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「生産性」のためではなく自分のために生きようね

杉田水脈議員の発言が話題になっていますね。


「LGBTは『生産性』がない」

「メディアが多様性を報道するのは、『これ(同性愛)でいいんだ』と、不幸な人を増やすことにつながりかねない」

「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会」

ということが言われました。

それって、つまりこういうことですよね。


「LGBTは『生産性』がない」 ⇒ 生産できないなら価値なし

「不幸な人を増やす」 ⇒ 同性愛者は不幸

「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会」 
 ⇒ 同性を好きなのはおかしい。社会に悪影響


生産できなければ生きている価値がないなら、

子どもを持てるけど「持たない」と選択しているカップルはどうなの?独身の人はどうなの?
という話になるし、
同性愛者は不幸だなんて思ってないし、
同性を好きなのがおかしくて、社会に悪影響を及ぼす、なんてことないです。


そもそも、『常識』や『普通』ってなんでしょうか。


誰かのことを『常識に当てはまっている』『普通だ』なんて誰が言えるの?
その基準はどこにあって、誰が作ったものなの?
と思います。


1人のセクシャルマイノリティとして、その発言だけを聞いて杉田議員に
「バカ!アホ!死ね!」
とか言う気にはならないです。

その人にだって、いろんな考え方があるからね。

でも、それを聞いた誰かが傷つくって分かっていて、そういう発言をする、もしくは誰かが傷つくことを想像すらできないなんて、かわいそうだなあと思います。


個人的には、彼女の発言は、炎上商法かなと考えています。
有名になるために、LGBTQの人たちを貶め、利用している。

これを言ったら叩かれるだろうと分かっていて、発言ができる勇気はすごいなあ、なんて思いますが、冷静に考えて自分に不利になるのではないでしょうか。

こういった発言をしたら自分の立場や品位を落とすし、海外からの日本の評価も下がります(実際、海外からもこの発言は叩かれています)。

海外、特にLGBTQ+に関心があるアメリカとか先進国からの批判って、かなり重要で、下手したら国際問題になりかねないんじゃ…?と思ってしまいました。



杉田水脈さんの話はここまでにしておいて、では、なぜ人間は生きるのでしょうか。


そもそも、なにかを生産するためではない


人間は「生産する」機械ではないです。
機械化した人間が、ベルトコンベヤーとかみたいに命を生産するみたいな場面、想像しただけで気持ち悪いでしょ?


それを想像して気持ち悪いと思えるということは、

人間=生産するもの 

という考えに抵抗がある証拠だと思っています。
少なくとも、そう信じたい。


あなたが生まれ、生きているのは
「あなたが人生をしあわせに生きるため」
です。

あなたの人生はあなたのためにあります。


「教団X」などを書かれている、中村文則さんという作家さんの本に、こんな文章がでてきます。


「これは、凄ましい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか、よく聞け」

そう言うと、小さく息を吸った。

「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない連続は、いいか?全て、今のお前のためだけにあった、と考えていい」


中村文則 「何もかも憂鬱な夜に」


このセリフは、こんなメッセージだと思うのです。


きみの命は、何億年も前から、アメーバからずうっと、きみへとつながれてきたものだ。
きみの先祖が存在し、過ごし、作ってきたものはすべてきみのためだけにあった。
きみの時間もこころも人生もすべてきみだけのものだ。
すべてはきみのためだ。
きみの世界はきみのためだけにある。


これが、“なんのために生きるのか” ということへの答えになると思っています。

自分が自分のために生きる。

これだけです。



私はレズビアンのため、自分自身
「先祖から受け継がれてきた子孫を自分はのこさなくていいのか」
と思い、罪悪感を感じていました。

杉田水脈さんが言うように、
自分が“生産できない”ことは罪なのでは?
と、正直苦しかった。

でも、「今まで先祖がのこしてきたものは、すべて自分のためにあった」と考えたら、
幸せでいるのが自分の使命!生まれてきた意味だ!
という気持ちになりました。
楽になった。


何億年もかけて先祖が自分に命をつないできたからこそ、どんなかたちであれ、幸せでいなくちゃいけない。

生きているだけで、子どもを持たなくてもその価値は十二分にあります。

自分のために生きましょう。

もしそこで余裕があったら、誰かのために何かすこしできたら、それもまた素敵だよね、と思うのです。

読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteを読むことで、セクシャルマイノリティについて少し知っていただけたり、何か生きるヒントのようなものを見つけていただけたら、幸いです。