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音の世界というもの

大雨の夜、カーネギーホールに辻井伸行さんのピアノコンサートを聴きに行った(もちろん自転車)。*ちなみに辻井さんの「辻」は点が一つのものらしいが、普通にタイプできないので「辻」とさせてもらいます。

クラシックのことは全くよく知らない私。でも以前辻井さんの人生を幼少時から遡ってまとめたドキュメンタリー番組を観たことがあり、彼のはち切れんばかりの笑顔と明るい弾き方がとても印象に残っていたので一度生で聴きたいと思っていた。パンデミックを経て3年ぶりのニューヨーク公演だそうだ。

会場はまさに満席。日本人客もたくさんいて人気の高さがうかがえる。後で気づいたが、後ろで立っている人もたくさんいた。私は開演ちょっと前に来たのでもうほとんどの人が席についていた。大体カーネギーってホールがたくさんあってややこしく開演前はものすごく混んでいる。いつも「早く来てね」というEメールが来るのだけど・・・

私の席は列のちょうど真ん中だったのでもう座っていた人たちに立ってもらって進まねばならなかった。NYの大きな劇場の上層にあるバルコニー席やなんちゃらサークル席は結構傾斜がついていて(前の席の椅子が目の前ではなく下の方にある)、だから舞台がよく見えていいのだけど、通路もかなり狭いので立ってみんなの前を歩こうとするとかなり怖い。お年寄りの方なんかには危ないと思う。大袈裟ではなく足が滑って前の席の人たちの頭上に落下しそうであったがなんとか無事席に着く。

そこへ遠目からもはっきりと本人だとわかる雰囲気で今日の舞台の主役が出てくる。このホールは何人くらい入るのだろうか?700席くらい?そんな人数の人が自分だけを観に来るとはどんな気持ちなんだろう。

最初の演目はベートーベンで私のような者も聞いたことがある有名なやつ(月光)。椅子に座ってから曲を弾きだすまでちょっと間があく。鍵盤をチェックしているような動きをして体を前後に揺さぶっている。ようやくゆったりと弾きだすと、なんかいきなり涙が出そうになった。なんだろう。

実はどの曲もそう感じたんだけど、あれ、これ日本の曲?って思ってしまう瞬間がしばしばあった。呼吸というか間というか。最後の演目はジャズっぽい曲だったんだけど(ニコライ・カプースチン)、それですらしばしば「あれ、これ日本?」と思ってしまった。私だけだろうか?いったいなんだろう。

2番目の演目はリストなのだが、これがちょっとびっくりするくらいよかった。ゆったりした曲調なのだけど、たくさんの白い波が無数の泡を立てて辻井さんのピアノの周りから放射線状にさささーっと伸びていくような。何もない舞台の上に地平線が広がって、それがなぜか私の中では広大なロシアの地平線で凍てついた大地なんだけど、辻井さんの音ひとつひとつでぱあーっと緑が広がっていく、まるで春を呼ぶ音のようなやわらかい風が大地を包み込んで呼吸しているようなそんな感覚がした。ちゃんと覚えていないから間違ってたら申し訳ないが、リズムもなんだか独特で、この曲、ダンサーが聴くと思わず踊りだしたくなるんじゃないだろうか?誰もいない大きな舞台で音と一緒に踊る自分の姿が目に浮かんだ。

ちなみに私の隣は日本人親子で、8〜9歳くらいかと思われる息子さんは音に合わせて顔を左右に動かしていた。あなたの気持ちはわかるよ。日本語での会話もバッチリ聞こえるので(ささやき声だったけど)ちょっと注意が削がれる時もあったがそれはさておき。

そしてインターミッションをはさんで後半はラベル!ワクワクしていたが、その頃にはお隣の坊ちゃんは眠いやら疲れたやらで、それほどうるさくはないがちょっとパタパタ動いていて、気、気が散る・・・。

そして3席くらい反対側に座っている5〜6歳の女の子が靴のヴェルクロ(マジックテープ)をビリビリと時々いじってて、そんでもって数列後ろの赤ちゃんもちょっと泣くしであんまり集中できなかった。ざ、残念無念。彼らが悪いのではなく、そういう小さい子たちを見かけるとどうしても自分の息子が小さかった頃を思い出して記憶の彼方に行ってしまうのだ。小さい子を遅い時間に劇場に連れてくるなよと思うかもしれないが、親は見たいのだ。私も6歳くらいの息子をピナ・バウシュの2時間の舞台に連れて行ったことがある。息子は静かにしていたけどやはり暇になって(ドロドロの恋愛関係がテーマのダンスなので大人でも疲れるw)「ねえ、まだ?まだ?」と聞いていた。親からしたらすごく静かにしてると思っていても、他の人間にはそうは思えないこともあるのだろう。そういえば息子は小さい頃、上映中の映画館で急にパッと後ろを向いて見知らぬ観客たちを見つめるということをよくしていた。なつかしいなあ。

なんて思っているうちに、あっという間に最後の曲。すごくジャズっぽい演目だった。超絶技巧満載で、目にも耳にもとても心地よい。目を閉じて音の波に漂う。ジャズヴォーカルの先生、ナブコさんだったら聴きながら頭と体をスウィングさせて「オー、イエ〜」と言っているところなのだが、さすがクラシックの観客(?)、頭を振っているのは見渡す限り私と反対隣の男性だけだった。かなりジャズィなテンポの良い曲だったのだが。しかし観客は大満足でスタンディング・オベーションをしていた。

関係ないけど辻井さんが拍手に迎えられて舞台に戻ってきて挨拶する姿がとても愛らしい。とても誇らしげで体いっぱいに拍手を受け取っている。その姿を何度も見たいがためにみんな拍手をする。

アンコールで2曲弾いた後、また舞台に戻ってこられた辻井さん。するとまたピアノの前に座るではないか。3曲目!それも「ラ・カンパネラ(鐘)」である。私も含めてみんな「うおー」と思わず唸り声を上げた。

いやもう、その演奏は私が拙い言葉で書く必要ないです。とにかく素晴らしかった。リストは辻井さんにとっても似合う。

終わった後はまた愛らしいペンギンみたいな姿で拍手と音の空気を全身に受け止める辻井さん。辻井さんの音には色がある。そして聴く人を幸せにするような響きがある。辻井さんにはみんなが笑っている姿がはっきり聞こえていると思う。

3曲目のアンコールが終わってまた何度かカーテンコールで出てきて(忙しいなあ)ピアノの横に立つ辻井さん。少し長く立っていた。ふっと手をピアノの方に伸ばす。みんな「ひょっとしてもう一曲・・・?」と思ったと思う。そのタイミングでパタンとピアノのふたを閉めた。この人おもしろい。みんな笑っていた。

最後に袖に戻るとき、前列の観客の人たちを大袈裟に指で数えるような仕草を見せた(遠目だから違うかもしれない)。これまたみんなを笑わせた。明るくて陰影のある自身のピアノそのままの辻井さん。すっかり大ファンになって大雨も楽しんで家に帰った私であった。


遠くの席からなのでぼやけているが生・辻井さんである



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