皮肉が言えるようになりたかった

言われっぱなしがイヤだった

でも、むーー!!言葉にならない

胸にあるこのエネルギーが言語化できない

そういう思いをたくさんしてきた

そういう人にさらっと返して優雅に去るみたいな?そんな自分になりたかった

悔しかった

皮肉も言えないなんてまだまだ子どもだなー私、大人になりたいー!!なんて思ってた。(皮肉がすぐ思い付くのが大人というわけのわからない発想(^^;)

同時にユーモアのある人にも憧れた

いつでも、まわりとちょっとだけ視点が違って、でも遠すぎず、ふふふって笑いが起こり、口数は少なめでも、ピリピリした雰囲気も、一瞬でほんわかする空気に変えてしまうようなひと言を言える大人になりたかった。

そんな理想の自分になれない私をダメだなーと何度も思った。

でも共通してることは、言語化するということ。

自分のここにあるモヤモヤをただ突き止めたかったのかもしれない

言葉探し

ここにあるモヤモヤを、より的確に表現できる言葉と結びつける

ビンゴ!!のときのなんとも言えない高揚感、恍惚感、達成感

そうやって意識していくうちに、「自分」というものが客観的にわかってきた

人に理解されたいわけじゃなかったーー

わかってほしかった相手は私だ!!

なんかすごい気づきだった

人に私のここを言語化して伝えてわかってほしかったんじゃない

ほんとうに望んでいたことは、私が私をありのまま捉えること、把握すること、認識してあげることだ。

渾沌としたたくさんの可能性たちが渦巻いているここの内側で起きていることを、無意識にあるがまま漂っていてもらうことじゃなくて、意識化すること。

言葉にすることは、ピントを合わせて、意識化する作業。

自分が自分のことを意識してほしかったんだ。注目してほしかったんだ。まわりばかり気にしてたから。

まわりにどう思われるかの受身の視点で自分を位置付ける目ではなくて

まわりありきの、相手の反応の副産物としての私じゃなくて

副産物の前にすでに存在しているはずの「ここにあるもの」からの視点で

「根源、発信元」からの眺めで

ただ見守って、エールを送ってほしかったんだーー

それを求められていたんだ、自分が!!他者は関係なかった。

私が私に求めていたことは、厳しい指揮官をあちこち張り巡らせて監視して、あーだこーだ人と違うから~というようなケチつけたり、アラ探しさせて、まわりと同じような振る舞いができるように直させてそつなくこなせているように表面上を取り繕うことじゃない。

こんなに危険がたくさんあるから行かないほうがいいですよ、と無難な道ばかり勧めようとする執事がほしかったわけじゃない。

やりたいことを応援してくれて、否定することなくでもその都度想定されうる危険を伝達した上で、肯定してくれる人材がほしかった。

自分に対して、そういう自分になろうと思った

いろんな人材を抱えてひとつの体を運営している社長はこの私なんだった、忘れていたわ

みなさんのそれぞれの道を応援しています✨