健康の定義
「朝ごはんを抜くと健康によくない」
そんな話を聞いた頃ありませんか。他方
「朝ごはんは胃がもたれて不快だから健康に悪い」
こんな声も聞いたことがあります。結局朝ごはんは良いの?悪いの?どっちなの?!
この二つの見解の違いを観察するに個人差はもちろんありますが、それ以外にも「健康」という言葉の捉え方の違いからきてるんじゃないかと、私は思うわけです。
健康食品というジャンルについて『健康食品は疾病の治療や予防目的ではなく、健康を増進するもの』だと説明されることが多いです。病気を治すわけじゃなくて健康を伸ばすと。
でもね、これよくよく考えるとじゃあ健康ってなんなのよとなるわけです。仮に「健康=病気でないこと」と捉えると、健康食品の説明に矛盾が生じることになります。
「◯◯を食べて健康になろう」
なんてのも、まことしやかに言われたり、逆にデマ認定されたり、、これの本質はそもそもの「健康」の定義の違いからくるすれ違いだと私は考えます。
じゃあ定義してみよう!!
これはかなりの難題になりそうな予感。言語化に挑戦してみます。
健康の捉え方は人によっても違うし、主観まみれのコラムになること必至ですが、ご理解ください。
辞書をひく
まずは「健康」という言葉が辞書にどのように書かれているか見てみましょう。
もう一つ別の辞書を。
こんな時は解説が斜め45度でお馴染みの新明解国語辞典。
さすが新明解。
いずれにしても、異状がないとか日常に耐えられるとか、「ネガティブではない」という状態と表されている印象ですね。
マイナスな状態ではないものの、それがゼロ(つまりなんとも感じていない状態)なのか、プラスな状態(心身ともにみなぎっている状態)なのかは別にどちらでも「健康」と言えるかもしれません。
またWHOの憲章にもあって
WHOのだけはゼロじゃなくてプラスである状態が健康やでとハードル高めです。
健康を別の言葉で置き換える
健康に近しい言葉としていろいろな横文字で置き換えることがあります。そういう意味では日本では「健康」という言葉自体の解像度が低いのかもしれません。
どうしても横文字を使うと意識高くなりがちですが、細かい違いを見るには仕方なしとしよう。
メディカル
医療や医学的な、という意味で「メディカル」という言葉があります。シンプルに疾病の治療や予防などを考えたら良いかもしれません。
健康な体を維持するために病院に行って診察してもらったり、医薬品を処方してもらうときに使う「健康」という言葉はメディカルの範疇と言えるでしょう。
デジタルでいうところのDTx(Digital Therapeutics)もメディカルの分野でしょうか。
ヘルス(ケア)
健康を置き換える上でよく用いられる言葉として「ヘルスケア」というものがあります。
体を整えていくときによく使われる用語で、一つ大きなポイントとして医療的ではない(=メディカルではない)ときによく用いられますね。最近ではアプリのジャンルとしてもよく用いられる言葉です。
人によっていろんな解釈があるでしょうが、私の中では
「医療の分野つまり治療とまではいかないが、病気にならない状態を保つために自分自身で体を整えていくこと」
という文脈で使うことが多いでしょうか。
ウェルネス
「ウェルネス」という言葉もヘルスケアという言葉と同様よく聞かれる言葉です。
日本語で言うと、イキイキと言うニュアンスが近いように思います。
ヘルスケアという言葉が「病気にならない(=マイナスにならない)」ニュアンスが強いのに対して、ウェルネスは「より良い状態に(=0からプラスに)」のニュアンスがとても強い。
この「ウェルネス」は健康食品で言われる「健康増進」という言葉と最も相性の良い言葉かもしれません。
ウェルビーイング
最近はさらに「ウェルビーイング(well-being)」もよく聞かれます。
思ったより古い言葉なのかな。
Wellな状態ということで、さらに上位概念。ヘルスやウェルネスが比較的身体に対して使われることが多い一方、ウェルビーイングは心や幸福自体を指すことが多い印象。
ちなみに、前述のWHOの憲章にもwell-beingが使われています。
ということで、健康という言葉を横文字で分解してみるとメディカル、ヘルス(ケア)、ウェルネス、ウェルビーイングといった多少位相の違う意味合いが混在しており、どの部分の健康を議論をしているのか、話し相手との目線合わせが大切でしょう。
健康のグラデーション
健康を別の言葉で置き換えてみると、一つ見えてきたことがあります。
それは、健康という言葉の中にグラデーションがあるということ。
ここからはある人が「健康」という言葉を発したときに、その健康ってどのくらいのレベル感のことを言っているの?という照らし合わせができるように、そのレベル感を言語化していってみます。
①死なないこと
一番はこれでしょう。死亡率を下げるため、寿命を延長するため、などとも置き換えられそうです。
事実、これらと相関する関連因子を避けることは健康につながるでしょうし、致死性の毒物を摂取しないことなどもこれにあたるかと。
正直なところ若いうちはこれを意識して「健康」という言葉を使うことはあまりないかもしれません。
②重篤な疾病にかからないこと
続いてこちら。日常生活に重大な影響を及ぼしたり、死に直結する病にならないこと。
「健康寿命」の文脈における「健康」はここのレベルの話ですね。
五体満足とかピンピンコロリ(ppk)などは②をすっ飛ばすことを重視しているとも言えるでしょう。
③病院にかからないこと
医師の方には申し訳ないですが、「病院のお世話になる」というのは不健康の象徴だと感じる人もいるのが現実。
本当は病院に行った方が安価に素早く治ることも多いのにね、と思いつつこう言った固定観念はなかなか奥が深そうです。
このレベル感はかなり重要で、本来医師による診察治療が必要な③のフェーズなのに自分で治せると誤認して(あるいは誤認させられて)、治療の機会を逸するのは必ず避けるべき。ここの闇も深い。
ちなみに、近いニュアンスとして「薬に頼る」という価値観もあって、それもここのレベル感でしょうか。
④(病気につながる)数値が悪くならないこと
例えば血圧が高めとか食後血糖値が高め、排便の頻度がやや少ないなどなど、それ自体は疾病ではないけれど、そのリスクになりうる因子の話。境界域なんて言葉もあります。
「健康診断」の文脈での「健康」はここも指しますね。
このあたりから議論が分かれるところでしょう。ここ以降は健康と定義しない人もいるかもしれません。
ちなみに、特定保健用食品(トクホ)は基本的にこのレベルへの対策と言って差し支えないかと。
⑤感じられる不調がないこと
おなかがはってしんどいとか、なんとなくだるいとか、体が熱ってしんどいとか、◯◯の不快感とか、なかなか寝付けないとか、主観的なものが多いでしょうか。不定愁訴もこの範疇?
この辺りになってくると、数値で示すことが難しくなってきますが、VASなどによりなんとか定量化を試みています。その辺りがグレーになりやすい要因かもしれません。
ただし、なんとなく=体感がある場合も多いので、ネガティブであることを自覚しやすいことも事実であり、そういう意味で「ネガティブが取り除かれたもの」という健康の定義によればここを健康と捉える人が多くても不思議ではありません。
ちなみに、トクホの中でこのレベル感のものはないですが、機能性表示食品にはありますね。トクホと機能性の違いはここ(つまりヘルスクレームの種類)にもあります。
⑥生命力に溢れていること
かなり抽象的になってきました。イキイキしてます。先ほどのウェルビーイングが近いでしょうか。
あの人いつも元気だよね、イキイキしてるよね、バイタリティに溢れてるよね、など。
もはや定量化は困難を極めそうですが、ある意味本来健康的な人ってこういう人を指すのではと思うこともあります。
⑥体に良さそうな行動をしていること
最後はこちら。そもそも健康なのかすら怪しいですが、状態はさておき行動が健康的な人。クール。
・・・えっ?と思われた方もいるでしょう。
でもね、日頃からウォーキングやランニングを日課にしている人、食事に気を使って体に悪いものを摂らないよう気をつけている人、こういう方を「健康的な人」って呼びませんか?
逆の表現として食生活が偏っていたり、タバコをスパスパ吸っていたり、生活習慣が不規則な方を「不健康な人」って呼びますよね。結果として①の死亡率につながるとしても、行動自体に健康・不健康とラベルをつけるのもなんとも面白いことです。
健康とは茶碗山盛りのご飯を腹一杯食べられること。
そんな言葉をイメージしてヘッダーの画像を選んでみました。
行動自体が健康的なのか、行動の結果として健康的なのか、こういう行動ができるほど元々健康的なのか、因果や相関は議論のしようがありませんが、兎にも角にも「健康的」で片付けることはあるでしょう。
もはや行動が健康的なら健康と捉えることすらあると私は考えます。
体と心
もう一つ切り口を変えて、体の話か心の話か、という切り分けも確かによく話は出ます。
例えばお酒は体の健康に対して良い方向に働くとは基本的には考えられていませんが、心の健康に働く可能性はあるかもしれません。
しかし、冒頭に申し上げた健康の定義、辞書、WHO憲章などを鑑みるに、体と心を分けることはそもそもナンセンスだと私は考えています。
分類上分けて考えるのは良いですが、それよりも別の軸で捉えるべき課題と認識して煽ります。
話し相手の定義を正確に捉えること
健康とはその人が良い状態にあるということに異論がある人はいないはず。
しかし、その「良い」という状態が果たしてどのレベル感なのか、話し手によっても受け手によっても全然違います。
SNSインフルエンサーの語る『健康』の定義は、読み手にとっては病気が治るレベルだと思っても、その実態(エビデンス)は不確かでなんとなく調子の良い人もいるくらいの場合もあるし、なんなら単に良さそうな行動(本当に良いか否かは問題ではない)というものすらあるでしょう。
また、事業開発の人間目線で言うと、顧客の求める「健康になりたい」と我々の提供する「健康」の間にギャップがあることだってあるでしょう。
まず大切なのは、「健康」と言う言葉の幅は想像以上に広く、相手がどのレベル感で話しており、自分はどのレベル感の話を提供しているのか、その目線合わせが肝要です。
国が「健康日本21」を掲げているように健康が日本国民にとって重大な課題であることに疑う余地はありません。その健康の解像度(メディカル〜ウェルビーイング)はどの程度か、そのレベル感(死に至る〜良い行動)はいかほどか、という幅を認識した上で語らうのがよきでしょう。
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