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意識を育む

これは子どもに限ったことではなく大人も同じなのですが
意識を育む(自分の中で育てる)ということが難しいけれど一番大切なことのような気がしています・・

どうありたいか

意識を自分の中で育てるということは、自分はどうありたいのかという問いに直結しています。
今日という一日をどう生きたいか、
周りの人とどんな関係を築いていたいのか、
自分の人生をどう歩みたいのか・・・

そして、かのこという場であれば、
この先どうありたいのか、
そして今はどうなのか・・・

日々いろいろな出来事に出会い、
受けとめている間に、ぶれそうになることもあります。

けれども、かのこを立ち上げてこのかた、ずっと悩んでいるのは、
実は、ハードのことだったりしています。
規模を拡大するのか、参加費を値上げするのか等・・

そして意外にも悩んでいないのが、この「ありかた」の方です。

自分であるということ

誰もがかけがえのない、他の人にとってかえることのできない、他ならぬ「自分であるということ」。
この意識を大人も子どもも一緒になって、育み合っていくために、「かのこ」という場を立ち上げたんだなとあらためて思っています。

自分であるために、
自分ではない他者の存在が必要で、
自分と他者というものをとらえるために、
学童期には特有の時間と空間と人が必要ということ。

発達や成長の発露って本当に有機的で人それぞれ。
目に見えていないプロセスにも想いを向けながら、
能動的に「待つ」という感覚です。

そのサポートのために、
スタッフがまず「自分であること」を求められてきます。
そのことにスタッフ間で心合わせをしながら、
スタッフ間で支え合いながら、この場を創っています。

そんなことを友人に話していたら、
こんな言葉を教えてもらいました。

感情労働

福祉や医療業界ではよく使われる言葉のようです。
私もかつて業界に居たけれど出会ってきませんでした。

調べるとたくさん説明が出てきました。
主に、安定した感情表出が求められる働きのことを言うようで、
気を付けないとストレスを抱えてしまうよ、という警告の記事も多かったです。
私は、この話を友人から聴いた時は、このニュアンスは知らずに、
「そうなの!本当そう!」って応えていました。

私の捉えたニュアンスは、
一定の感情表出というより何よりそれ以前に、
たくさんの感情がいつも動く仕事!っていうニュアンスでした。

私の場合、
おそらく細かく自分自身の心の動きにも注目しているため、
子どもたちの織りなす場面場面で、
たくさん心が動き、
それを消化するのに、その出来事に出会った時間と同じか、それ以上かかってしまいます。
好きでやっているわけですが、
子どもたちの見せてくれるシーンが一つひとつ味わい深いということです。

それも、
スタッフもかのこメンバーもみんながみんな、
究極、自分になるためであれば、
そりゃそうだ、感情が忙しくて当然だよな、と妙に納得できます。

自分であるという意識を育むために


段ボールラリーという遊びの発展

選択と同じで、どこまでが自分由来で、
どこまでが相手からの影響で決めたことなのか、
線引きが難しいのと同じで、
「自分である」という意識も、
確かにはあるが、そのまま放置するのではなく、
日頃から水やりをして育てる必要があるのではないでしょうか。

それが、
学童期には特に「共創的な遊び」を通して育まれると考えています。
共創的な遊びについては、
また後日記事にするとして・・・
それが起きたかどうかの一つのサインがあったりします。

「このままとっておいて!」というメンバーさんからのリクエストです。

以前にもトンネルができましたが、
それもキープしておくことをお願いされていました。

このままにしておいて、とお願いされるような活動ができた時、
メンバーさん同士の共創があったであろうことが推測され、
そこには、自分であることと、仲間が他者としてあることが、
感じ合えたからに他ならないと思います。





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