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成功しなくてもいい、生きがいさえあれば。 日本版ウェルビーイング【読書セラピー】IKIGAI 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣

本書の結論。
「人生の目的」
〈生きがい〉は別物でした。

日本人であるがゆえに
気づかなかった

〈生きがい〉の本質について
まとめてみたいと思います。


こんにちは
読書セラピストのタルイです。


今回の記事は前回の続きです。



突然ですが、

「あなたの生きがいとは?」

と問われたらどう答えますか?



あまりにも突然すぎて

「どう答えればいいのか分からない」

と思うかもしれません。



実は私もそうでした。


私も〈生きがい〉
よくわからなかったのです。

ただ、漠然と

その答えに辿り着ければ
幸せな人生を
送れるような気がしていたのです。

そしていま
この本を読み終わった私は

もっと早く読んでおけば
良かったと思ってます。



『IKIGAI 日本人だけの
 長く幸せな人生を送る秘訣』


著者は脳科学者の茂木健一郎さん


茂木さんが
「生きがい」に関する内容を
イギリスで出版して
日本に逆翻訳した本です。


日本語の「生きがい」
英語で説明することで、

外部からの視点で
その意味を明らかにしました。


このことにより、
日本人が気づかなかったことが
示唆され、心に響きます。


●「ikigaiチャート」は本当の生きがいではない

とても重要なことなので
最初に断っておきます。

現在ネット上に散見する
「ikigaiチャート」

茂木さんが考える
生きがいではなりません。

ikigaiチャート


この図は、「ikigai」という概念を
「好き」
「得意」
「稼げる」
「ニーズ」

の4つの構成要素で表したものです。

円が重なった部分に相乗効果が生まれ、
4つの要素全体の集合部分が
「ikigai」になるというのですが


これは欧米の方が
勝手に解釈したikigaiです。


ikigai≠生きがい

なので注意してください。


では茂木さんが提唱されている
〈生きがい〉とは何か?


それは
下記の5つの柱に集約されます。

柱1:小さく始めること
柱2:自分からの解放
柱3:調和と持続可能性
柱4:小さな喜び
柱5:「今ここ」にいること

茂木さんは本書で繰り返し
この〈生きがい〉の5本柱
提示されてます。



◆生きがいとは何か?

生きがいは長寿の秘訣でもある


「生きがい」は
「生きる」+「甲斐」

「甲斐」とは努力した効果や、
期待できるだけの値うち
という意味です。

つまり「生きる価値」です。


私が本書で気づいたのは

生きがいウェルビーイング
密接に関連していたことです。


ウェルビーイングは、
身体的・精神的・社会的な
健康の状態を表す言葉です。

つまり、
人が健康であること、
ストレスが少なく、
生活に満足していることを指します。


東北大学大学院医学系研究科の
曽根稔雅博士らが
43,000人以上の日本人を
7年にも及ぶ調査をしたところ

「生きがいを感じている」人は
既婚率、学歴、就労率が高く、

ストレスレベル
低かったそうです。


その上、
死亡リスクも低いのだそうです。


これは〈生きがい〉
日本版ウェルビーイング
と言い換えても良いかもしれません。

心理学者の
マーティン・セリグマン博士が提唱した
ウェルビーイングの「PERMA」

https://wellday.jp/articles/well_being


茂木先生の
「生きがいの5つの柱」との
相違点も興味深いものがあります。



◆生きがいを持っている人とは?

すきやばし次郎:小野二郎さん


本書では、職人や芸術家など、
自分たちの職業に
生きがいを見出している人々が
紹介されています。


例えば、
ミシュラン三つ星の料理人である
「すきやばし次郎」の
小野二郎さんは、

寿司職人としての
「こだわり」を追求することで
生きがいを見出し、

小さな工夫を重ねることで
より美味しい寿司を
提供するようになりました。

「こだわり」の定義とは、
定められた基準を
自分で超えていこうとする
姿勢のことであります。


こちらの本は
小野二郎さんの
独自のさまざまな手法が
事細かに書かれてます。

小野二郎さんは
素材の下処理のことを
「手当て」と呼んでます。

そしてたいていの鮨の味は
「手当て」で決まってしまうと
言います。

例えば、
タコを柔らかく、
味わい深くするために

なんと小野さんは一時間も
タコをマッサージするのです。


アメリカでは
小野二郎さんをモデルにした

『Jiro Dreams of Sushi
 /二郎は鮨の夢を見る』



というタイトルの映画が
つくられました。

現地の評論家からは
軒並み高い評価を受けました。

※私も大好きな映画です。
ぜひ予告編だけでもご覧ください。


外国人は、
日本の職人の並々ならぬこだわりや、
一つのことに高い志を抱く人が
大好きなようです。


ここで一番大切なことを書きます。

アメリカ大統領からの賛辞

ミシュラン三ツ星料理人

これらも〈生きがい〉かもしれないが

小野二郎さんは単純に
出てくる寿司を楽しみに
頬を緩ませている客に

一番良い状態のマグロを
提供することに〈生きがい〉を
見出していることです。

市場に魚を買い付け行く
早朝の空気の心地よさにも

タコのマッサージにも

アメリカ大統領の賛辞も

すべて対等に〈生きがい〉なのです。


◆なぜ、私たちは生きがいを見失うのか?


一方で、
〈生きがい〉を見失う原因として、

人々が幸せになるための条件を  
間違えている可能性があります。

●生きる目的とは違う概念

〈生きがい〉似た言葉に
「生きる目的」がありますが

この2つは似て非なるものです。

「生きる目的」とは、
人が達成したい
大きな目標のことです。


自分自身や
社会貢献することなどが
含まれます。


一方、〈生きがい〉は、
人生において得られる
喜び充実感のことです。


目が覚めて
一番に飲むコーヒーの香り

犬の散歩

車窓からぱっと目に入る
満開の桜並木


ひょっとしたら
他人からみれば
「だからどうした?」
と思えるものも

〈生きがい〉に
なることがあるのです。


私たちは、
競争で勝ち抜いたり、
富や名声を得たりする
ことがなくても


自分がいる環境や
普通の日常で喜びを見つけ、

そこで成長することができるのです。

成功しなくても
人に認められなくても、

「生きがい」が
「誇り」と「喜び」を
与えてくれるのです。




◆生きがいの5つの柱


柱1. 小さくはじめる
柱2. 自分からの解放
柱3. 調和と持続可能性
柱4. 小さな喜び
柱5. 今ここにいること


1.小さなことからはじめること


茂木さんは、人生において
大きな目標や夢を持つことは重要だが、
そのためには小さなステップを
踏むことが必要だと考えています。


小さな目標や小さな挑戦を設定し、
それを少しずつ達成していくことで、

自己肯定感や達成感を
得ることができます。

すきやばし次郎の
小野二郎さんが
最初に目指したのは

「世界で一番おいしい店を作ること」

ではなかったのです。

単純に寿司屋を開業するのが
他の食べ物屋に比べて
一番安く済んだからです。



2.自分からの解放

福井県の永平寺は
道元によって開かれた
禅僧の学び場です。

https://www.fuku-e.com/spot/detail_1089.html

永平寺での
最も重要な決まり事の一つに
能力主義をなくすことがあるそうです。

私たちの世界では
何か価値のあること
何か良いことをすれば

功績が認められて
信用度が増していきます。

しかし永平寺の中では
そんな見返りはありません。

どんなに熱心に瞑想しようとも
誰でも対等に同じように扱われます。

永平寺においては
匿名の存在
目に見えない人物となり

個性など
何の意味も持たないものになる。

永平寺では自我(エゴ)
全く満たされないけれど

修行僧は
顔つきも身体も引き締まっていて
皮膚は滑らかでいて
観光客も羨むほどの
「没我」の表情でいる。

彼らは「自分からの解放」
〈生きがい〉を手にされているのです。


3.調和と持続可能性を追求すること

茂木さんは、
人生において重要なのは

自己中心的な欲求や
利益追求ではなく

調和と持続可能性を
追求することだとしています。


自然と調和し
持続可能な社会や環境を築くことが

人間の生きがいや
幸福につながると考えています。


日本人は欲望の抑制を
「足るを知る」のように
一つの美の形まで高めました。

控えめな美「わび・さび」
鮨屋の無垢のカウンターが
その典型です。

桧一枚板のカウンター



4.小さな喜びを大切にすること

茂木さんは人生において
「小さな喜び」は
自分で定義していいと言います。



小さな喜びに気づき、
感謝の気持ちを持つことで、
人生が豊かで充実したものになると
考えています。

日本ではものすごい数の人が
「自分で漫画を制作し、
週末に「コミケ」で売っています。

本書では、
このコミケへの参加
〈生きがい〉の最高の例と
紹介がありました。


https://news.ntv.co.jp/category/society/1006526


夏と冬に年2回開催される
コミックマーケット(通称・コミケ)

参加者の動機は金銭的な報酬、
社会的認知というよりも
その行為自体の喜びからきています。

それは
「コスプレイヤー」もそうでした。

https://hobby.dengeki.com/event/1789561/

茂木先生は「コミケ」を説明するに
幸せの青い鳥を比喩に出します。

コミケに来て、互いに対等にやりとりする人々は、それをよく知っている。幸せの青い鳥を探しに彼らは『コミケ』にやってくる。そして探していたものを、他のどこかではなく彼らの中に見つける。コスプレをして現実離れしたアニメキャラクターになることを楽しんだ後に、彼らはその喜ばしい衣装を脱いで、自分自身へと戻っていくのだ。


5.「今ここ〉にいること

茂木さんは
人生において大切なのは、
現在の瞬間に
集中することだとしています。


はかなさへの信念

一万円を超える高級マンゴーは
口に入れ、咀嚼し、呑み込んだら
それで終わりです。

そんな高級フルーツに対する愛情は
日本人が持つ、
はかないものへの信念の投影なんです。


毎年春の訪れとして楽しむ
「お花見」
はかないものへの信念を感じます。

過去や未来に囚われず、
今ここに集中することで、
人生がより充実したものになる
と考えています。


本書は、
夢に向かうプロセスや日常生活にこそ
生きがいがあることを教えてくれます。


自分たちが置かれている環境や
日常生活の中で小さな喜びを見つけ、

それを楽しむことが
重要であるということです。



●〈生きがい〉が埋め込まれている茶道

茂木さんによると
この5つの柱は「茶道」の中に
埋め込まれているそうです。

1.小さなことからはじめること
茶会では主人が注意深く部屋の飾りを準備します。

2. 自分からの解放
茶会の主人と客は謙虚の精神が特徴

3. 調和と持続可能性
茶会で使われる多くが
何十年という年代物

それらが一つ一つ
調和し合うように選ばれている。


4. 小さな喜び
茶会の究極の目的は
リラックスすることで
それを茶会内の細部から喜びを得る


5. 今ここにいること
自分の心の中に茶室という
宇宙を取り込む
マインドフルな状態になること



◆〈私のまとめ〉真心…ありたい自分…それが〈生きがい〉

最後に本書を読み終えて
私の頭の中に浮かんだ
あるドラマのワンシーンを共有して

私のまとめとします。


以前TBSの日曜21時に放送していた
佐藤健さん主演のドラマ
「天皇の料理番」です。

明治から昭和という
激動の時代を生き抜いた料理人、
秋山徳蔵の人生を描いた
ノンフィクションの物語でした。


これは
主人公の秋山篤蔵(佐藤健)に
師匠である宇佐美鎌市(小林薫)が
言ったセリフです。

「料理は真心だ。技術は追いつかないときもある。素材は望み通りにいかないこともある。けど真心だけは、てめぇ次第でいつでも最高のものを出すことができる。爪を短くすること。鍋を丁寧に洗うこと。皿を磨くこと。包丁を整えること。そういうことは、確実にできる。それすらできん奴は、まともな料理を作れるとは俺には思えない。」(宇佐美鎌市)

私はこの「真心」も
〈生きがい〉なのだと考えたのです。


「最高の技術を身につけたい」
「最高の素材を扱いたい」

これらはなりたい姿のことであって
そうなれないこともある。



でも真心だけは

自分の心がけ一つで
自分でコントロールできるので
いつでも最高でいられるのです。

よって真心とは
なりたい姿ではなく
「ありたい姿」のことです。



さて、このドラマのエピソードが
本書にどのように着地するかというと

〈生きがい〉とは
ありたい姿のことでした。


いま日本は、
急速にグローバル化ということで
欧米の「生きる目的」が浸透しつつあります。


欧米の人にとっての
「生きる目的」とは

唯一の絶対神に見せることができる、
あるいは誰にでも誇れること、
仕事の業績や家族のこと、

そして、誰かの役に立つ
壮大な人生プラン。

つまり「なりたい姿」です。



そんな欧米の人が、
日本の〈生きがい〉
注目していることが
何を意味しているのだろうか?


彼らはひょっとしたら、
気づいちゃったのかもしれません。


「なりたい姿になれていないから
 生きている価値がない」

「こうでなければならない」

このように思うのは
大間違いだってことにです。


茂木先生は「成功」に関して
世の中の多くの成功者は

成功することで
自分を見失っていることが多い
と言ってます。



これは私の想像でしかなく
もちろんエビデンスはありませんが、

おそらく、
古来から戦前の日本人は
自分の「ありたい姿」を
終わりなき目標として
生きてきたのではないだろうか?


日本の神道では、
自然や人間界に存在する
あらゆるものに
神性が宿ると考えられており、

その神性を
神として崇める信仰があります。

トイレにだって神様がいる国は
世界で日本だけでしょう。



なぜ、日本では
欧米のように唯一の神をもたず
八百万の神(多種多様な数多くの神) 
としたのか?


それは神が身近に感じることで
自分が神に見守られている
と思いたかったのではないか?


まわりから称賛される
「なりたい姿」にならずとも

周りにいる神様に
見守られているならば
それでいいじゃないか。

そう思えれば、
常に自分の周りに
感謝して生きていける
と私は思えるのです。



仕事にやりがいがなくても
いいじゃない。

人生は〈生きがい〉があれば
ウェルビーイングです。



最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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