人は何故不幸になりたがるのか
3日も経たずに記事投稿に飽きてしまうところだった。危ない危ない。
やぁ、私だ。
今日もなんかネタを思いついたので、書き記すことにした。
楽しく生きようよ
私は、小さな会社で中間管理職的なポジションにいる。勿論愛すべき部下たちがいるわけで。で、彼らには常々こう言っている。「自分が楽しいと思える仕事をしなさい」
単純な話なんやけども、人間って楽しいことはやりたいと思うやん。自分から進んでやろうとするやん。やから、楽しいことをやってる時が人は一番モチベーションが高いと思うねんな。そこには「頑張ろう」という意志すらなく、ただひたすら「やりたいからやる」という思考があるだけで。
それでも、「楽しくないこと」「やりたいと思えないこと」をやらなあかん時もあるやんか。そういう時はこう言うねん。「その仕事を楽しく思えるにはどうすればいいか考えて改善してみな」って。
仕事も人生も、楽しいに越したことはないやん。何事も楽しくやろうよって思うねんな。
そう思ってない人が多い世の中
ただこう、世間的にはさ
努力して苦労して勝ち取ったものにこそ価値がある!(ダジャレちゃうで!)
楽して手に入れられるものになんて何の価値もない!
みたいな考えが蔓延っててやな。
なんやそれって思ってまうんよな。
例えばな、貯金しようとしてな、少しでも多くのお金を貯めるために生活を切り詰めて、食費も切り詰めて、家賃も切り詰めて、水道光熱費も切り詰めて、娯楽なんて以ての他で、そんな毎日を送るとするやん。その結果、目標の貯金額に達したとして、それこそが尊いと世間は言うとるわけや。
ちょっと待てと。
ほなら、目標に到達するまでにお前は苦しい思いをしとるやないかと。
つまり、お前を幸せにするはずの貯金という行為が、お前を不幸にしとるやないかと。
お前は不幸になりたいんかと。
そもそも、目標に到達するために苦しい生活を強いられるのなら、その目標額はお前の身の丈に合ってないやないかと。
アホかと。
ほんで、苦労の果てに手に入れたその貯金には、お前の苦しみの念が詰まっとるやないか。
そんなお金がお前を幸せにしてくれるんか、と思ってしまうのよね。
君がそうしたいなら、そうすればええよ
会社でもな、そういう子達がおんねん。
あれが辛い、これが辛い言うてな。
そういう子達にはな、「こうしたほうがええよ」「しんどい思いしてまでやり続けることはないよ」って教えてあげるねん。
でもな、なんべん言うてもやめへんし、やり方を変えるわけでもないし、そのくせ「しんどいしんどい」言うとんのよ。
それってつまり「しんどい思いをしたい」「不幸になりたい」と同じやんか。
私の信条は「やりたいこと・楽しいことをやる」ってのは先述したけど、
そんな私が不幸になりたい人間に対して「不幸になるのをやめなさい」って強要するのもおかしな話やんか。
せやから、そういった人たちに対しては「君がそうしたいなら、そうすればええよ」しか言えへんやんか。
しゃあないやん、彼らは不幸になりたがってるねんもん。
何故人は不幸になりたがるのか
楽しく生きたらええやん
やりたいことやったらええやん
なんでわざわざシンドイ方向に人生をもっていくのか。
私にはわからん。
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