静寂だとか、芯だとか
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目を閉じたとき、キリストとわたしが、たましいの芯にいる。そこがわたしのうごかない車軸。
その芯を犯されることに、いつも嫌悪をいだいていたのでした……
わたしは、空気を吸いたい。だから逃げたし、かくれた。芯をゆらがせることなく、なんであれ、その芯から、よろこんで行えるようにならなくちゃ、意味がないようなきがしたから……
時間がかかってもいい。植物みたいに自然に、わたしのなかから、生えてきたことだけを生きて、書きたいと。
空気がうすく、よどんでいる空間で、まっすぐ息を吸うために。たましいの芯にいる、キリストとわたし。
なんびとたりとも、それを犯すことなぞ出来なかったのに。そこはわたしの城砦。いつかあのかたが、仰った。ひとびとから目をそらし、わたしだけを見つめなさい……
この芯を、たしかに出来るなら。じぶんのまわりを、空き地にしてでも……
たましいに、静寂をみいだすことができたら。忙しい暮らしのなかで、ゆらぐことなく、キリストとわたしが、ひとつであれたなら。
誰も入れてはならない場所。わたしとキリスト、キリストとわたし。貝のように閉じてでも、守るべき場所。
蝋燭の火が、ゆらめきながらも、まっすぐ立っているみたいに。じゅうぶんな空気と、空間をたもって、わたしの灯火を、守らないといけない。たましいの静寂を、キリストとわたしを……