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バルミューダ寺尾玄社長の『Coreビジョン』から学ぶこと

バルミューダのThe GreenFan、独自技術によって自然界の風を再現する扇風機、少し高価ですが、何とも魅力的な商品です。

朝ドラで紹介されたこともあって、ご存じの方も多いと思います。
このThe GreenFanを開発したのは、寺尾玄社長率いるバルミューダです。

本コラムは寺尾玄社長に焦点を当てて、Coreビジョンの描き方について考えてみました。
今回も社長著書を参考図書としました。

この書籍、起業家の根底にある哲学やビジョンを探るために読み始めたのですが、何とも読みやすい。小説を読むようにスイスイ頁が進みます。

理由は、寺尾社長が文豪を目指していたからで、文章がスムーズなのと抒情的な表現で寺尾社長が経験してきた様々な情景が目に浮かぶようです。伝記物のようにサクセスストーリーを楽しめます。

もう一つ理由があることに気づきました。心に正直であること、カッコつけていない、包み隠さず語っている点です。ですから成功者にありがちな驕りや嫌味が全くなく、かといって悪ぶってもいない。プラス面とマイナス面についてしっかりと向き合っていることが書籍から想像できるからです。

ポジティブ、ネガティブ両面について自分の心を素直に見つめ返していることが分かります。
高校中退や、ミュージシャン挫折、パチンコ屋で働きながらの創業初期の辛い体験や意識を客観的に見つめ返しています。普通の人であれば落ち込み、立ち直れなくなるくらいの経験が、寺尾社長にとっては人生の糧になっている様子がうかがえます。それは両親から受け継いだ独特の人生観人間としての強さが成せる業と言っていいでしょう。
ただそれは一般の人でも再現可能であると私は考えます。順を追って説明していきたいと思います。

1.寺尾社長の『Coreビジョン』

寺尾社長を成功に導いたCoreビジョンは、「自分を貫きつつ、人に認められたい」ことです。
バルミューダ設立前の寺尾社長は、ロックスターを目指すミュージシャンでした。その前は、南ヨーロッパを1人で旅する青年で、さらにその前は、バイクにまたがる不良少年でした。

起業家の人生でこれほど波瀾万丈だった人も珍しいのではないでしょうか。寺尾社長は著書の中で、「変化に富み、山あり谷あり、驚きと失敗の数だけは人に負ける気がしない。」と言います。

山あり田になり

退屈しない人生である反面、「どこにも居場所がない」と感じることも多かったようです。「私はどの集団にも馴染めなかったし、馴染みたいとも思っていなかった。多くの刺激的だったものは、時間が経つと当初の輝きがうすれていった。それまでに両親が渾身の力で私に教え伝えてくれたことに比べれば、それらは結局、刺激的ではなかった。私は、どれにも夢中になることができなかった」と言っています。

失敗することによって本当の願いが分かると、寺尾社長は言います。ミュージシャン時代、有力な音楽プロデューサーの目に留まり、スポンサー付きのレコード契約が破綻した時には、人生最大の失敗と認識しつつ、大きな学びを得ています。

「失敗は私たちに多くのことを教えてくれる。あのやり方がダメだったとか、このやり方が良かったとか。最も貴重なのは自分の本当の願いが分かること。失敗をすると、恥をかき、傷つき、後悔をすることになる。しかし、その後に、それでもやっぱり自分はこうしたいんだという気持ちに出会うことがある。これこそが私たちの本当の願いだ。普段は他のくだらない願いと一緒になっていて、見分けがつかない。」と言っています。

寺尾社長にとっては、「人々に認められたい」という気持ちが、本当の願いだったようです。「自分を貫きつつ、それをしたい。この失敗の最大の教訓は、貫きもしないで人に認められようとするのが、そもそも甘かった」と振り返っています。

__________________________________『Coreビジョン』とは: 起業家や世襲経営者が成功を収めるまでの過程で大事にしている信念、心に描いた「ありたい姿」のこと。幼少期や青年期に経験したその後の人生を左右するような原体験や、両親や周囲の人達から受け継いだ哲学をベースとしている。成功する経営者には、苦労や底辺の経験がつきものですが、Coreビジョンを明確に心に刻んでいることによって、その後のビジネス人生での苦難に耐えることができると考えています。   __________________________________

2.『Coreビジョン』の実現にすべき事

著書を読み込むと、『Coreビジョン』を実現するためには、自分自身の貫いているモノ(生き方、スタンス)で、且つ人々が求めるもの(必要なもの)を追求することが必要だということが分かります。

家電メーカーとしてスタートした寺尾社長は、リーマンショックで極度の経営不振に陥ります。
それまで上市してきた、ノートパソコン用の冷却台やデスクライトなど手作りのバルミューダ製品は、高額商品で、リーマンショックによって受注が減っていきました。3割減、5割減と販売低迷が続いていき2009年1月、細々と入っていた注文は、ついに止まってしまいました。製品ラインナップはコンピュータ周辺機器、照明器具、どれも高額商品で、社長と社員、アルバイトが1人の3人の会社の売上高は4500万円で、決算では1400万円の赤字、銀行借入は3000万円以上ありました。

寺尾社長は気づきました。不況下でもシャンプーなどの日用品は売れる。バルミューダ製品が売れないのは、高かったからではない。必要なかったからなのだ、と。
これまでのバルミューダ製品は、人の役に立っているのかと言い難く、カッコいいと思うのは大事だが、それよりも人に必要とされる方が大事だったのだと強く認識したのです。

そこで次世代の扇風機を開発することを思い立ちます。「夏になると毎年使うのに、扇風機は涼しくない。それは風が強すぎるからだ、強すぎて、あたり続けられないから、結局、涼しくならない。吹き抜ける風、坂道を下る自転車の風は、気持ちよかった。あんな風が部屋の中を吹き抜けたら、どんなに素晴らしいだろう。」と考えたのです。
寺尾社長がいきついたのは、共感できるものを創ることです。以下は著書を参考にして、共感ゾーンをマトリクス化したものです。

アートと二―ズ

ミュージシャン時代の失敗から学んだ「自分を貫く」という軸は、いってみればアートの追求です。自分を貫くこと、アーティストにとってはとても大切なことですが、それだけでは世間の共感は得られません。

このことについて寺尾社長も著書の中で、以下のように記述しています。
「私が憧れた人たち、あのロックスターたちは、見渡す限りの観衆の前で歌っていた。その場にいるたくさんの人たちと、同じ気持ちになる瞬間を作り出していた。おれ、こう思うんだけどさ。え?わたしもだよ!他の誰かとこんなふうにして気持ちを同じくできることを共感と呼ぶ。人生を生きる中で、共感ほど素晴らしい体験は他にないだろう。親しみを生み、友情や愛情を紡ぎだし、やがては愛を形成する。私たちにとってとても重要なものだ。」
憧れていたミュージシャンも、自分を貫いていただけでは共感されないのです。自分が良いと思う音楽を他者も良いと感じることで初めてブレイクするのです。

家電製品で言うところの「ダイソン」や「アップル」も共感ゾーンを狙っていると考えられます。
寺尾社長は、このことをリーマンショックという大不況から学び、The GreenFanという画期的な大ヒット商品を生み出していったのです。

3. 失敗から学ぶ

このように寺尾社長は、多くのことを失敗から学んだと言えます
 前述したように必要とされるものを創る(ニーズの重要性)は、リーマンショックから学びました。そして、「アートの本質に気づく」のは、スポンサー付きのプロジェクトで周囲の要望に合わせた曲をつくってしまう失敗からの気づきです。

以下書籍からの引用です。「誰かが良いと言った音を作ろうとしたのだ。自分が良いと思える音を作っていなかったのだ。アーティストたるもの、絶対に自分の好き嫌いだけは売ってはいけない。本来は自分の好きを貫き、それを表現し尽くすことで、状況を変えるのがアーティストだったのだ。」

このように『Coreビジョン』を実現するために何をどのようにすべきか、失敗から導くことができます。必要なものは、誰も教えてくれません。失敗を通して自分の感性でかぎ分けることで、みつけることができるのです。そのためには、これまでの自分自身の経験を振り返り、結果をもたらした要因を深く考え、悩むことが必要です。では何故、寺尾社長は、失敗から貴重な学びを得ることができたのでしょうか?

それは両親から受け継いだ「信念」が大きいと言えます。10歳の時に亡くなった母からは、可能性を信じることの大事さ、父からは愚直に努力することの大事さを学びました。
寺尾社長は、母上とのエピソードについて以下のように記述しています。
「母は私が小学四年生になるまで、毎日私の横につきっきりで勉強を教えた。あの頃に教えてもらったのは足し算や割り算ではなく、勉強のやり方そのものだったのではないかと思う。彼女は人にものを教えることがとても上手だった。
よく言われたのは、一度できたことは必ずもう一度できる、という教えだった。確かに、どんなまぐれのようなことでも、条件さえ再現できればもう一度できる可能性は高い。このことなどは未だに、自分の中で繰り返し言い聞かせている。」
そして母上の死からは、死が確実に起こることと、今日1日、今この瞬間を充実させて生きることの重要性を学んだと言っています。母上は離婚前の豊かでない生活の中でも寺尾社長と弟を何度も海外旅行へ連れていっています。今の生活を維持するために倹約することよりも、この瞬間を楽しむことを重要視していたのです。
こうした経験が、後の寺尾社長に降りかかる困難においても、楽しみながら苦難を乗り切るというポジティブな姿勢を醸成したと考えられます。

創業当初、素材や加工方法を全く知らない寺田社長は、東急ハンズや秋葉原の電材屋や工具店などに聞きまくっていました。普通であれば知識のないことを恥ずかしいとか、分からないことに対する劣等感から、躊躇してなかなか行動に移せないところを、「自分の未来を切り拓くために人の話を聞き、情報を集めなければならないなんて、愉快ではないか。まるでロールプレイングゲームのようだと思った。」と振り返っています。まさに辛い時期でも楽しみながら人生を歩んでいる状況が、垣間見れるエピソードです。

一方父上からは、懸命に努力することの大切さを受け継いでいます。寺尾社長が、小学6年生だったある晩、父上は学校を休ませて、1984年制作の「キリング・フィールド」という映画を見せています。映画から、信頼や努力、諦めないことの価値を伝えたかったのです。

映画だけでなくヘミングウェイや「かもめのジョナサン」を読ませ、日々の活動を通じて、努力することこそ人生であるということを教えたのでした。

4. 凡人は寺尾社長の真似はできない?

南ヨーロッパを旅した青年がミュージシャンを目指して失敗した後に、日本国民から愛される家電製品を次々と企画開発することができたのは、稀少な生い立ちと波瀾万丈な人生を歩んだ寺尾社長だから成し得たことと言えます。

では、凡人である我々には、到底成し得ないことなのでしょうか?私はそうは思いません。寺尾社長の生きざまから多くのことを学ぶことができます。以下、起業家や世襲経営者が本書から学ぶ要諦です。

1. これまでの半生を振り返って、自分の心の深いところにある本当の願い、『Coreビジョン』を探索するのです。「自分は人生を賭して何を成し得たいのか」と問いかけてみてください。

2. そのプロセスとして、ポジティブな経験、ネガティブな経験の両面を紐解くことによって、何を自分が重視しているのか、何に心が反応するのかを洗い出していくことができます。

3. Coreビジョンが明確になったら、その実現に向けて、可能性を信じてひたすら努力します。

4. ただ努力する際にも、今を楽しむこと、楽しみながら努力することを忘れずに前向きに取り組むことです。

以上が、『行こう、どこにもなかった方法で』から学ぶべきことです。多少私の解釈が入ったコラムですが、要点はまとめられたと思います。最初に書いた通り、サクセスストーリーとしても爽快に読むことができる良書ですので、ご一読をお勧めします。

以上

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