出来事と自分の価値
本日、福岡大雨
なんなら特別警戒警報をLINEで受け取った
私の通勤路線は全然普通に動いていた
なのでそのまま出勤したところ本日休講(研修中)と社員さんに通知され今に至る
今、外が思いの外土砂降りになったため
会社一階のロビーでこの文章を書いている
確かに電車思ったより空いてるなと思ったし
博多駅では改札前の人だかりに駅員さんが何やら説明していたなと
なんなら、窓に映る自分を見て『わたし、ちょっと痩せた??』なんて呑気なことを思っていた
昔の自分であれば、なんで連絡ないん?と腹立たしく思っていたところだ
何なら『怒り』を表現、発散、認めることが苦手だった私は
過ぎ去ったことを思い出しては怒りがおさまらないが、もうどうすることもできない怒りを嫌な後味と共に持て余していた
心の探究をする中でこれは
自分の価値=出来事
という方程式が引き金になっているということを知った
よくない事が起こると、全部自分の所為だと思い
『私悪くないもん!!!』という正当化、自己防衛から怒りが沸き起こってくる
一時が万事、塞翁が馬『被害者』と言う立場に居続ける事を無意識で選択していた
『被害者』という立場から抜け出た時、
人生色んな物事において抵抗が減る
抵抗が減ると摩擦が減る
日々起こる出来事や人間関係においてこれが減っていくと言うことは私にとってかなりのストレス軽減になった
嬉しい、楽しい、幸せという感情表現がまだまだ苦手な私にとっては『ストレスが減る』と言うのがとてもわかりやすい指標だった
その為にやってきたことは、ひたすら自己対話をし、どこまでも本当にどこまでも自分に許可を出し続けること
それは今でも変わらない
自分の価値=出来事
の方程式をもって社会に出るとしんどい思いをすることが多々あると思う
私は接客、サービス業をずっとしてきているが
やはり『お客様に喜ばれること』をよく言われる
上記方程式をもった状態で、他人からの評価が基準の中に入るとする
他人からの評価が得られない時、自分の価値が地の底まで落ちていく
そんな人生楽しいはずがない
それで働くことに楽しみややりがいを見出すなんて到底無理だと実感している
まずは自分の土台があってこそ
誰かに喜んでもらうのは嬉しい
だけど、それはオマケだ
喜んでもらえたらラッキーくらいのもの
頑張って空回りし続けた自分に
「逃げても大丈夫」
を今なら言ってあげたい
そして、雨も止んだので、今からのんびり家に帰ることにする
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