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【考察コラム】自己肯定感が高まる2つのコト

どうもキャリアコンサルタントのタルイです。

今回のテーマは自己肯定感について書きますが

心理学的な説明はとりあえず置いといて

『アナと雪の女王』主題歌「Let It Go〜ありのままで〜」で

すっかり有名になった言葉「ありのままの姿」という言葉で

自己肯定感を私なりの考察で書いてみたいと思います。


まず、ありのままの姿とはなにか?

結論から書きます。

ありのままの姿とは自己成長他者貢献のことです。


■人は生まれた時は『自分に負けたくない』**

私のキャリアコンサルティングの活動を通じて、

主に多くの飲食店の社員さんアルバイトさんとの対話の中から

自己成長意欲が旺盛な方負けず嫌いな方が多いことに気づきました。

そして負けず嫌いな方は2つのタイプに分かれることが分かりました。

2つのタイプとは

「自分に負けたくない人」と「他人に負けたくない人」です。


「他人に負けたくない人」とは

いわゆる「意識高い系」と呼ばれた時期もありました。


さて、この違いはいつから生まれたのでしょうか?

生まれつきの性格の違いなのでしょうか?

どうやらそうではありません。

なぜならば「生まれた時は自分に負けるのが嫌い」だからです。


動物学者ポルトマンが提唱した「人間一年早産説」(※生理的早産とも呼ばれる)によれば

私たち人間は他の動物に比べて一年早く生まれるそうです。

他の動物より早産なのだそうです。

その理由は

人間は他の動物に比べて脳が大きいために

一年遅く生まれると頭が大きくなりすぎて

産道から出れなくなってしまうからです。


そして早産のため身体は未成熟な状態です。

他の動物が生まれてすぐに立つことが出来るのに対して

人間の赤ん坊はすぐには立つことが出来ません。

つまり、人間は生後すぐに「立てない」という”出来ない問題”に直面します。


ですが赤ちゃんはやがて立ちますよね。

自分の周りの大人がそうであるように

自分もそうであると信じて疑わないように自ら立ちますよね。


赤ちゃんは

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なんて出来ない言い訳を考えないでしょう。


私たちは、みんな不完全に生まれてくるのです。

最初からなにも出来ないようになっているのです。

生まれながらにして劣等感を抱えているのです。

みんな生まれた時は自分に負けたくないのです。

それが、いつからか他人と自分を比べるようになっていきます。

「負けたくない」の矢印が自分ではなく他人に向くこともあります。

劣等感があるからこそ、成長を欲するのであり、

また逆に劣等感があるから周りに卑屈な態度を取ったりもするのです。


もうお気づきかもしれませんね。

自己肯定感とは劣等感を肯定的に捉えることなのではないでしょうか。

つまり、自分を高めるための課題と考えてみる。

自己肯定感とは、今の自分のありのままを丸ごと受け入れ大事に思う感覚と言い換えることもできます。

「今の自分も好き」
「成長したいと思う自分も好き」
「成長した自分も好き」
「そこに満足せずもっと上を目指す自分も好き」
「だから自分に負けない」

自分に負けたくないと念じた時にスイッチが入るのです。

残念ながら、他人に負けたくないと念じた時はスイッチが入りません。

他人を攻撃する。

やたらと自慢する。

不幸をアピールする。

このような行動は

自分をごまかすことはできますが

劣等感そのものを克服していません。

自分自身の成長には全く役立っていません。


目の前に問題が直面したらチャンスです。

「これが解決したら自分はもう一段成長できる」

と考えることができたら違う未来があるかもしれません。

くりかえしますが、他人と比べて劣っていても良いのです。

出来ないこと、知らないこと、わからないこと、

たくさんあったほうが良いのです。


などと偉そうなことをことを書きましたが、

私自身も自己肯定感が高いと言われると考えさせられてしまいます。


そんな私には、いつも自分に語りかけるエピソードがひとつあります。


■人は誰かの役に立ちたいと思う動物

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私達の心の中には

「誰かの役に立つことをしてあげたい」

という気持ちが本能として組み込まれています。


今から1800万年前に地球の熱帯雨林が縮小しはじめたときに

類人猿(サル)の生活は激変しました。

森林が縮小した時、ケンカの強いサルは、

乏しくなる食い物の争奪戦で勝利しました。

彼らの子孫がゴリラだそうです。

別の果物好きで木登りの得意なサルは、

 時に地面に降りて食物を探して雑食になっていったそうで

彼らの子孫がチンパンジーになったそうです。


 そしてこの世界でも、やっぱり「負けザル」は存在しました。

ケンカが弱かったり

木登りが上手くなかったりで

森林から追われるように荒地に移り住みました。

 そう、彼らの子孫が我々ヒトでした。

彼らは弱かったけど

新しい生活のために直立歩行をおぼえ自己成長をし

果物以外も手当たりしだいに食べたり

集団生活のなかで食物を分かち合うことで助け合いをしていきました。

そしてだんだん脳を発達させていってヒトになったのです。 

ヒトの先祖は類人猿としては弱かったけど、

弱かったなりに腕力と木登り以外の分野で成長し、

集団生活のなかで補完しながらら生きていく他者貢献をおぼえたのですね。

ヒトは劣等感があったから成長できました。

そしてサルのなかで唯一集団行動ができたのです。

つまり、私たちのDNAには自己成長と他者貢献が引き継がれているのです。

個では決して強くない私たちは

集団をつくることで原始時代を生き延びてきました。

それがDNAに深く深く刻み込まれています。
 
そのDNAが「助け合って生きろ」と命令を下すため、

今の僕らも原始時代に創られたDNAの命令に従ってしまいます。

会社とは一人ではできません。集団で行うものです。

会社とは集団社会で生きるヒトの縮図なのではないでしょうか。

しかしいくら「他者貢献」でも、自分の嫌な事をやっていたら

それは「ストレス」にもなりますし

「自己犠牲」にもなります。


その場合はどうしたらいいのでしょうか

もしも自分の置かれた集団の環境が劣悪であったら

その環境を変えて、別の集団に属すことも大切な選択です。


■最後に大切なことを書きます。


「自己成長と他者貢献」ありのままの姿であって

あるべき姿ではありません。


ありのままの姿≠あるべき姿


これをあるべき姿として会社の経営理念に掲げるのが従来型の会社経営です。

日本の多くの企業が自己成長と他者貢献を大上段に掲げた結果

日本はどうなったでしょう?

馬に人参をぶらさげて動かすようなノルマを掲げたり

他者貢献の欲求につけ込んでやりがい搾取したり

パワハラが横行する理不尽な会社が出来たりしました。


会社が理念を掲げることが悪いのではなく、

人間にはもともと「自己成長」と「他者貢献」の欲求が備わってる。

だから本来の欲求を発揮しやすい環境を整備してあげれば

それでいいのです。

またいつの日か会社の環境整備について書きますね。


最後までお読みいただきありがとうございます。

今回の記事は「働き方じぶん改革」のシリーズのひとつです。

はじめて訪問された方は、

以前の記事を読んでいただいてから本記事を読まれると

流れというか理解が増すかもしれません。


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