カミングアウトする3つの理由
私は、セクシャルマイノリティのいわゆる当事者です。具体的に言えば、女性が好きなレズビアンです。
最近、カミングアウトすることを始めました。
今日も友達一人に、「女の子が好きなんだよね」と話しました。
私がカミングアウトする理由は3つです。
1. 誠実に生きたい
2. 恩返ししたい
3. 「自分の人生を生きていいんだ」と思いたい
本当は、カミングアウトすることがとても怖いです。
今は少し慣れましたが、「話してだめだったらどうしよう…」とは、常に思っています。
相手が引かない保証なんてどこにもありません。
「気持ち悪い」と思われるかもしれない。
「え!?」と驚かれるかもしれない。
「気にしないよ」と言ってくれても、なんとなくその人が気まずさを感じてギクシャクするかもしれない。
もうその人とは遊べないかもしれない。
その人とは今後旅行に行けないかもしれない。
「あいつレズらしいよ」と噂を流されるかもしれない(実際経験があります)。
「自分のことを好きになったらどうしよう!?」なんて心配をされるかもしれない。
居場所を、なくすかもしれない。
相手がどんなにいい人であろうと、相手をどれだけ信用していようと、怖いです。
相手を信じていないから言えない・言うのが怖い、というわけではない。
悪気のない相手の小さな反応で、とても傷ついてしまうこともあります。
「そういう反応をする相手が悪いわけじゃない。しょうがない。悪気がないのは分かってる」と自分に言い聞かせていても、苦しくなってしまう。
皮をむいた桃の実が、さらけ出されているようなものです。
中身を守るものが何もない。
触れる側の意図に関係なく、無防備で、触れればすぐに傷ついたり、潰れてしまうような。
圧迫されて流れ出す果汁のように、心が血を流すように感じるほど、胸が痛むこともある。
一度その恐怖に足がすくんでしまえば、もう誰かにカミングアウトをする勇気がでないことだって、きっとある。
もしかしたら自分だけかもしれませんが、セクシャルマイノリティであるということで、海に一人で放り出されたような気分になることもあります。
いくら「一人ではない」と思ったって、その海を渡るのは自分自身で、浮き輪もなくて、サメがいるかもしれなくて、疲れていつかおぼれてしまうかもしれなくて、そこから逃れることなんて、一生できないような。
ゴールだって、きっとない。
でも、カミングアウトすることに決めました。
もちろん、すべての人に話すことは(少なくとも今は)できないけれど、少しずつ、周りの人に話せるようになりました。
その1つ目の理由は、誠実に生きたいからです。
「女の子が好き」と伝えていない限り、周りに「彼氏いるの?」「彼氏作らないの?」と言われてしまうことが多いです。
それに、「彼氏いないよ」、「恋愛興味なくて」なんて曖昧な答え方をしてごまかすのは、相手にも、自分にも、嘘をついているようで苦しい。
まだカミングアウトをしていないときは、「女の子が好きって言えたら楽なのに…」と思っていました。
嘘をつかずに、誠実でありたいんです。
2つ目は、自分がしてもらったことを誰かに返したいからです。
実は、自分が同性を好きだということで悩んでいるときに、思い切って友達に話し、知り合いのセクシャルマイノリティの方を紹介してもらったことがあります。
誰かに、自分が悩んでいることを共有してもらえたのはとても嬉しかったし、楽になった。
その人を通して、セクシャルマイノリティの知り合いの輪が広がって、「この人と逢えたから自分はレズビアンでよかったかも」なんて思える友達が何人もできたりして。
紹介してもらった人たちに、助けてもらいました。
なので、今度は自分が助けたいです。
自分がセクシャルマイノリティであることをオープンにしていたら、「誰にも言えない」と悩んでいる、以前の自分のような人が、もしかしたら何か救われるかもしれない。
もしも、そういう存在になれたら、とても幸せです。
3つ目は、「自分の人生を生きていいんだ」と、思いたいからです。
セクシャルマイノリティであるということで、ときどき、「自分の人生ってなんなの…?」という気分になることがあります。
病んでいるわけではありません。笑
どうしても、日ごろ嫌な思いをすることもあるし、ヘテロノーマティブな(異性愛が“当たり前”とされている)世界で、仕事や人間関係でうまくやっていけるの?という不安がある。
「自分は他の多くの人たちと違う」「“普通”じゃない」というような、ぬぐえない孤独がつきまとう。
なので、「隠さなきゃ」「ストレートの人たちのようにふるまわなきゃ」なんて思うけれど、そうするとなんだか、自分の人生を生きていないような気分になる。
そこで、人にカミングアウトをして、それでも変わらず接してもらえた、という経験をすると、「あっ、異性を好きじゃなくても、相手に認めてもらえるんだ」、「同性を好きと言っても、“普通”に接してもらえるんだ」と思えるんです。
自分は自分として生きてていいんだ、と。
私の人生を歩くのは私自身です。
カミングアウトをすることで、「自分の人生を生きる」という喜びや勇気を持っていられるような気がします。
長々とカミングアウトについて書きましたが、ひとつ注意していただきたい点は、「カミングアウトする人=偉い・すごい」ではない、ということです。
たまたま自分の場合は、カミングアウトをする方が、自分にとって生きやすいというだけです。
カミングアウトしない選択だって、偉いしすごい。
ちゃんと自分の頭で考えて、「カミングアウトしない」という決断ができている。
(というか、極論を言えばなんかもう、全部偉いしすごい。
「ちゃんと今日も息してて偉い!!!」って感じ。
「今この瞬間生きててくれてありがとうね、大好き」とも思います。
生きることが”当たり前“になっているから、それに気づきづらいだけです)。
どんな人に対しても、「この人は偉い・すごい」「この人は偉くない・すごくない」と思わず、本当の意味で平等に接してほしいです。
このnoteを読んでくださった方に、「カミングアウトはいいよ!」なんて言う気も、まったくありません。
むしろ、カミングアウトしなくていいなら、言わない方が無難なんじゃないかな、とも正直思います。
でも、私はやります。
どこかで勇気がなくなってしまって、もしかしたらカミングアウトできなくなってしまうかもしれないけれど、少なくとも今は、『私は女の子が好きなんです』と言う勇気を持っていたい。
自分の中にある怖さと闘っていたいです。
もしも、そうすることで、自分や、ひょっとしたらそれを見た誰かが、少しでも生きやすくなればとても幸せだなあ、と思います。
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteを読むことで、セクシャルマイノリティについて少し知っていただけたり、何か生きるヒントのようなものを見つけていただけたら、幸いです。