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二度目の上京 - 東京でキラキラしたい

noteでは初めまして、豆吾郎です。

普段はサラリーマンをしながら、お小遣い稼ぎでWEBメディアを運営していたりします。

さて、今回お話するのはタイトルの通り二度目の上京についてです。

恥ずかしながら一度会社の都合で上京し、考えの甘さで地元の名古屋へUターン、そして今回また二度目の上京をすることになりました。
今回はなぜそうなったのかをお話ししたいと思います。

一度目の上京について

元々私は名古屋にある企業にデジタルマーケッターとして勤めていました。

入社して3年ほど経ったある日、勤めている会社の事業の拡大を鑑みて東京に主要拠点を移すことになり、私が所属している部署も東京へ移転する事になりました。

名古屋に残るバックオフィス部門(総務や経理)へ移籍するという案もありましたが、デジタルマーケティングが好きだったため、部署を離れるという選択肢はなく東京へ転勤することにしました。

東京の拠点が当時完成したばかりの虎ノ門ヒルズだったこともあり、名古屋の田舎から出てきた私にとっては東京で働くという事はすごくキラキラした印象で、今でも憧れや働いていたことの優越感、自己満足感がすごくあります。
この気持ちが二度目の上京をするに至った根本にあるのかなと思っています。

Uターンして地元に帰った話

さて、そんな東京でキラキラした生活を送っていた私がなぜUターンして地元名古屋に帰ったのか。
大きな理由としては2つあります。

1つ目は転勤から3年間経ち、家賃補助(月9万円)が完全に0になったこと。
年間で考えると100万円以上。
当時二十代後半で住んでいたのは家賃13万円程度のお部屋。
正直家賃補助がないと暮らせません。

転職しようにも20代後半で年収を家賃補助含めて650万円程度貰っていたのですが、同等の条件で働ける場所を見つけるのは難しかったです。
(ただ、今思えば転職活動の仕方も甘さがあったように思いますが。)

2つ目の理由は、物凄く後先考えていない情けない理由ですが友人と遊びたかったから。
20代前半は高校の同級生とほぼ毎週末のように遊んでいました。
毎週末とは言わないけれど、そんな生活をもう一度したいなと思っていました。
実際名古屋に戻ってきたら、自分自身も周りも大半が結婚して3ヶ月に1度会えば良い方程度になってしまい、全く考えとは違いましたけどね。

そしてタイミングが良く、Uターンを迷っている時に地元の誰もが知る有名な企業に勤めている友人から、求人枠が1つ空いたので来ないか?というお誘いがあり、Uターンして地元に帰った訳です。

Uターンした結果

前の会社はベンチャー気質のある風通しの良い大きな企業でしたが、Uターン先の企業は古くからある会社で企業体質も古く想像していたものと大きく乖離がありました。

毎日ルーチンワーク、KGIやKPIが可視化出来ずやりがいのない仕事、社外とのやり取りはほぼ皆無なのでインプットもない。

仕事自体は楽でしたが日に日に仕事に対するモチベーションがなくなっていき、10年後、20年後を想像した時に今の自分と一切変わりがない。ただ歳をとるだけの未来が想像出来ました。

今後の自分がやっていきたいのは、デジタルマーケティングをより極めていく事。
そして思い浮かぶのは一度目の上京のキラキラした日々。

再び転職を決意しました。

二度目の上京について

エージェントに複数登録して転職活動をし始めました。
幸いなことにコロナウイルスの影響により、東京へ行かなくともWEB面接をしてくれる企業が多くあり、面接をどんどん受けることが出来、あっという間に転職先が決まりました。

正直、せっかく戻ってきたのにまた離れるのか、親や家族はどうするのか等々と思うことや不安は多くありますが、自分が決めたことだし、後悔はありません。
この選択は間違いじゃなかったと言えるように二度目の上京も楽しみたいと思います。

まとめ

コロナ解雇などが問題になり「会社に依存した働き方は問題だ」などといった話や、在宅勤務などが増え「東京一極集中」ではなく地方からリモートで働く新しい形などが昨今では話題にあがっています。
そんな中を逆行した動きというのは自分でも分かっているつもりです。

家賃も今よりも倍近くになるし、その他の物価も勿論高い。
ただそれでも自分が納得できる"キラキラ"を追い求めたいなと。

10年後に再度地元に戻ることは出来るけれど、逆は出来るのか?と問われると自信がありません。

今しか無かったし、今やりたかった。

という訳で2度目の上京を決意した話でした。
未来はどうなるか分からないけど、新しい土地で"キラキラした自分"になれるよう頑張っていきたいと思います。

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