何がデザインで何がデザインじゃないのか
このテキストは9月に配信したオンラインイベント「Fireside Talks 01」のトークを抜粋して編集したものです。デザインっぽくないデザインの仕事について、またそれをデザインと呼ぶことについての所感を株式会社ゆめみ・MIMIGURIのエイマエダカツタロウさんを交えてお話しました。
三瓶:ここ3人はPdMとかPjMのようなキャリアが結構長いから、何でも自分でやるぞ!となりがちな感じの人たちなんですよね。たとえば僕なんかはサービスデザインの一環としてメディア運営とかイベント運営をやっていたので、イベント屋さんだと思われてたりしたんですよね。でも僕にとってはイベントをすごく「デザイン」してる自負がありました。
UXデザインをそのイベントの設計とかに生かしてきた自負があって。デザインという文脈でなければ、そこまでクリエイティブにならなかったんじゃないかなとちょっと思ったりしてるところもあって。皆さんにとって、いわゆるUIとかプロダクトデザインじゃないところでも、これデザインしてるぜ!と思うようなことって何だろうな、というのが今日のトピックスなんです。
格好つけたいとかそういうのじゃなくて、デザインという言葉は誤解を生むのはわかっていつつも、個人的にはその言葉を使いたい気がするというか。英語だったらもっと普遍的に使われている言葉なのにな、と思ったりもするんですよね。でも「デザイン」に代わるいい言葉がないのかな?と思ったりもする。2人にもそういう時ってあるのかなって。
エイマエダ:自分は外向けには「ワークショップやってる人」みたいなイメージが結構あったのかなと思うんです。
三瓶:ありますね。
エイマエダ:別にワークショップはもちろん楽しいんですけど、ワークショップをしたいわけではなくて、作り出したいのはワークショップを通した体験なんですね。そこで体験であったりとか、ワークショップを通した結果から得られるものであったり。もちろんそれは組織内における言語化であったり、共通理解とかそういうものあると思うんですけど。
同じ体験を、同じ場所で同じ体験を経て得られる価値を作り出したい。自分がデザインしているものはそういうものかなとは思ってはいます。
三瓶:手段というよりも目的というか、その先にある体験みたいな考え方を示したいときにデザインって言葉が出てくるんですかね。昔はそういう言い方ってしなかった気がする。
エイマエダ:もうちょっと言うと、デザインという言葉を使いたいわけじゃないですが、自分たちがやっていることをちゃんと言語化することは必要だと思ってるんです。それが何のためにやっているのかという話で。自分がデザインストラテジストという肩書きをつけているのは、やっていることを点で終わらせたくないなというのがあって、それが先に繋がるものであってほしいというところと、その先の絵図も描いた上で、その1つ1つの戦術を行っていくというところがあると思うんです。だからそこ言語化して行ったらデザインしてるんじゃないか、というのに行きついたってのはあります。
三瓶:なるほど、確かに。プロダクトのユーザーエクスペリエンスって考えた時に、別にプロダクトデザイン自体のデザインもあればマーケティングとカスタマーサポートとかいろいろあるのと同じで、それが全部点が線となるというか、線として考えなきゃだめだよねというのは何に対しても一緒だよねって話なのかなという気はしてる。
土屋:今の聞いてて思うのは、最近エンプロイーエクスペリエンスとか、従業員の体験も設計しましょうみたいな言葉が出てきているけど、開発に携わってる自分たちがちゃんと共感出来たり、そういうところまで含めてデザインとか戦略がないと結果的にいいものが作れないのがわかってきたんだと思います。それらを考えざるを得ない、みたいなところがあるのかなと思って。
三瓶:なるほど。
エイマエダ:もうちょっと包括的な話をすると、ディレクションをしてるときから、「プロジェクトデザイン」という言葉を結構使ってたんです。今の絵図を描くとか、ロードマップを引いて、大体プロジェクト進めるときにロードマップ引くとか、我々どこへ向かうんだっけとか。どんな課題を解決するんだっけって話をすると思うんですけど、そのへん含めてトータルでプロジェクト自体をデザインするって言うことは結構必要だと思うんですけど。
さっき話していた価値を生み出すとか、体験設計とか全部含めてデザインって呼んでるのは、プロジェクトデザインというところに結構紐づくのかなって思ったりしています。
土屋:私自身、デザインっぽくないデザインって何してるかなって思うとあんまりなくて、最近特にそうなんですけど、上流工程のプロセス設計が多いですね。
上流工程ってあんまりソフトウェア開発ほどきれいな流れ図にならないじゃないですか。テンプレート的なデザイン思考のプロセスをやっても中々全部のケースで上手くいくわけじゃなかったりして、エンジニアがやる上流工程とデザイナーがやる上流工程と、企画からの視点とかを混ぜたプロセスを毎回毎回デザインしていて。
毎プロダクト、今のプロジェクト状況に向いてるものとかをデザインすることが多くて、あれは設計というよりは私の中ではデザインだなという。なんでこれが良いって全部論理的には説明できないんだけど、過去の知見と今の理解を全部注ぎ込むとそんな感じというようなのを作るときは、デザインしてるって感覚になります。
三瓶:ふむふむ。面白いですね。
エイマエダ:今の流れに乗っかる感じで言うと、最後土屋さんが言ってた全部を突っ込むというのは、そうだなって思ってて。本当に総合格闘技やってる気分なんです、普段仕事してる時って。切り分けてるわけじゃなくて、自分の中で領域とか全然。全部なんです。必要なことインプットしてやってたらいろんなことやってるみたいな感じになってるんだけど、必要なんです全部。
だから何々デザイン、何々デザインってわけじゃなくて、全部必要なことをやって、今目の前にある必要なことをインプットしてそれで対応している。ワークショップかもしれないし、ファシリテーションかもしれないし、場合によっては根回しかもしれない。
三瓶:確かに、そうですね。そういう意味では手段を選んでないですよね。
エイマエダ:これ土屋さんがやられるか分からないですけど、プロジェクトを規模感大きいところでやるときって、本当に下手したらステークホルダーと1on1でやったり、それも根回しって部分か分からないですけど、コミュニケーション取るってミーティングとかワークショップだけの場じゃなくて、それ以外の場外ってのも山ほどあるわけですよね。そういうところも全部やってく必要があればやります、というところが総合格闘技たる所以だと思うんです。
土屋:そこは同じ感覚です。プロジェクト入る前に何をやるかって一応クライアントとかに言うんですけど、結構難しいんです。これをやる!と思って入るんだけど、入った瞬間ワークショップじゃ無理だなと思うし、そういう根回しみたいなことしますよって言ってないけども、せざるを得ないくらい目線離れてることもあるし。
私も誰かに聞かれたとき、プロダクトデザインに関しては「総合格闘技だ」って言ったことあるんですけど。こういう場面でキックしますか、パンチしますか、こういう場面で寝技使うんですか、とか聞かれることあるんですけど、こういうこと聞かれる時点でまだこの人戦えないな、と思ってしまいます。
どれもそこそこできて、どういうシチュエーションでどれを繰り出すかが1番肝なので、打撃力が上がればどれぐらいプロダクトで戦えるようになります、質問として一見合ってるようで間違ってる。
でもプロダクトデザインの場合って1人で戦わなくていい総合格闘技なので、どういう場面でどういう技を出せばいいかだけ判断すればそこで専門家を連れてこれちゃう。寝技の選手に交代とか、ここで立ち技の選手に交代とかできるので。
三瓶:なるほど。
エイマエダ:そこ同じです。連れてくるというのはあって、20代、30代前半くらいって全部自分でやろうとしてたんです。ディレクターと名乗りながら普通にコード書いてたし。
三瓶:そうですね。
エイマエダ:最近徐々にやらないことを増やそうとしていて、あとは自分がやんなくてもいいよね、得意な人知ってれば連れてくればいいし、むしろどれだけ自分から仕事を手放せるかというのは結構いつも考えてることです。
三瓶:全く僕も同じこと考えてます。何でもやるの楽しいんです自分で。
エイマエダ:わかる。
三瓶:歳を重ねるときっと物理的にできなくなってくるのもあるし。その間に例えばUIデザインなり何なりでそこだけを尖らせてる若手もどんどん出てくるわけで。自分にしかできないことなんだろうなというと必然的になにか一つじゃなくなってくるという。
特に我々みたいなジェネラリストにおいては、あまり語られないところでいうと、コミュニケーションみたいなのが重宝されるなというのはありますよね。人を連れてくるのもそうだし。
エイマエダ:人と人とか、組織と組織とかを繋げるところなどをやっぱり評価してもらってるところはあると思います。その時にどの人とどの人を繋げれば良いのかとか、そこがさっき土屋さんも話されていた適切なもの、繋ぎ方、繋げちゃいけないやつもあると思うんですよね。
三瓶:混ぜるな危険みたいな。
エイマエダ:そうそう。でも例えば若手のメンバーのパフォーマンス上げるときにあえてストレッチかけるとか。彼はもうちょっとパフォーマンス上げるためにはここでギュッと押し込んだ方がパフォーマンス上がるはずだってのもあったりするので、さじ加減であったり、コミュニケーション含めたりとかバランスは結構大きい気がします。
・・・
三瓶:すごくわかるんですけど、でもやっぱりそれ「デザイン」って言葉なのかなって思っちゃうんです。
エイマエダ:中々難しいな。思ったのが、いわゆる製造業のように完成品が決まっているものをいわゆる工場のオートメーション的な感じで作っていくプロセスがあるじゃないですか。あれはデザインじゃない、デザインとは言い辛いなと思っていて。そこはもう決まった過程で決まったものを作るというプロセスなので、そこにデザインが入る余地がないと思ってるんです。
三瓶:そうですね。
土屋:そうだね。
エイマエダ:いわゆるファクトリー的なやつです。
三瓶:あとはもうマネジメントするだけですね。
エイマエダ:どっちかというとオペレーション的な感じで、ちゃんと人員配置がされて動いてればオッケーみたいな感じだとは思うんですけど。そういう文脈で言うと、人の手が入っていくらでも同じ結果を出すんじゃなくて、その都度その都度考える感覚。それこそ学校の先生だってデザインしてると言えると思うんです。
今だってそうじゃないですか。同じ年齢の子たちが学校という場に来るんだけれど、コロナ禍の状況になってどう対応しなきゃいけないかって、学校の先生ってめちゃめちゃ考えてると思うんですけど、これはデザインしてるって言えるんじゃないと思うんですよね。
三瓶:そうですね。そう思います。
エイマエダ:答えはないんだけれども、手探りで試行錯誤しながら最適解を見つけようとしているというのはデザインじゃないかなとは思います。
三瓶:なるほど。確かに。
エイマエダ:だから結構多くの人はデザインをしているわけなんです。どんな仕事に対しても。
三瓶:僕もそうは思ってて、それでも今カツタロウさん「デザインをしている」って言ったじゃないですか。その言葉である必要あんのかなと思って。
エイマエダ:なるほどね。
三瓶:たとえば小学校の先生に「良いデザインしてますね」ってあまり言わないじゃないですか。代わるいい言葉はないのかなってちょっと思ったりするんですよね。別にそれを考えたからって何かあるわけじゃないんですけど。僕はデザインって言葉嫌いなわけじゃないから、それでも良いと思ってるんですけど、一般的には伝わらない表現だと思ってて、困るときあるんです。でもこれ英語だったら言うんですよ、普通にデザインって。
土屋:英語だと設計者みたいなのもデザイナーなの?
三瓶:設計者、そこまで行くとアーキテクトっぽいイメージで言ってると思いますけど、仕組みが上手くちゃんとできてるという意味では、デザインってもうちょっと日本よりは使いやすいイメージがあるというか。一般人が使ってもおかしくないレベルで使える言葉だと僕は捉えてるんです。今言いきったらちょっと不安になってきましたけど(笑)。
土屋:私も答えはないな。ないけど、製造業にいた人間として少し補足できるとすると、確かに何か1個の観点で工場で作るものの生産量とかを最適化したり、スループットをあげるためだけに工程を見直してたりするような仕事って、確かに日本語の「デザイン」という言葉では違和感があって。しかもそういう仕事って結構AIでできちゃう。何なら無限のパターン作って、ある一定の評価軸で評価しまくればどんどんより良いものが残っていってあとは淘汰されていく。結局人間がやる必要が将来なくなるような仕事だったりするんだろうなって。
たとえばシステムを設計するのでも、半導体の回路作るのってその場で動くように線がとおりゃいいみたいなだったら、段々人間がやる余地はなくなってきてるんです。一方で10年後何が起きるか分からないけど将来を予測して構造がちゃんと保つようなアーキテクチャを作ってくださいみたいになると、途端にコンピュータでは太刀打ちできなくて、未来のビジネス予測とかしながら構造を決めていくみたいなことになるので、私の中ではデザインしてるって言葉が許される。デザインしている気がするんだよね、そのアーキテクトは。
三瓶:今ので言うと工場の、僕さっきカツタロウさんの結構納得してたんですけど、工場の最適化もデザインじゃないと思った。
結局クリエイティビティがあるかないかという話なんですかね。
エイマエダ:そうそう。さっきからその言葉なんです。クリエイティビティがそこに存在するかというのは結構大きいポイントだと思っていて、さっき土屋さんがこの話をしてて、今ではない未来のことを想像しながら作り上げるというのは、想像力を働かせるわけですよね。今ないもの。そこはクリエイティビティが存在すると思うんです。だから多少の語弊を含めて言うんだったら、クリエイティビティがあるかないかでデザインって言葉がはまるのかはまらないのかというところがある。
土屋:私も完全にその感覚で、結局設計者なのかデザイナーなのかは職種では分けれなくて、その人がクリエイティビティを持ってその仕事をしてるのか、決まりきったスペック満たしゃ何でもいいんでしょ、量産しようと思って仕事してるのかで分かれちゃう気がして。
たとえば注文住宅で家をデザインしてくれる人が、条件を満たせれば何でもいいんでしょ、1日20軒やらないといけないし、などと思ってたら、そこにはクリエイティビティないし。それこそ建築士の人って設計者みたいな人を名乗ってる人と、デザイナー名乗ってる人と両方いると思うんですけど、一方で生活する人の体験とかを想像しながらこの人子連れだし、将来子供欲しいと思ってるって言ってたしみたいなことで、プラスアルファの要素とか入れてたらめちゃくちゃクリエイティブな仕事だと思う。
三瓶:確かに。
土屋:職種、何々デザイナーとか何々設計者みたいなのは分けれなくて、何ならその人がクリエイティブとあろうと思ってるかどうかみたいなところが、クリエイティビティがあるかどうかより、姿勢としてクリエイティブであろうと思ってるかどうかみたいな方がでかいんじゃないかなと思ってます。
・・・
エイマエダ:デザインっていう言葉、表現について眺めながら考えてたんですけど。置き換わる、デザインってこれまで話してきた中で使われ方がシーンによって全然指し示すもの違うよねってのはあって。そう考えると我々が良くやっている肩書きの話もそうなんですけど、その場その場で本当はデザインに置き換わる言葉って違うんだろうなって思うんです。
だからデザインって言葉が他の言葉にガッと置き換えることは難しくて、シーンによって置き換わる言葉は変わるんだろうな。置き換えるとしたらですよ。だからそれは別に設計とかそういう話ではなくて、例えば気を配るであったりとか、それこそコミュニケーションするでもいいだろうし。
👥 話していた人(敬称略)
土屋:フライング・ペンギンズ CCO / UXイノベーター
三瓶:フライング・ペンギンズ 新規事業担当 / コンテンツストラテジスト
エイマエダカツタロウ:ゆめみ CXO/デザインストラテジスト、MIMIGURI
💭 一緒に話してくださる方を募集しています
フライング・ペンギンズでは答えのない問いやとりとめのない対話を積極的にしていくことが、デザインの質を高めると考えています。今後も社内外問わず、UXデザインや開発にまつわる話をざっくばらんにしていきたいと考えていますので、ご一緒いただける方いましたら是非ご一報ください。
🐧 Flying Penguins Inc.
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