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フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#016 ジャンクフードは刺激的。食べたくなりませんか?(誘惑) (書き手:玉木春那)

今回のお話

「以前まで、『絶対的においしいものがある』と思っていたけど違った」

食生活が変化したことで、見ていなかった食の側面を考えるようになり、異質なものに寛容になった、そんなストーリについて書いてみます。
(=これまでの人生でジャンキーなごはんを全く食べたくなかった私が、ひょんなきっかけで食べ始めたら、おいしいく食べれるようになっていた、というプチストーリです。)

変化した暮らし

気づけば2020年も終盤。世の中の例に問わず、私も生活が一転した。つい先日のように感じるほど、あっという間に日々が過ぎていく。去年まではアウトドア派で、趣味は旅して食べること(夏・春休みの度にグルメ旅をしてた)。が、今は一転して絶賛インドア生活中。今や全く動かなくても十分生活できている。(2020年8月26日の歩数計は記録更新、なんと11歩だった)
でも最近はzoomのおかげで、各地の友人たちと毎週のように喋ることが日常となった。大阪にいながらも、オンライン上では一瞬で大阪〜東京〜秋田を移動することができるようになって早6ヶ月。家にいながらオンラインではいつもどこかに飛び回っていて、インターネットの便利さを享受しているが、五感で感じる体験が恋しくなっていたのが生活における変化の一つだった。

量と質が変化した食生活

さて、本題の食生活については、「量」と「嗜好」が大逆転するという出来事が起こっていた。
まずは「量」について。これまで1日3食欠かさず食べていた生活でしたが、移動距離(≒運動量)が減ると、動かないからお腹が空かない。「あれ、3食食べなくても2食で十分だったんだ」と、当たり前だったことがそうじゃなくてもいいことを実感。それに、朝は食べ過ぎない方が頭が冴えると言われていたり、1日3食必須だという常識はごく最近にできた習慣だと知ったことで(今の飽食文化に抗ってみようと思った)、1日2食生活を始めました。いつ何を食べたいかは自分で決めていいんだな。
次に食べたくなるもの(嗜好)が変わった。以前はナチュラルなものしか食べていなかったのに、ジャンキーなものを食べ始めた。嗜好が変わりすぎて、自分でも不思議なくらいだったので、どうして未知なるものを受け入れられるようになったかを考えてみた。

①食べることは刺激的だ

1日3食生活の中で刺激と満足感のある食事がしたいと思うようになり、薄味から濃いめの味、食べ慣れた味から初めて食べる味、を食べてみたくなった(つまりはジャンキーチックな食べ物)。
ハマってしまったのは味付け海苔。ほくほくの白いごはんにパリパリした海苔絡めて食べるこのコントラストがなんとも言えないおいしさ(おかわりが止まりません)。「味を付ける」と言うだけあって、濃い醤油味が絡まっていて、味が濃いものほど、刺激も強いのだと思う。食べすぎたら身体には良くないんだろうなと思いながらも、「あと1枚食べて」と頭からメッセージが来る。(脳からの誘惑)
他には、人生で5回目となるカップラーメンを作ってみた。添加物の塊だと思っているが故に拒絶すら感じていたが、変化を恐れまいと作ってみた。5分足らずで無機質だった乾燥物が食べ物へと完成されられるんだと発見した。時間がない人、料理がめんどくさい人には助かるだろうな(私は、忙しくても食事する時間を作りたいし、食事をして感動したい派)。安くてすぐに完成させられて、味はふつうにおいしく食べれる。ただもっぱら調味料の味がするし、麺も食感がほしかったり練りこんでる味が濃すぎると感じたり、もっと口出ししたいことはあったけど、これまで理解できない異質なものを理解してみようとする機会になった。それに初めて食べるということには冒険心が湧く。異国を旅するのと似た気分になるくらい、食べることは冒険みたいで面白い。

②マスの好みを体験してみる

大衆向けと言われるものは好みではない。でも、大勢の人を惹きつけるにはきっと理由がある。例えば、スナック菓子って大勢に好まれる食べ物だと思う。ホームパーティに必ずあるのがスナック菓子。子どもたちが好きな場所はスーパーのお菓子売り場(私も宝箱だと思ってた)。おそらくポテトチップス(=濃いフライドポテト)のことは皆知っている。甘くて塩辛くて濃いお菓子。その国民的スターのようにみんなが好きな食べ物。私は好きではなく興味もなかったけど、みんなが好きな背景には理由があるはず。

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『嗜好』っておもしろい

ナチュラルなものも、ジャンキーなものも、なぜ人によっておいしいと感じるのか。その十人十色な『おいしさ』は、実はいくつかの種類に分けられている。

伏木亨さんは、「生理的おいしさ・文化的なおいしさ・情報によるおいしさ・病みつきのおいしさ」の4種類に分けられると言っている。

具体的には、寒い夜に食べるお鍋はいつでもおいしい・日本人にとってはみそ汁や納豆がおいしい(ある文化の人にとってはゲテモノ)・口コミ評価が高いレストランに満足すること・ジャンクフードのように手が止まらないこと、だと解釈してる。
ここ数ヶ月、少量かつ「おおこれはウマい!(稲妻)」となる新しい食体験を求めていたように、実験的に食べてみたジャンキーな食べ物は、ひと口食べるだけで病みつきになる感覚はほのかに感じた。
これを踏まえると、身体に良い食が好きなのも、健康でいれると思わせてくれることで安心しながらおいしく食べたいからだったのかもしれない。有機野菜、乳酸菌入り、といった言葉から健康をイメージするみたいに。
逆に添加物が多い食材を買いたくなかったのは、身体が悪くなるというイメージがあるからだ。だからコンビニやファストフード、スナック菓子を避けていた。イメージと事実は別物かもしれない。

色んなおいしさの価値観

私はおいしくご飯を食べることが大好きで、「おいしい」にも種類があることを知ったときはまさに目から鱗が落ちた。
これまで私はジャンキーなものが嫌いで身体に優しいものをおいしいと思っていたんだ。ジャンキーなものを食べることは嫌だったけれどこれにもおいしいと感じさせる要素があったのだと知った時に、食べることに寛容になった。
過去の自分の経験やこれまで培ってきた自分の価値観にとらわれていたんだと思った。

再確認したこと

これまで好んでいなかったものを食べてみて良かったこと・良くなかったことのメモを残しておく。

良かったこと:
おいしいと思う食べ物の幅が増えた、寛容になった、新しい食べ物を食べてみようと思うようになった、コンビニの食べ物も案外食べれる(日本の食文化はハイスペック)、誰とでもおいしく食事を分かち合える(味的にはおいしくなくても、食時自体が楽しいから、それも「おいしい」)

良くなかったこと:
案外人間なんでも食べれると気付いたことで健康への意識が低くなってしまった、肥えていた舌が若干鈍くなった、添加された調味料の味がわかるようになった(身体に良くないと思いながら食べる食事は心地が良くない)

人生史上最大に不規則な食生活を送り、嗜好について考えてみたら、案外どんな食べ物もおいしく食べられるんだと思った。

…と言いつつ、結局感じたことは、ジャンキーな食事は快楽的なもので誘惑される。その瞬間はおいしいのかもしれないけど、繰り返したら身体も味覚も生活全体も感覚が鈍ってしまいそうになる。それに簡単にコピーと複製ができる薄っぺらい食に魅力は感じない。

私にとっておいしいものは、誰かにとってはおいしくない。私にとっておいしくないものは、誰かにとってはおいしいものかもしれない。嫌いなものを食べてみることは、関係の無かったことに関わること。価値観を広げてくれるかもしれない。
以前まで、絶対的においしいものがある、と思っていたけど違った。おいしさはその人の中にある。だからどんなに理解し難くてもそこには理由がある。測り知れない。どんな食にも寛容でいながら、私はきちんと好き嫌いをしていこうと思った。

何をおいしく食べたいか、そう思う価値観は自分たちで定義していけるんだ。

『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。次回をお楽しみに!

今回の著者_
玉木春那
1999年生まれ。立命館大学経営学部4年生、デザインマネジメントを研究。フードロスの現状にショックを覚えたことから、食とサステナビリティを軸に取り組んでいる。食の背景にある物語や思想が伝わらないことに課題意識がある。食べることでサステナビリティに繋がるような生産と消費の関係性を模索したい。そして食に様々な視点を混ぜながら、次の食のカルチャーを作っていきたい。


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