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バカの言語学:「バカ」の語誌(5) 狂言

バカの言語学:「バカ」の語誌(4) 『太平記』


文字化された話し言葉

 言葉というものは、大きく分けて書き言葉話し言葉に分かれます(手話は話し言葉に含めていいと思います)。現在、私たちが文章を書くときに使う言葉は「口語体」と呼ばれていますが、「~である」や「~ではなかろうか」のように話し言葉としてはあまり使われない言葉も含んでいます。ですからこの「口語体」と呼ばれている文体も、話し言葉ではなく書き言葉のほうに含まれます。
 もっとも小説やシナリオの台詞部分だとか、あるいは親しい人と交わすメールやLINEの文面などは、多くの場合話し言葉を文字に起こした形になっています。台詞部分が話し言葉になっているのは、江戸時代の『東海道中膝栗毛』などでもそうですし、歌舞伎も、ある程度様式化されていますが、基本は話し言葉だろうと思います。
 こういうふうに話し言葉が文字になって表されることは、中世までの日本ではとても少なかったようです。私は日本語学についても歴史についても門外漢なので断言はできませんが、室町時代前半くらいまではほとんどなかったのではないかと思います。そんな中で「「バカ」の語誌(4)」で見た『太平記』において「バカ」が記されているのは(もしも「バカ」が専ら話し言葉として使われていたのだとしたらですが)きわめて異例だったのかもしれません。
 しかし室町時代の後期に入ると、当時の話し言葉をうかがい知ることができる文献が現れます。具体的には狂言抄物キリシタン史料の3種類です。
 このうちキリシタン史料については、「「バカ」の語誌(3)」で『日葡辞書』を詳しく見ました。今回と次回にわたって残りの2つ、狂言と抄物で「バカ」が使われているか、使われているとしたらどのように使われているかを見ていこうと思います。

「あほう」の用例はあるが…

 狂言については、現在でも野村萬斎のような有名な狂言師がいて、ご存じの方も多いと思います。
 能と狂言をあわせて「能楽」と呼び、上演もいっしょに行われることが多いのですが、そういう場合、まじめな能のほうがメインで、滑稽な狂言はついでのような印象があります。しかし元をたどればどちらも「猿楽(申楽)」というモノマネを中心としたエンタメであって、世阿弥の有名な言葉「秘すれば花なり」にしても、『風姿花伝』を読むとモノマネの奥義をいっているようにも読めます。
 能の台詞が「謡曲」と呼ばれて音楽的な要素が強く、格調高い言葉を使っているのに対し、狂言はやはり笑わせることが求められるためか、台詞には日常的な話し言葉が主に用いられています。そのため室町時代の話し言葉を研究する上での史料ともなりうるのですが、問題点もあるようです。
 現存最古の狂言台本といわれる「天正狂言本」は名前のとおり天正年間、つまり本能寺の変を挟んだ20年の間に書かれたものですが、さまざまな演目の筋書程度しか記されていなくて、台詞はあまり載っていないようです。初期の狂言では必ずしも台詞が固定しておらず、即興を盛り込むこともあったらしいので、筋書しか記せなかったのかもしれません。
 台詞がすべて書かれた台本が登場するのは江戸時代初期の1640年代に入ってからで、大蔵流の『虎明とらあきら本』『虎清本』や和泉流の『狂言六義りくぎ』などがそれに当たります。しかしその台詞がいつごろ定まったのかがはっきりしておらず、江戸時代初期の言葉が混ざっている可能性もかなりあるようです。
 そういう問題点を踏まえて狂言の中の「バカ」を見ていきたいのですが、私は狂言について詳しくないので、簡単には調べられません。しかし好都合なことに、三省堂の『時代別国語大辞典 室町時代編』(以下、『時代別室町』)や角川書店の『角川古語大辞典』が、『虎明本』などでの用例を引いているので、これで見ていきたいと思います。
 まず「ばか」の項を調べてみます……が、残念ながら狂言台本からの引用はありません。そこで今度は「あはう(阿呆)」を調べてみると、『虎明本』での用例を3つ見つけました。

そのやうなあほうな事をいふ、人の聞きやつたらば笑やらふが。

『虎明本』「舎弟」

歌い舞いなどしてちごにも所望する。あほうげに舞ふ。

『虎明本』「老武者」
※以上、『時代別室町』からの孫引き。

いやいやしんだらば、いよいよあほうじやと云うてわらはれうず。

『虎明本』「鈍太郎」
※『角川古語大辞典』からの孫引き。

 3例目の「鈍太郎」はタイトルからしてウスラバカを表していますが、実際に上演されたものをYouTubeで見たところ、主人公(シテ)はウスラバカというよりすけべなクソバカでした。
 それはともかく、上記の3つの例文ではいずも表記が「あほう」となっています。当時は「あはう」と表記されていたのを、なぜ『虎明本』では「あほう」になっているのかはわかりません。

狂言に使われる「性向語彙」の傾向

 他にも「うつけ」や「愚鈍」など、ウスラバカ系の言葉は狂言での用例が見つかりましたが、「バカ」はどの辞書でも見つかりませんでした。
 もしかして「バカ」の用例はないのでしょうか。何とかわからないものかとネットでいろいろ調べたところ、「広島大学学術情報リポジトリ」のホームページで「室町時代の性向語彙について : 虎明本狂言を中心として」という、1965年に発表された論文を発見しました。著者は柳田征司という国語学者(日本語学者)で、末尾には「広島大学大学院学生」と記されています。
 「性向語彙」とは賢愚や陽気・陰気のような人の性質を表す語彙のことです。文章の冒頭には、藤原与一という方言学者が唱えた「性向語彙の下向性」、つまり性向語彙はほめる方向によりはけなす方向に発展する、という興味深い説が記されています。
 その後、『虎明本』の性向語彙が分類されているのですが、すべてを引用するのはどうかと思いますので、「愚劣な者」という大分類のみ書き出すことにします。

○愚かな者 ぐちな(愚痴な)・ぐどんな(愚鈍な)・ぐどんだいいち・どんな(鈍な)・あはうな(阿呆な)・ちゑのあさい(知恵の浅い)・をこのかぎりな(烏滸の限りな)・うつけ・うつけた・たはけ・ぬかった(抜かった)・なまぬるい(生温い)・ものおぼえのない(物覚えのない)・まいはひののびた(眉間の伸びた)
○あわて者・思慮分別のない者 ふかくな(不覚な)・そこつな(粗忽な)・そつじな(卒爾な)・ぶねんな(無念な・不念な)・うろたへた
○役に立たぬ者・不調法者 やくたいなし(益体なし)・ふがいもない・すねはぎのびた(臑脛伸びた)・ぶてうはふな(不調法な・無調法な)・くじぶてうはふな(公事無調法な・公事不調法な)・ぶたしなみな・とどかぬ
○口べたな者 くちべたな
○のろい者 てねばな(手粘な)
○なまけ者 ぶほうこう(不奉公)・ぶしゃうな(不精な)・ぶしゃうもの・のさもの(のさ者)

柳田征司「室町時代の性向語彙について : 虎明本狂言を中心として」
※( )内の漢字表記は○△▢による補足。

 「愚痴」「愚鈍」などの漢語や「うつけ」「たはけ」や「をこのかぎり」もありますが、「ばか」はありません。どうやら『虎明本』にある狂言の台本では、「バカ」は使われていないようです(「おろか」も見当たりません)。
 しかし、現代では意味がよくわからない言葉や「バカ」の意味では使われていない言葉がいくつか目につきます。
 「生温い」は、現代では物事のやり方や言い方について使うことはあっても「バカ」の意味では使わないと思いますが、『虎明本』の狂言には次のような使用例があります。

いかなる貴人高人も、下馬をなさるゝに、あひつがなまぬるひなりで、某に一礼もぬかさひで、たかごしをかけて、慮外をしよつた程に

『虎明本』「犬山伏」
※『時代別室町』からの孫引き。この節の引用は以下同。

 「まいあひのびた」は、「眉間伸びた」と漢字で表すと意味がわかります。やはり現代では使わない言い方ですが、頭の悪そうな人物の顔を描けと言われたら、眉間の間隔を開けて描く人は今でも多いかと思います。「すねはぎのびた」はすねはぎが長い、ということで、「独活うどの大木」と似たようなイメージかと思われます。
 「てねばな」も、かな書きだとどういう意味だか見当がつきません。しかし、漢字で「手粘」と書くと、手が粘ついているかのように作業がもたついてはかどらないという、いかにも不器用な感じが伝わってくる面白い言葉です。

やら今の鱸を手ねばの物があらふかしておそひよ、やいやい今のすずきをはやうあらふてだせといへ

『虎明本』「すずき包丁」

 「のさもの」は、「のさ」に漢字が当てられておらず、これだけでは意味の見当がつきません。『時代別室町』で調べてみますと、「横着で、肝心なところで締まらない者。腹立たしいばかもの。多く、その者を、思いどおりに扱いかねるものとして、ののしっていう」と説明しています。「ののしっていう」とありますから、卑罵語の性質をもっていたようです。実際、下記の用例では「のさ者ども」と人を見下す表現に使われています。

ちとよそへゆさんに参らふと存るが、いつものさ者どもを留守におけば、酒をぬすんでたべ、さまざまのゆさんを仕る程に

『虎明本』「ひの酒」

 『日本国語大辞典』には「のさ者」はありませんが、「のさのさ」という言葉が載っています(『虎明本』の「禰宜山伏」から用例が引かれています)。つまり擬態語だったということかと思います。
 上記の分類はウスラバカ系とクソバカ系の語彙ですが、トンデモバカ系と関わる言葉としては「悪人・粗暴な者」という大分類にある「しつけのない」「りふじんな」「らうぜきな」「はしたない」「しゅつな」などが挙げられます。
 最後の「しゅつな」の「出な」と書き、『時代別室町』によれば「他を差しおいて、自分の分を忘れたふるまいに出るさま」を表しています。要するに「出しゃばり」のことで、「「バカ」の語誌(4)」で見た『太平記』の「推参のバカ者」と同じような意味かと思います。『日葡辞書』では「おしゃべりな(人)」とも説明しています。
 柳田征司の論文によれば、『虎明本』の性向語彙の中で最も多く使われているのが「悪人・粗暴な者」という大分類に属する語で(54語)、続いて「愚鈍な者」(32語)、「利発な者」(23語)、「善人・温厚な者」(14語)となっています。やはりけなす言葉が多いのがよくわかります。
 しかしこういった語彙の中に、なぜ「バカ」が含まれていないのでしょうか。身分の高い観客の前で使うには汚すぎる言葉と見なされていたのか、何かしらのタブーに触れるところがあったのか……。狂言における言葉のチョイスの傾向についてもっと詳しく調べれば何らかの仮説が立てられるのかもしれませんが、そこまでは現在の私には無理です。

「~者」という言い方

 柳田征司の論文の終盤では、性向語彙を「形容語詞」と「人そのものを表す語詞」に分けて考察しています。「形容語詞」は性質自体を表す言葉で「人そのものを表す語詞」はその性質をもつ人を表す言葉です。形容語誌の約8割が字音語、つまり音読みの言葉(上記の例でいうと「愚痴」「愚鈍」「不覚」「不調法」など)なのだそうで、ちょっと意外です。
 人そのものを表す語詞には「しゃ(じゃ)」「じん」「にん」「もの」、つまり漢字で書くと「者」や「人」が後につくものが多く、ほめる言葉には「しゃ(じゃ)」がつき、けなす言葉には「じん」「にん」「もの」がつくことが多いとのことです。『虎明本』の性向語彙のリストを見ると、前者の例には「ちゑしゃ(知恵者)」「こうしゃ(巧者)」があります。後者の例は先ほどの「のさ者」の他に「ぶしゃうもの(不精者)」「いつはりもの(偽り者)」など、「もの」が付く言葉はいくつかありますが、「じん」「にん」が付くのは「すいきゃうじん(酔狂人)」くらいしか見当たりません。逆に「けんじん(賢人)」「しつけじん(躾人)」のようにほめる言葉に「人」がついているほうが多いのはちょっと不思議なところです。
 狂言においてはともかく、現在でも「~者」を「~しゃ」と読む場合より「~もの」と読む場合のほうがネガティブな意味になることが多いと思います。
 『デジタル大辞泉』でそれぞれを調べると、人を指す場合の「~しゃ」という言い方には以下のようなものがあります。

医者・隠者・縁者・患者・記者・業者・巧者・作者・死者・識者・勝者・打者・達者・長者・読者・武者

『デジタル大辞泉』

 職業や立場を価値中立的に表す言葉が多く、価値判断を含むものは「巧者」「達者」「長者」くらいですが、この3つはいずれもポジティブな価値を表しています。
 一方、「~もの」という言い方は、数が多すぎるので全部は引用しませんが、「荒くれ者」「田舎者」「愚か者」「邪魔者」「日陰者」「厄介者」など、割合としてはネガティブな意味のものが大きな割合を占めています。もちろん「愛嬌者」「果報者」「人気者」のようにポジティブな価値を表すものや「若者」のような中立的なものもありますが、「正直者」のように、ポジティブな意味でも使うけれども「だまされやすい」というようなネガティブなニュアンスももつ言い方があるのは注目してよいでしょう。
 このような「者」の読み分けは、日本語における卑罵語の成り立ちを考える際に注目していい事柄かもしれません。

バカの言語学:「バカ」の語誌(6) 抄物

◎参考・引用文献
肥爪周二「資料論」 木田章義編『国語史を学ぶ人のために』 世界思想社、2013年
室町時代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 室町時代編』 三省堂、1985年
中村幸彦・岡見正雄・ 阪倉篤義編『角川古語大辞典』 角川書店、1987年
柳田征司「室町時代の性向語彙について : 虎明本狂言を中心として」『国文学攷』36号、広島大学国語国文学会、1965年 ウェブサイト「広島大学学術情報リポジトリ」にて閲覧 https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/21137/20141016140323962021/kokubungakukou_36_39.pdf
「者」『デジタル大辞泉』 ウェブサイト「コトバンク」にて閲覧 https://kotobank.jp/word/者-524331

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