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【思考-Pt.10】「頑張る」ってなあに?

頑張るってなんだ???今回は「頑張る」ついて考えてみました

っていうのもきっかけは友達のこのツイート

このツイートを見た時に「あ~たしかに!」って思ったんすよ。

頑張るって結構無意識に言ってるけどそもそもそれが頑張るなのかって考えたことないなって。

だから今回自分なりに考えてみました。しばしお付き合いください、

あと、これのリプ欄がとにかく面白い。いろいろな人の色々な「頑張る」があって、そういう考え方もあるのか!と刺激を受けまくり。

是非皆さんも見てみてください!

そして本題。

前に違う記事でも言ったけど言葉って、言葉自体は共通だけど、それが意味するものって人によって異なるって話。

これがまさしく今回焦点を当てるところかなっと思っています。

リプ欄を見て思ったのは、結構「頑張る」に対して良いイメージを持っている人が少ないこと。

そこで自分の考えも結構皆さんと似ていて、自分の中で「頑張る」とは

「何か負担になっているアクションをしようとすること」って思っています。

言語の意味が人によって若干異なる、というのは結構その言語の国の文化に影響します。

つまり「頑張る」という意味は日本語であり、日本人がイメージするものなので、「頑張る」という言葉をみんなが聞いてイメージするものは日本の文化の影響を強く受けていると思っています。

ここで「何か負担になっていることをアクションする」という部分を考えていきます。

みなさんもご存じの通り日本は「武士道の精神?」とかそういう風潮が昔から文化としてあり、辛い思いをして乗り越えてこそ成長できるみたいなものが美しい、良いことという風潮があると思います。

そしてリプ欄では結構ネガティブなイメージが多かったですが、世間一般のイメージではポジティブな方が多いと思います

この点を日本の文化と照らし合わせて見ていくと、「頑張る」にという言葉でみんながイメージすることが何か負担になっていることをアクションする、であり、そしてそれがつらい思いをして乗り越えるとほぼ同じイメージができると思います。

このことから、「頑張る」ということが美化され、日本では一般的にポジティブになっているのだと思います。

しかしここでリプ欄の意見を見てみましょう。

言葉の意味のイメージとしては自分が書いたものと同じようなイメージをしたものの、それを美化せずネガティブな物と捉え、逆にゆとりを持つや、気楽に行く、楽しむというような言葉で、辛いことを必死に乗り越えるというイメージが連想されるものではなく、辛い中でも必死になり過ぎず幸福感、楽しさ、といったポジティブな感情を抱くイメージの言葉にしています。

イメージが変化してきている、つまり文化が変化してきているともいえるのかなと思いました。

後者のイメージの仕方は海外よりなのかな?とも思いました。

例えば甲子園の球数制限の話で言うと、昔はどちらかというと「頑張る」が美化されているので、エースが投げ切る、頑張るということが良いこととされていたと思います。

しかし今では球数制限の話が出てきたりなど、文化が変化してきている、つまり、「頑張る」より「楽しい」が美化される文化に変わり始めているのかなと。もちろん科学的な理由もあると思いますが、あくまで例えのイメージとして捉えてください笑

そして特にツイッター界隈の人は比較的意識が高く、常にアンテナを張っている人が多いと思うのでなおさら海外の影響を受けやすいのかなと、だからこそこのように「頑張る」という言葉のイメージが変化し、同時にそれが回外的な方向へ文化が変化しているのではないかと思いました。

これが「頑張る」→「楽しむ」「ゆとりを持つ」も変化だと思います。そしてこれがリプ欄に現れていたと思います。

「頑張る」の意味の人々のイメージの変化、ここに日本の文化の変化の一端を見ることができたのかもしれません。



そして次は「楽しむ」「ゆとりを持つ」と「頑張る」のイメージの違いを深ぼっていきたいと思います。



「楽しむ」「ゆとりを持つ」は、今回の場合で言うと「楽しさ、幸せ等のポジティブな感情を過程でも大事にしながらそのアクションを完遂させたい」というイメージがあると思います。

対して「頑張る」は負担のかかるアクションをとにかく必死にやり抜くというイメージがあると思います。

とにかく必死にやり抜くということは過程にポジティブな感情を抱くかどうかは重要ではないということです。

ここの過程に対する考えの変化が一番大事なところだと考えています。

この変化に対して自分の中で2つの考えがあって

・この変化が日本が海外の文化の影響を受けたことによる日本の文化の変化を表しているのではないか?

→日本は結構他文化の影響を受けやすい国だと思っています。

例えばイタリアだとレストランは基本イタリア料理店が多いけど日本は海外の料理のレストランが多い所とか、あとは宗教が明確にないから受け入れやすいとか

だからこそ文化が変化しやすく、今回頑張るのイメージが海外的な方へ変化している

これが一つ目

二つ目は

・本来の人間の本質的なところに原点回帰してきている?

→自分は人間は本質的に幸福を望むものだと思っています。みんなできる限り幸せに生きたいと思うし、やりたいことをやるのは無意識的にそれが幸せを得ることに直結することだと思っているからだと思っています。

以前は「頑張る」が過程において幸福等のポジティブな感情を重要視しなかったが、今は「楽しむ」「ゆとりを持つ」などの言葉で過程にもポジティブな感情、つまり幸福を求めるようになったともいえるのではないかと思います。

このように文化が以前は人間の本質に反した文化であったものが、本質に戻ってきているのとも言えるのではないかとも思っています。

だからこそ以前からある日本の文化は結構世界の中でも異端で独特なのではないかと思います。

以上が自分の二つの考えです。

あくまでか仮説ですがこういう考えをしていました。

ただどちらにも言えるのは文化の変化です。

今回の「頑張る」とはの議論には文化の変化が大きなキーポイントになるのではないか?と思いました!

また感情など抽象的な事を表す言葉は本来文化の変化と共に、意味のイメージが変わっていくので本来言葉自体は変わりません。

ですが今回は変わっています。「頑張る」→「楽しむ」「ゆとりを持つ」

これはまだ文化が変化の途中であるからだと思います。

「頑張る」に意味のイメージが「楽しむ」や「ゆとりを持つ」と同じようなイメージになればいいのですがこれは現時点では難しいです。

今回ツイートした詩穂を始めリプ欄に書かれていた方々はおそらく色々な文化を取り入れ、自己文化が明確に確立されていたからこそ、一般的な「頑張る」のイメージとは違うイメージをし、今回のツイートに書かれているテーマを表せる言葉が「頑張る」ではなく「楽しむ」や「ゆとりを持つ」ことだったのだと思います。

皆さんもぜひ一度「頑張る」について考えてみてください!

ちなみに今回ことの発端となるツイートをしてくれた稲村詩穂さんは栄養学を学んでいる大学二年生です!興味のある方はぜひフォローしてみてください!





今回はここで終わります!長々とお付き合いいただきありがとうございました!

感想等一言でもいただけたら泣いて喜びます!!!


【プロフィール】
2000.7.7生まれ20歳。将来は監督としてCL連覇を夢に活動中。上海に3年間の滞在経験があり、高校卒業後はイタリアへ、コロナの影響で現在は日本に帰国中。2021年9月より台湾へ留学し、2022年9月よりイタリアへ戻りペルージャ大学スポーツ科学部に入学予定。
現在は日本で語学やサッカー等の勉強をしながら、各種学生団体の運営や、サポートに携わっている。
まだ、現役としてプレーも続けており、ポジションはGK。

【所属】
〈現所属〉
若者応援情報サイトヒトトナリ 副代表
https://twitter.com/hitotonari_key?s=21https://twitter.com/hitotonari_key?s=21
NEST Football Coach Academy 代表
https://twitter.com/NESTfca?s=20
団体Hotalk共同代表
https://twitter.com/hotalk1229?s=20
よんはち 運営
https://twitter.com/challenge48h?s=20
団体Velis 運営
Management Zoom 運営
https://twitter.com/management_zoom?s=20
船橋ユナイテッド フットボールディレクターhttps://twitter.com/funabashiunited?s=20
DFL 共同代表
https://twitter.com/develo_official?s=20
〈指導歴〉
ACミランスクール佐倉 アルバイトコーチ(2019.2〜2019.8)
東京GKスクール アルバイトコーチ(2019.2〜2019.8)
船橋ユナイテッド フットボールディレクター (2021.2~)

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