから、

『ここでひととき預かり、育てます』と、授かるものよ。

人は人の命を所有することは出来ないの。

欲しいと望むのならば、万全を期しなさい。

それがこれから生まれてくる子に対する愛というものよ。

愛とは気持ちだけではない、非常に現実的なものなのです。


わ「豊ちゃん、さっちゃん、有り難うございます。……この場合、その準備ができないままに家庭を築いてしまった機能不全の家族の中で、親を愛さなくてもいい、という理由は?」


豊「父親の場合、初めから愛していないからです。」


わ(わぁ……。)


豊「愛の周波数によって結ばれておらず、あちら側に愛を育むつもりも毛頭無いのですから、無理に愛そうと努力しなくて構いません。

子が真実に父親を愛し、敬うとき、父親からの愛は歴然としています。

それはとても分かり易いものですよ。

動物的な本能を超えて成熟した一人の人間としてどのように在ればよいのか、それを知っている人格者ということなのですから。

生存のためにはじまりに愛で結ばれる母親とは、魂の関係性が異なるのです。

心から愛されていれば、愛することは容易い。

母と子に匹敵する愛を、十月十日腹の中で育てたわけでもない、まったくの他人として別個に存在している人間が、注げるのですから。

それが初めての他者である父親という存在です。

それが現在の地球でどれほど尊い贈り物であるか、あなたなら分かるでしょう?」


わ「はい…。」


豊「母親の場合は、ただ、無理をするのは止めなさい。

社会の常識が『母は尊び、愛するべきだ』と、仮に、言ったとしても、

赤ん坊が無事に生き残るために必要な愛の結びが、

魂同士では成っても、体のレベルでは上手く果たせなかった場合、

母と子、それぞれがそれぞれの道を歩みながら、心を成長させ、

いつか分かり合い、愛し合える日が訪れるまで、

様々なことを経験し、自分自身の内側に愛を育むしかないのです。


傍に居るのに愛し合えない、という、悲しみの中に留まることは、もう止しなさい。

さみしさの外へ行きなさい。

母との愛はこの人生の出発点に過ぎません。

もちろん、それが穏やかなものであり、いついかなる時も励ましとなったなら、あなた方はどんなに心強かったことでしょうか。

しかし、その灯火が与えられなかった人生でも、

あなた方は自らの足で自分の道を歩んでいかなければならないのです。

自分で始め、愛を知りなさい。

その為に生まれてきたのです。

自分の望みを知り、試し、人々と関わる中で、愛とはこのように人々の間を流れていくものであるのだ、ということを、

よく見て、聴いて、体で感じ、学びなさい。

そうやって成長を重ねたあなた方の近くには、

同じようにして人生という道を歩んできた人々が現れることでしょう。

愛が導く方向を目指したなら、その場所には、

自らを信じ、愛を行うことを信念に掲げた者同士が集まるのです。


愛し合えなかった親を愛さなくてもよい。

愛の学びはそこだけではないのだから。

出発点が暗い場所だったからと、絶望し、諦めるのは止しなさい。

卑屈になるのも止しなさい。

あなた方の前に未来はいくらでも開けている。

それを信じ、進みなさい。」


わ「豊ちゃん、ありがとうございます。大好き。」


豊「私もよ♡」





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?