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標準化 VS 個別化

前回は【5C】のコラボレーション、強みを活かすを紹介しました。強みを日常的に生かしている感覚こそエンゲージメントと最も相関が高い最重要ポイントということでした。

今日は強みを組み合わせてチームで活かしていくとはどういうことかについてお伝えします。

標準化の落とし穴

第二次世界大戦後のアメリカ空軍では、航空機のコックピットの設計を改善するという話が持ち上がっていました。

担当になったダニエルズ中尉は、コックピットの規格寸法を決めるために、4063人のパイロットの体の寸法を10箇所に分けて測定し、その平均値を求めます。

その後、10箇所の寸法が平均値の範囲内に収まる平均的な体型のパイロットが何人いるかを調査したところ、驚くべきことに、結果は0人であることが判明します。

3箇所が平均以内に収まるパイロットですら5%以下しか見つかりませんでした。

その結果を踏まえ、ダニエルは人が機械に合わせるのではなく、機械がパイロットに合わせるべきだと考え、パイロットが自分で機器の位置を変えられるコックピットを設計することにしました。

この話を聞いて皆さんどう思いますか?


体の寸法が全て平均に収まるという人は存在しません。だからコックピットもそうですが、例えばスーツでも、オーダーメイドというものが存在しますよね。

では人間の「強み」はどうでしょう?強みは脳の配線で決まります。脳の配線はその人の持つ元々の素質や興味関心、環境、経験で決まります。つまり体の寸法と同じく、同じものを持つ人はいません。

コックピットと同じく、平均値に当てはまる人はいないのです。

標準化のデメリット

ではここで質問です。もし、ダニエルズ中尉が平均値にそってコックピットを設計したとしたら、パイロットはどんな反応をしていたでしょうか?結果、アメリカ空軍にはどんなことが起こるでしょう??


パイロットは窮屈な思いをしてたでしょうね。ストレスが溜まるかもしれませんし、操縦が楽しくなくなるかもしれません。

メンタル不調者や離職者が増えたかもしれませんし、

平均的な寸法に合わない体型の人は、コックピットに収まらないためにパイロットを目指せなかったかもしれません。

ストレスや才能がある人を獲得できなかった空軍は戦力を落とし、アメリカの軍事力が下がり世界のパワーバランスが崩れ日本もトラブルに巻き込まれていたかもしれません。大げさな想像で可能性の話に過ぎませんが、何が歴史に影響を与えるかなんてわかりませんからね。


では、振り返って私たちが働く企業はどうでしょう??

企業におけるコックピット「コンピテンシー」

多くの企業には評価制度がありますが、そこではコンピテンシーモデルがよく使われます。営業力、部下育成力、商品開発力…など、その企業に求められる能力を5段階評価などで上司が評価するやつです。

評価される側からするととってもうざいあのコンピテンシーはどうやって作られるかというと、その会社で実際にパフォーマンスを出している人材の持っている能力を参考に、経営陣や人事で作られることが多いのです。


仕事の中で結果を出す方法は無数にあり、唯一無二の正解はありません。しかし何か基準をおかないと、評価者は能力で部下の評価ができないので、結果を出しやすいと思われるその企業の最大公約数的な能力をコンピテンシーとおき、評価の基準に据えるのです。


ですが、コンピテンシーは本当に信用できるものなのでしょうか?

スーパースターはコンピテンシーの劣等生

例えばサッカーで有名なメッシ選手ですが、彼はほとんど左足しか使わないことで有名です。

YouTubeを見ればわかりますが、ドリブルにしてもシュートにしても、左足一本で鮮やかに敵を抜き去りゴールを決めます。

多くの選手は両足を同じように使えるようになることでプレイの幅を広げられるように教育される中、メッシはかなり特異な選手といえます。



スティーブ・ジョブズはマーケティングを重視しませんでした。「顧客に欲しいものを聞くな。彼らは自分でも欲しいものがわかってない。」と一蹴。


イーロン・マスクは「成功したいなら週100時間働け」と言い放ちます。


これらの言動は全て平均値から生まれたわけではありません。彼らをコンピテンシーで評価するなら、右足を使えないことも、マーケティングを重視しないことも、過重労働も、全て矯正の対象です。

世界のスーパースターもコンピテンシーで評価すれば完全な劣等生です。

彼らは大きなマイナス点を持っています。弱点が表に出るくらいわかりやすい。ですが、彼らをローパフォーマーだという人はいないでしょう。


コンピテンシーの罪

そもそもコンピテンシーモデルは矛盾を含んでいます。他人が決めた全ての能力項目を満点にするのは不可能です。持って生まれた体格が違うように、脳の配線も異なるのです。

コンピテンシーは「能力は標準化できる」という前提で作られていますが、現実はそうではありません。前提が間違っています。間違った前提に人間が合わせようとするので、窮屈さや無理感が出ます。

しかも、被評価者に、全ての能力を5点満点にしないと仕事で結果が残せないような錯覚まで起こさせます。完全に間違った思い込みです。メッシやジョブズを見ても、満点でなくても結果が出せることは明白でしょう。


所詮コンピテンシーは他人が決めた評価軸でしかありません。


もちろん実際に結果を出した先人たちの能力を参考に作られているので、役立つこともあるでしょうが、そこに合わせることで仕事が窮屈になるのであれば、参考程度にとどめた方が良いのかもしれません。

強みでコラボレーションしたチーム

ゴレンジャー、ご存知ですか??赤、青、緑、黄、桃のコスチュームを着た5人組のヒーロ戦隊、それぞれに特異な武器があり、色々な戦い方で敵を倒します。

最近だとワンピースとかミスターインクレディブルとか、ベイマックスもそうですね。

真に優れたチームとは、全員が5点満点のチームではなく、7点もあれば2点もある、10点もあれば0点もある、偏った人間たちの組み合わせです。

コンピテンシーモデルで評価した時に、個人で劣等生と評価されるかもしれませんが、チーム評価された時に満点以上の成果が出せる可能性があります。

この偏ったエッジ人材の組み合わせこそが【5C】の「コラボレーション」の本質だといえます。

ではこういったチームはどのように生み出していけばいいか?会社側が人材の強みにあった教育をサポートしてくれるか?


答えはNOです。


会社がしてくれる教育はコンピテンシーに沿った教育です。たまたま自分の強みがコンピテンシーの中にあればいいですが、外れたところにあった場合、会社はサポートしてくれません。


では、会社があなたの強みの発見に協力してくれるか?
こちらもNOです。


社員数によりますが、大企業になればなるほど人数が多い。つまり才能や強みの数も膨大です。個人の強みを把握し、それぞれに合った適切な教育を提供するのはリソースやエネルギーが必要です。


人数が多くなればなるほど、教育側は効率を考えたくなります。その結果生まれたのがコンピテンシーです。

つまりコンピテンシーモデルは現実に適応できてないモデルですが、運営側の負担低減から生まれた苦肉の策でもあるのですね。


自社が冷たいわけではありません。個人の強み発見は会社側からするとコストが重たすぎるのです。一人一人の具体的な強みを発見し、管理し、活用する手間を多くの組織は嫌います。


個人の強み発見や育成に関しては会社に期待してはいけないのです。

自分の強みに責任を持つ

そういうわけで、自分の強みは自分たちで発見し、自分たちで育てるしかありません。チームをコラボレーションするためには、チームリーダーとメンバーで独自の運営を考えるしかないわけです。

強みを活かして助け合うチーム、素晴らしいと思います。でも自分たちの寸法に合ったコックピットは自分たちで作るしかないのです。それがコラボレーションに発生する責任です。

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