見出し画像

あかるい歌をうたうこと


 昨夜はこのうえなく嬉しいきもちで、眠りについた。子どもを寝かしつけてから、白いシーツに腹這いになり、イエスさまに祈ろうとしたら、「わあ、なんてうれしいんだろう! ありがとうございます、神さま、ありがとうございます!」とばかり溢れて、なんだかまともな祈りにならず、そのまま眠った。

 たわいもないけれど、うれしかったのは、その日の正午、ふらりと寄った近所のマーケットで、頑丈なリネンを本藍で染めたシャツを手に入れたからだった。もう何年も、藍染の服が欲しいとおもってた。新潟の畑で藍を育てている店主さんが染めた布を、そのお嬢さんが仕立てているお店で、その作業をおもえば、まるでお気持ちみたいな値段で、売ってくださった。

 わあ、なんてうれしい、とすぐに羽織って、海辺の道を運転し、義母の家に行った。藍は日射しをさえぎってくれるだけでなく、虫も防いでくれるらしい。コバルトブルーみたいな、あざやかな青。下に着ていたオーシバルのパネルボーダーシャツと、おんなじ冴えた色をしていた。「よく似合ってるわ、やっぱり藍はいいわねえ」と、おかあさんたちも褒めてくれた。

 みずからを、念入りに選んだすてきなもので囲むこと。女のひとには、そういうじぶんの守りかたがあると、わたしに教えてくれたのは、nちゃんだった。二十代のはじめに、nちゃんの教えは、灯台みたいだった。わたしがフィッツジェラルドを読んでいるときに、かのじょはウルフを読んでいた。わたしがサン=テグジュペリに心酔していたころ、かのじょはヴェイユをひとことひとこと、冬眠のための寝床みたいに、たいせつに読んでいた。

 すてきなものに囲まれるのは、しあわせ。じぶんが読んだ本を並べて、そこに思考の流れがみえたりするのもしあわせ。134号線を走りながら、かまくらの海を眺めるのも、しあわせ。ことばを書いて、なにか目にみえないものを捉えられた気がするときもしあわせ。

 それからだれかを想って、贈りものを選ぶのも、しあわせ。あのひとにこんな本を送れたら、なんて思うのもしあわせ。いとしい仲間たちのとなりで働くのも、しあわせ。本を読みながら、神さまがなにか啓示を、あたらしく考えをひらいてくださる瞬間もしあわせ。神さまはわたしを、たくさんのしあわせで、つつんでくださっている。

 


 「ぼくはもうナイジェリアから悪い知らせを受けても、そのことを考えもしないようになったんだ」

 そうKさんが言った。いつも口唇に、あかるい歌をのせなさい、と言ったあとに。ほほう、大胆な、と思った。心配しないこと、信頼すること。目にみえない現実を、つまり神の現実を、生きること。そんなことを、神さまはあの教会で、説教をする兄弟たちの口をとおして、語っておられる。
 
 あかるい歌を。心配ではなく、信頼をかたること。だんだん心から、力が抜けていく。やさしいひかりのなかを、かろやかに。
 
 それからKさんは、心を修復することについても語った。まず、神さまに、こころの治療をしていただかなくてはならない。心は畑だ。みことばの種を蒔くための、はたけ。

 わたしたちの心は、ずたずた。痛むばしょを守ろうとして力むから、変なところに負担が掛かって、硬くなったり、頑なになったりする。あちらこちらに、轍ができている。思い出すたびに、毒々しいものがあふれる、がたがたのわだち。なんとか形をたもってはいるけれど、いつまで持つかはわからない。

 そのこころの傷を、キリストに癒していただかなくてはならない。癒やしは即座に訪れるかもしれないし、わたしみたいに、何年もかけて、悟ることと、手放すことと、明け渡すこととを繰り返して、すこしずつ、癒されていくかもしれない。神さましか、知らない。

 けれどキリストに、心の治療をお願いするのなら、かれはかならず、わたしたちの心を、肥沃な土へと戻してくださる。いっぱい微生物がいて、山からの栄養豊富な水がそそぐ、健康な里山の畑みたいに。わたしはそうなりたい、と思っている。

  

 
 冬島いのりさんから、小包みが届いた。レターパックに本や石を詰めて、北海道と湘南のあいだを、もうなんどかそんなやり取りをしている。

 いのりさんは、冬みたいに透きとおっている、とてもまっすぐで繊細な、クリスチャンの女の子。ものすごい言葉の才能を、神さまから頂いているひと。

 トラピストクッキーと本と一緒に、いのりさんが贈ってくださったのは、かのじょの描いた絵だった。その文章にいつも添えられている、すこしさみしいような、やさしい絵を、いいなあ、と思っていたのだった。 


 フレームを買ってきて、しろいペンキで塗って、いのりさんの絵を入れた。わたしは不器用なので、手作りのマットが歪んでいるのはご愛嬌。本棚にかざった。そのとなりには、nちゃんが撮った海の写真も、かのじょが撮ってくれた、わたしの結婚式の写真や、子どもの写真といっしょに並んでいる。

 本といっしょに並ぶ、フレームたちを眺めながら、やさしい、やわらかなひかりが、かのじょたちを包みますように、と祈る。誰かのために、未来を信じること、希望することには力があると、いのりさんが贈ってくれた、「傷を愛せるか」という本に書いてあった。

 大好きなひとたちのために、わたしは、あかるい歌をうたおう。祈り求めるものは、すべて既に得られたと信じなさい。そうすればそのとおりになる。だからわたしは、あかるい歌をうたう。いつでも心のなかで、あかるい希望を信じて、口唇には、ほがらかな歌をのせよう。

 ほんとうのしあわせは、わたしの心のなかに住んでいる。目にはみえないし、物みたいに褪せない。しあわせを感じられないときもあるけれど、キリストの霊が、わたしのなかに住んでいるから、どんな嘆き節でも、さいごは賛美になるだろう。じぶんのために、そしていとしいひとたちのために、あかるいときも、暗いときも、神のひかりを歌っていたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?