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『かわいそう』という同情はナイフのように傷を抉る
引きこもり歴が実年齢の半分以上、灰色の青春、就労経験ゼロ。高校中退。障害者手帳2級。この経歴を持つ私は、傍から見たら可哀そうな人間なんだと思う。実際に、腫れ物を触るような感じで接せられることもよくある。
今回は、同情から生まれる痛みについて考えてみた。
「うまく言葉を伝えられないなんてかわいそう」「どうにかならないかな」
この2つの言葉は、私が福祉センターで、とある利用者に向けて言ってしまったことだ。その利用者さんは、病気でうまく意思を伝えることができない病状の方だった。するとお相手は、苦々し気にこう漏らした。
「本当は心配なんかしてないくせに。同情なんていらんのよ」
当時の私は、何も思わなかった。具体的に、私から相手に何かをできた訳でもない。結局、同情している自分に酔っていただけだったのだ。
双極性障害になった時に、逆にその相手からこう言われ、ハッとなった。
「本当の自分が分からないって、かわいそう」
「支えてくれる彼女がいないの、かわいそう」
この時最初に怒りがきたが、その後冷静になって私は自分の犯した過ちに気付き、先に同情した自分が悪かったと相手に謝罪をして仲直りをした。
可哀そうだということは、結局余裕があるから言えること。つまり相手をどこか上から目線で見下すということなのかもしれない。
今回の一件で相談をしている人間に対して、具体的なアドバイスよりもやってはいけないことが、この同情なんだと私は学んだ。
少なくとも、精神病の患者にはしてはいけないタブーであることは間違いないだろう。
生きていれば勉強、お金、家庭環境、交友関係などの様々な悩みは出てくる。
その悩みに付随して世の中には、数多くの『かわいそう』が溢れている。
同情は、時に上から目線の親切の押し付けになりうるのだ。
とはいえ、辛い目にあっている人に普通に接すればいいのかという見極めもまた難しいものである。結局、「うん、うん」「辛かったね」
ぐらいに相槌をうつぐらいしかできないのかもしれない。
いずれにせよ、私はこの件で反省をした。会話する相手を無意識に傷つけないようにしたいものである。
同情する人間よりも、同調できる人間の方が魅力的である。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
生きることすら辛い世の中です。だからこそ、支援して下さる方々のサポートを、有難く受けとります。