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書籍の「あとがき」について考えてみた。

フォレスト出版編集部の寺崎です。

いま進めている11月新刊『経営×人材の超プロが教える人を選ぶ技術』という本の著者の小野壮彦さんから、最後に添える「あとがき」の原稿が届いたのですが、これがめちゃいい原稿で、「よっしゃ、この本イケるぞ!」と興奮している次第です。

書籍のあとがきって、おまけのようなものに思えるかもしれませんが、「読者の読後感の醸成」という意味ではたいへん重要な役割を担っていると考えています。

「読後感の醸成」なんて難しいワードを使っていますが、要は著者のことを好きになってほしいのが「あとがき」です。

ビジネス書はともすると、著者自身が体験したことから編み出されたメソッドが中心となることが多いが故に、「著者が偉そう」な感じが意図しなくても本編からにじみ出てしまうことがあります。

これって、著者が偉そうなわけではなく、受け取り手の側の問題なのですが、そりゃ、情報量、体験の量と質でいえば、読み手が圧倒的に弱く、著者が強いわけなので、著者さんのほうがステージは読者より断然上になってしまうのは必然です。

でも、それでも、ステージから降りて私たちに語り掛けてほしいというのが、読者の本心です。

そこで、著者に「あとがき」を書いてもらうときに、いつもお願いしているのが次の4点です。

①著者のパーソナルな人となりが伝わる内容
②できれば失敗談を入れてほしい
③エピソードを中心に
④読者へのあたたかなメッセージを込めて

そうした観点から、優れた「あとがき」の事例を探してみました。

ちなみに「おわりに」も「あとがき」も同じです。

「はじめに」→「おわりに」
「まえがき」→「あとがき」

こういう対応関係にあります。

読者を泣かせる「共感寄り添い型あとがき」

愛情不測の親なんかいない!
その日にできる限り精一杯やったら、
それは”その日の100点”なんですよ

 本書を手にしていただき、ありがとうございました。
 最後に、皆さんにどうしてもお伝えしたいことがあります。
 それは、「愛情不足の親なんかいない!」っていうことです。
 もちろんニュースで話題になるような極端な例をのぞきますが、愛情不足の親なんか、絶っっ対に!!!!いないんです。
 なぜそれを言いたいかというと、お友だちにかみついちゃったとか、いわゆる問題行動と呼ばれる行為をお子さんがしてしまうときがありますよね? そんなとき、まわりから「それは愛情不足が原因だよ」と言われたり、もしくは、子育て本を読んで、「私、愛情不足だったかも」と思って、悩んでしまったりする方がいます。
 でも僕は、「そんなわけないでしょ!」ってことを強く言いたいんです。
 だって皆さん、一生懸命やってるじゃないですか。
 家事もあったり仕事もあったり、そのほかにもいろんなことがあるなかで、ご自身のしたいことも我慢しながら、子育てされていますよね。
 その状況を「愛情不足」なんて言われたって、じゃあそれ以上どうすればいいの?「やりたいことぜーんぶやめて、子どもに24時間365日つきっきりでいるしかないんですか?」ってことになっちゃうじゃないですか。
 あなたがどんな思いで毎日生活して、子育てしてるのかをなーんにも知らない人に「愛情不足」なんて言われたとしても、そんなのまったく気にする必要がないんですよ。

『カリスマ保育士てぃ先生の子育てで困ったら、これやってみ!』より

こんなアツい書き出しで始まる「おわりに」が収録されているのが、10万部突破のベストセラー『カリスマ保育士てぃ先生の子育てで困ったら、これやってみ!』(ダイヤモンド社)です。

なかなかエモーショナルですよね。これって、子育て中のママパパなら、めちゃ共感しきりの文章です。子育てで真剣にお悩み中のママなら、ちょっと泣いちゃうかもしれません。

読者に共感を寄せた、いいあとがきの典型ですね。

「俺がエビデンスだ!型」のあとがき

 今年で、私は53歳になります。
 祐天寺にあるクリニックで多くの患者さんを治療させていただき、週2回ほど、地方の病院に診療に向かいます。
 また、テレビドラマの監修や収録、講演会、新聞や雑誌の取材など、おかげさまで多忙な毎日を送っていますが、ここ数年は「疲れが溜まってどうしようものない」という事態に陥ったことがありません。
 風邪をひくこともほとんどなく、体調が悪くなるということさえあまりないような気がします。おまけに、代替医療をはじめとするさまざまな物事への興味は尽きることなく、探求への意欲や集中力も若い頃のままです。
 肉体的にも精神的にも充実した毎日を送ることができていて、このままいけば、本当に200歳まで生きられるのではないかと思っているほどです。
 今、このような人生を送ることができているのは、やはり断糖のおかげです。食べ方を変えるだけでこれほどまでに元気になれるのです。私自身の体と心で実感した事実ですから、暖糖という食事の在り方を、自信をもっておすすめすることができます。

『断糖のすすめ』より

こちらは医師・西脇俊二さんが書かれた『断糖のすすめ』(ワニブックス)の「おわりに」の書き出しです。

この本では「高血圧、糖尿病が99%治る新・食習慣」というサブタイトルがあるように、糖質を完全に断ち切ることであらゆる不調を改善するという健康実用書。

健康実用書に関して、もっとも大事なのは「エビデンス」です。この場合、医者である著者が実践して効いたということなので、最強のエビデンスとなっています。

そのことを「おわりに」でアピールしている。

というわけで、この手のあとがきは「俺がエビデンスだ!型」と命名します。

「またふたたび考えさせられる型」のあとがき

 不倫はよくないものである。そうに決まっている。しかし、世の中からなくならない。ならばこそこそとやっていればいい。放っておくがいい。それなのに、なぜいい大人が2人して1冊かけて「不倫と正義」について語ったのかというと、それは不倫が愛と関わっているからである。
 不倫はままならぬ私たちの人生から生まれてくる。思いのままにならぬ人生の喜びも悲しみも、欲望も嫉妬も、期待も落胆も、1人で引き受けられぬときに人は不倫に走るものらしい。自分という存在を再確認するための不倫もあれば、イマココから脱出するための不倫もあるだろう。つれあいが自分を顧みないことへの不満もあるかもしれない。時に他者に自分の姿を見出し、これこそが恋愛であると考える不倫もあろう。もちろん、不倫は「倫」に反するものである以上、それが世間に歓迎されることはない。しかし、不倫と愛にはそれほど大きな違いがあるだろうか。愛とは優れて神聖なもので、不倫とはその脇に咲くあだ花にすぎないのだろうか。 

『不倫と正義』より

これは脳科学者の中野信子さんと国際政治学者の三浦瑠璃さんが対談した『不倫と正義』(新潮新書)の中野さんによるあとがきの書き出しです。

この「不倫」と「愛」を論じる畳みかけ感がすごい。このあと、5ページにわたって、本編でさんざん対談したテーマ「不倫」について、「愛」という観点から見た論考が繰り広げられます。

本編を読んで「なるほど」とか「そうかも!」とか、いろいろ考えさせられた読者は、最後のあとがきでさらにいろいろと考えさせられ、いちいち発見がある。

これはまさに、あとがきの最後の行まで完全に読み終えるまで読者の思考をストップさせない「またふたたび考えさせられる型」のあとがきではないか。

と、ここまで「あとがき論考」をしてきましたが、3000字を超えてきたので、そろそろ終わりにします。

最後に、個人的に「このあとがきはよかったなぁ」と思う自分が担当した書籍の「あとがき」を全文ご紹介します。

上記分類でいくと「読者寄り添い型」でしょうか。橋本翔太さんが書かれた『聴くだけうつぬけ』という本のあとがきです。

ちょっと長いですが、お時間のあるときにどうぞ。

 私が「うつ」と正式に診断されたのは2011年のことでした。
 うつ症状に苦しむ暗く長いトンネルの中で、体調がよい日にいつも思っていたことがあります。
「ここから抜け出せる日がもしも来るのなら、くだらないプライドは全て捨
てて、この経験を苦しんでいる人のお役に立てたい」
 ただ、それだけでした。
 音楽療法をはじめ、心理アプローチ、栄養アプローチを組み合わせて、今ではすっかり体調もよくなり、完全にうつを克服しましたが、正直、何かのタイミングがずれていたら、私は今この世に存在していなかったかもしれません。
「生かされた」と感じています。
 ここまでたどり着くための経験を、効果があったことを、なんとしても必要な人に届けたい、お役に立ちたい。その思いは日に日に強くなりました。
 そんなときにチャンスをいただき、この本は産まれました。
 苦しみの渦中にいたあの頃の私が読みたかった本でもあります。
 
 大学院で心理学を学び、その後も心の勉強をしてきたにもかかわらず、心を病んでしまったことを、こうして告白するのは正直勇気のいることでした。
 当時は病院に行くのも、他のカウンセラーに相談するのも、そんな自分になってしまったことを受け入れたくなくて、情けないやら、悔しいやら……。
 心の不調が長引くにつれて、「もう自分は治らないのだ」という恐怖や絶望で、なんで自分がこんな苦しい目にあうのか、と生まれてきたことを恨みました。
 外見だけで判断されて「あなた、うつじゃないでしょ」と医者にまで言われて傷ついたこともあります。こんなに苦しいのに、彼らは結局何もわかってくれないという悲しみを抱えていました。専門家であっても、経験者ではないので、この苦しみは他人事です。それが態度で伝わるため、そのことにも傷つきました。
 
 私は現在、日本だけではなく、シンガポールを中心に南アジアでの活動も行っています。南アジアではうつや心の病に対する偏見はまだまだ大きく、南アジアのメンタルヘルスは、日本よりも20年ほど遅れていると感じることがしばしばあります。
 ある日シンガポールで、多くのことに恵まれている友人が、うつで苦しいこと、生きるのがつらいことをカミングアウトしてくれました。周囲に相談しても「そんなのは人生からの逃げだ」「みんなつらいんだから甘えるな」と一蹴されたそうです。
 心の不調を告白すると白い目で周囲から見られる。わがまま、怠けているだけだと思われる。それが南アジアの現状です。
 まずはその偏見を取り除くこと。これも活動の一つです。
 
 日本でも海外でも、私のアプローチは同じです。
「ピアノセラピー」など私のピアノ曲を通した音楽療法、そして心理メソッド、カウンセリングで心にアプローチを行います。本書の通り、過去にアプローチすることもあれば、不安や過去を受け入れるためのメソッドなど、バランスよく偏らずに取り入れています。
 栄養療法では、病院のサプリメントや世界中のサプリメントを試して研究したうえで、厚生省の基準に基づいて、心に特化したサプリメント「コーダサプリメント」を独自に開発しました。
 加えて、食事療法のプログラムを通して、肉体のアプローチと体づくりを行い、心を回復へと導く指導を行っています。心の栄養不足を補うことで、隠れていた才能が開花する方もいらっしゃいます。
 気(エネルギー)のメソッドを中心とした代替療法は、特に海外でも関心度が高く、また問題改善の効果報告も大変多いため、これらも伝えています。
 心が元気になってきたら、そこからもう一歩進めて、なりたい自分になる、叶えたいことを叶え、生きたい人生を築いていくお手伝いもしています。心が元気になれば、心が活力で溢れてくれば、人はなんだってできるのです。
 年齢は関係ありません。幸せな人生を歩むのには、いつからでも間に合うのです。
 クライエントのみなさんやそのご家族が元気になっていく姿を見るたびに、生きていてよかった、あきらめないでここまで来れてよかった、と思い、涙ぐんでしまうときがしばしばあります。
 本書の担当編集である寺崎さんに 「橋本さん、変なことを聞きますが……心を病んで〝よかった〟と思えたことは何かありますか」 と聞かれたとき、正直言葉に詰まりました。あんな苦しみを経験して、よかったことはひとつもない。
 あったとしてもそんなのは綺麗事だ……とそのときは思ったんです。
 しかし本書を書き始め、ピアノを録音しながら、いつの間にか当たり前になりすぎて忘れていたふたつのことを思い出しました。
 
 まずひとつ目は、人の痛み、苦しみが、身をもって心の底からわかるようになったことです。心をここまで病んでしまう前は、私こそがうつや心の不調に対して、どこかで偏見を持っていた人間のひとりだったと思います。特に若い頃は、「うつなんてただの怠けだ」「ずるい」と本気で思っていたほどです。
 でも今では、相手の苦しみ、人の苦しみが痛いほどわかります。街でイライラしている人とぶつかっても、この人はあの時の自分みたいに今はイライラする時期なのかもしれない、色々あって、本人は苦しいのかもしれない、と。今までならカチンときていたところを、一歩引いて相手のことを見ることができるようになりました。
 友人に冷たくされても、友人は何か問題を抱えていて、今は余裕がないのかもしれない、と別の見方ができるようになりました。そして、どんなに幸せそうな人でも、見た目が元気そうな人でも、誰もが何かしらの問題を抱えながら、それでも生きているということを、理屈ではなく心と体を通して学びました。
 ふたつ目は、音楽の力です。
 もう苦しくて苦しくて仕方のないとき、言葉にはできない絶望や悲しみを、どうしたらいいかわからなくて叫び出したいような、もう消えてなくなりたいような、そんな気持ちに襲われたとき、ふとしばらく弾いていなかったピアノの前に這って座って、その想いと一緒に即興でゆっくりと演奏を始めたときがありました。
 すると理屈や言葉ではどうにもならなかった、どうにも言い表せなかった
苦しみや悲しみが、音楽になって自分の心に寄り添ってくれて、少しずつ解
放されて、楽になっていくことに気づいたのです。
 音楽の力を再確認した瞬間でした。
 このふたつを、しっかり理解したこと。
 このことは本当に 「うつになった大きな収穫」 でした。
 読者特典としてご用意したボーナストラック動画も、よろしければご覧ください。
 本書付属のCD「ピアノセラピー」も、CD再生環境のない読者向けに、
音源をダウンロードできる形をとりました(巻末ページ参照)。
 本書を世に出してくださったフォレスト出版に心からお礼申し上げるとともに、回復の道のりで関わってくれたすべての人に感謝申し上げます。
 直接関わった人だけではありません。ここまで生きてくるのに、誰かの文章や音楽にいつも救われてきました。
 今度は私の紡ぐ文章や音が、あなたのお役に立てますように。あなたの痛みに寄り添うことができますように。そしてこれからも、みなさんに寄り添える音と言葉を紡いでいこうと思います。
 最後に、私が苦しみの中で、誰かに言ってほしかった言葉をあなたに送ります。
 
 大丈夫です、よくなります。かならずよくなります。
 大丈夫です。私もこうやって元気になりました。
 だから、あなたも大丈夫です。
 よくなります。大丈夫。

『聴くだけうつぬけ』より

▼書籍の「まえがき」についての論考はこちら


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