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すずと竜 家族の呪縛からの脱却
竜とそばかすの姫 感想&考察です。
一部ネタバレとなるところが出てくると思います、ご注意を。
春にプレスリリースがでてから、主人公すず/ベルの声優発表までのプロデュース力は勿論、劇中歌のクオリティ、脇を固めるキャラクターの多様さまで、細田節が炸裂するこだわりだなという印象。
代表作サマーウォーズ以来の、インターネット世界を中心とした本作は、歌を軸に物語を進める構成となっている。
劇場公開から2週間、本日見てきた感想と、小説版で補填した情報をもとに、できるだけストーリーの骨格を意識して書きたい。
①母を失った二つの家族像の対比
主人公すずは高知県の所謂限界集落にすむ、普通の女子高生。内気で目立ちたがらない、そんな控えめな性格の持ち主だ。彼女には、過去に忘れられない呪縛がある。
6歳の頃、まだまだ幼い少女にはあまりにもショッキングな事件が起きた。自身を育てた豊かな環境のひとつである川の事故で、母はなくなった。
いつも遊んでいた川には、都会から来た観光客が多くいたように思う。急激な天気の変化で水量が増し、中洲にひとり少女が取り残された。すずより幼い少女は助けてくれと泣き叫んでいた。
周りにいる大人はどうすることもできない、レスキューが到着するまで待とうなど、それぞれにできることを考えているようだが行動するものはいなかった。
母は決意し少女を助けに向かおうとする、すずは全力で止ようとした、わたしを残していかないでほしいと懇願するすずに、母は自分がいかなければ彼女は危ないといい、川へ向かう。
母はその幼い少女とすずを天秤にかけたわけではなく、すずを育てたからこそ助けなければと思ったのかもしれない。
しかしすずは、自分のお願いよりもその子を選んだ、自分は選ばれなかったと思ってしまう。
母と過ごした日々の中で、母とすずを繋いでいた歌を歌うことが、事故以来すずの中で記憶の蓋をあけるトリガーとなり、大好きだった歌から遠ざかるようになる。
母を失ってからは父と2人、過ごしていくことになるが、すずは父からの愛を素直に受け止められない。寄り添おうと優しく話しかける父を常に遠ざけ、ご飯を一緒に食べる描写もでてはこない。すずが母の事故を乗り越えなければ父とのこれからの家族としての生活が成り立たないことを明確に提示している。
もう一つの家族として、竜の家族が描かれている。本編の情報だけだと確実とは言えないが、恐らくこの家族も母親を失っている。
すずの父親とうってかわって、竜の父は支配することで家族の形を保とうとする。直接的な暴力と言葉によって相手をねじふせ、自分の理想とする家族の秩序を乱すものは子供でも容赦しない。
この父親像はUの秩序を守ろうとするジャスティンそのものだ。ジャスティンはAsをアンベイル(正体公開)することができる特殊能力の持ち主で、まさに大きな家族(U)の秩序を力(恐怖と圧力)によって維持しようとするキャラクターだ。
本編では、
すず=母の呪縛からの脱却
竜=父の支配からの救済を中心に物語が進んでいく。
②すずの救済と、竜の救済が同時に起こるラスト
最後に竜の元にかけつけるすずは、まさに母そのものだった。見ず知らずの幼いこどものために、未来はわからないが何とか助けたいという気持ちだけで行動し、実行する。
その時、やはり周りの親友や幼馴染み、大人は何もしない、結局は母と同じように自身で決めて行動するしかない。
竜の正体となんとか出会ったすずは、竜(兄弟)の救済を実行する。父との対峙の際、最初は2人を守ることを徹底していたが、終盤、強い眼差しで父と対峙することを選ぶ。
Uでアンベイル(正体公開)=自分自身として闘うことを選択できたすずは、現実世界でもすず自身として父と闘うことを選ぶことができた。
まっすぐな強い眼差しを向けられた父はまるで正体が暴かれることを恐れるようにその場から退散する。父にとっては現実世界でのアンベイル=暴力をふるうことでしか家族を保てない弱い自分をすずに見透かされているように感じただろう。
竜はすずに感謝を伝え、Uで父と同じように暴れることで何かを解決したりストレスを発散することをやめ、現実世界で闘うことを宣言する。すずは竜を救済することで、自分自身=歌を歌い、1人の人として誰かと関わる勇気を持つことで母の記憶からの開放された。
二つの家族像のなかで苦しんだ子供たちが、1人ひとりの考えをもち、現実世界で生きていくことを選ぶラストになっていたと思う。
③インターネット誕生から25年、
細田守が描きたかった現実世界での物語
小説版の中にひとつ、物語の本質なのではないかという一文があった。
すずの中にベルがいる、
ベルとして生きた時間がわたしを強くした。
あくまですずとベルは1人の人物であり、現実世界と仮想世界Uは別の世界ではない。
Uでは何度でも人生をやり直せると高らかに謳うシーンがあるが、すずはすずとしてこれからも生きていくしかない。時をかける少女や本編劇中歌でも、
時は誰も待ってくれない
という表現が出てくるが、自分自身として生きていく過程でUがあるのであって、そこは並行世界ではない。
Uでの華やかな出来事や体験もすべてはオリジンである現実世界の私(すず)へ回収される。
様々なデバイスやインターネットが発達したとしても、最後には自分自身で決断し行動するという骨格は何ひとつ変わらない。ラストシーンで、竜を探すすずが、Uや検索アプリやマップを一切使わず、ただひたすら夜行バスに乗り込み、雨の中を走るという描写に全てが詰まっている気がした。
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