見出し画像

「100年を占う」(2022年6月)

●6月2日/2th Jun
WirelesswireNewsに論稿『「ない」ことが強みになる』がアップされました。拙著「まなざしの革命」の第八章「交流」からの一節です。この章は観光や地域づくり、地方創生やコミュニティ育成などの領域のことを中心に書きました。"何もない"と思っている場所ほど、まなざしを変えれば実は可能性があり、本全体の中ではこれからのことを書いています。まだ拙著をお読みになっていない方は、こういう視点もあるということでご参照ください。

●6月2日/2th Jun
「技術についての楽観主義と悲観主義が存在するのだが、そのどちらに立とうが、ここですでにひとつの見方が前提とされていることに注意しておきたい。それは、まずもって技術を自然の制約からの解放と見る、ということだ。技術が逆説的に人間を縛り付けるようになるとしても、それは予期せぬ結果であって、まずは自然的条件からの人間解放こそが文明化であり、そこに技術の本質があるというのだ。

 だがそういった時に、ここにひとつの前提がかくされていることになる。それは、自然は人間の生を拘束するものであり、技術は、人間の生を解放するべく自然と対立するというのである。人間は技術を介して自然と対立するということだ。」

●6月2日/2th Jun
「陽」が極まり「陰」に転じ、「陰」が極まり「陽」に転ず。これが万物に当てはまる法則だとすると、右は左になり、上は下になり、賢者が愚者になり、主人が奴隷になり、勝者が敗者になるだろう。だから当然これまで「イケてる」と思われてきたことが「ダサい」ことになる。それにいつ気づくか。

●6月3日/3th Jun
次の夏至の日に、とある団体が主催する占星術師のためのセミナーでオンライン対談することなったので、少しだけ研究室の書斎を整理する。かつて僕が大阪の東の方で運営していた印刷工場をリノベーションしたアトリエの雰囲気をそのまま研究室に再現した空間だが、それなりに整ってきた。

●6月3日/3th Jun
海外の大御所の社会学者がフーコーやラカンの哲学をベースに自分の理論を構築しているが、それに対して我が友人のドゥルーズ哲学研究者が批判している論文が痛快。

「そもそもフーコーやラカンが言っていることを読み違えてるのではないか」と静かに指摘する彼の姿が思い浮かび、本人のパーソナリティを知っているだけあって笑いが込み上げてくる。東大卒の哲学者、優しそうに見えて怖いわ。

●6月5日/5th Jun
小さな茂みの奥にひっそりと生える野イチゴから少し実を分けてもらった。茎にはたくさん棘があるが、ちゃんと敬意を持てば必要な分だけ分けてくれる。もっと取ろうと欲をかくと自然は抵抗を示す。頂く方にも作法と限度が必要だ。

虫に挨拶をする。鳥の会話に聞き手として参加する。花を撫でて、月と見つめ合う。そんな普通のことがいつの間にか僕らは出来なくなっていないか。僕らは自然の一部なのに、今ではすっかり自然が僕らの一部のように扱われていないか。

僕らの幸不幸は社会が決めるわけではないし、人間関係の中だけにあるわけではない。そんなものを離れた所にあるのだが、それは精神世界や宇宙という抽象的なものの中にあるわけでもない。極めて具体的な自然との関わりの中にあるはずだ。

それなのに、そんなごく身近な自然との関わりを忘れて、僕らは遠く離れた熱帯雨林や気候変動の問題に取り組もうとする。抽象的な思考だけを洗練し、合理的な解答だけを詰めていった結果、最も身近な自然である肉体すら捨てようとする社会を目指すらしい。

全てを電子の世界へ変えて、全てを管理したいと欲望する文化は、この先も進んでいくのは止まらないだろう。だからこそ正反対に、極めて具体的な自然との関わりからもう一度思考を始めていく必要性を感じる。

●6月6日/6th Jun
拙著「まなざしの革命」では、全体として戦争のカラクリについて触れているが、予想通りのことが進んでいる感が否めない。本書では具体的な情報として書くのを避けたのが、それが良くも悪くも作用しているのか。危機感が薄い人が目立つ。

具体的に書くと情報に捉われるし、あまりに抽象的だと自分ごととしてリアルに感じられないし難しいところ。いや、そもそも読んでいる人が少ないからそんな話でもないのかもしれないが。

だが、そうこうしているうちに、本で書いたように順番通りにひとつずつ詰められていく。それは世論を辿って導かれる。理念であっても批判であっても、正当性がありそうなことで世論は動く。その世論は起こったのではなく、"起こされた"と見れるかどうか。

手品と同じで、一つ一つを個別に見ていると矛盾が無いように見えることが、最後に一気にひっくり返る。小さなサインを見過ごしていると、戦争はいきなりやってくるのだ。その時に怒ってももはや手遅れということもあるだろう。

しっかりと目を見開いている大人たちが今こそ必要だろう。遊んでいる場合でも、怒っている場合でも、嘆いている場合でもない。我々がちゃんと守らないと次の世代は戦争状態からスタートすることになるのだから。

●6月7日/7th Jun
竣工までもう少し。水を張ってみると何とも素敵な風景が見える。

●6月8日/8th Jun
 ホイジンガは人間の行為の中でも「遊び」に着目することで、文化と人間の生について思考していた。一方で近代以降に文化の中から遊びすら失われてしまったと指摘する。遊びとは本来は日常の合理性や生活上の機能や必要性を超えて展開されるもので、それは高尚な理想や理念、あるいは「聖なるもの」と大きく関係している。
 ホイジンガは「一般的な教育と現代的な公開性は、文化水準の上昇には寄与せず、その効果においては逆に、文化の堕落と弱体化と見られる現象を、必然的にもたらしている」と言う。この捉え方はどこかでオルテガやシュペングラーの文明の読み取り方とどこか似ていると佐伯先生は指摘している。

 「文化とは、人間の自然性を発現させるものではない。むしろ、そこに人間の自然性を抑制する倫理や義務感や権威を必要とする。この適切な抑制こそが文化なのである。そうであれば、ある共同体の文化は、その共同体が現実に実現する富や利益よりも、より大きく、より高い理想や価値を掲げなければならない。人間の自然的本能を抑制するのは容易なことではない。だからこそ抑制するに足るだけの高い価値を掲げなければならない。」

 興味深いのは、こうした理想や価値が内発的に掲げられるのではなく、外部から設定されることで、ますます文化は衰退することになるというパラドックスだ。文化の衰退をもたらしたものこそ、「理性」をベースに掲げられた理念や価値であり、ホイジンガのすぐ後のナチスにそれを垣間見る。一方でこの状況はまさに今現在の世界であり、とても100年ほど前の話として片づけるわけにはいかないように思える。

●6月9日/9th Jun
 今日は弟の命日。彼が亡くなってちょうど9年が過ぎた。出張中のトロントの空港で亡くなったという特殊な状況だった。当時の僕は急な訃報が受け入れられず、弟の遺体を引き取りに家族とトロントへ向かうプロセスを全て映像記録することで、ようやく正気を保っていた。

その記録は2ヶ月後に「弟と過ごした最後の五日間」という映像とパフォーマンス作品となり、それを当時の自分のアトリエで発表した。だが、それ以来一度もその作品を自ら開けて見ることはなかった。まだ向き合う準備ができていないからだ。

父が亡くなったのは14歳の頃だったが、その前後の記憶は曖昧でほとんど風化しかけている。そうなりたくはなかったので、その時は訳も分からずただ必死に記録したが、まだまともに向き合うことが出来ないでいる。

来年で10年。その頃にはようやく向き合う節目が来るように思える。映像作品としてちゃんと完成させて、一人の個人の魂の記録として、肉親の死に直面することや、死への向き合い方の文化差といった、普遍的なメッセージを描けるだろうか。

●6月10日/10th Jun
 イマイチ僕が言っていることが世間に響く感じがしないのは、逆にアカデミズムの言葉を使っていないからかもしれないと、だんだん思い始めた。
 人生の意味について話すのに、ハイデガーの「世界内存在」「頽落」「存在了解」とかの言葉や概念を借りて話した方が"ありがたい"感じがするのだろうか。
たまにブッダを召喚して話すこともあるが、日本では仏教という形で同化し過ぎていて逆に響かないのかもしれない。ブッダの言葉ですら、当たり前のことを当たり前に言うと、人は耳を傾けないのだなと。
 とはいえ、そんな哲学的な言葉や概念を知らなくても順を追って聞けば、理解できるようにやっぱり話したいとは思う。「まなざしの革命放送」vol.006「人生に意味はあるのか」。ご関心あれば是非。

●6月11日/11th Jun
 江戸川区の名書店「読書のすすめ」が拙著「まなざしの革命」の書店イベントを企画してくれました!限定30名です。今回はオンライン配信無しで対面リアルのみの開催。となると話していいことの幅がグッと増えるので、つい言ってはいけないことを口走ってしまいそう。

●6月11日/11th Jun
 弟の10回忌の集まりの後、バンクシーに興味がある甥を連れて「バンクシーって誰?展」へ。明日で終わりなので凄い人混み。ひとまず自由に見てもらって、後半で合流して解説を加えていく。僕自身は最近ちょうど"革命"づいているので、自分の中でも話がしやすい。

バンクシーが一体どういう動機で、何を批判して、何と闘っているのかについて、ひとまずのテキスト通りの解説をする。それだけでも神妙そうに聞いていたのだが、もう少し突っ込んだ裏の意図や少し奥のメッセージについて説明すると、パッと顔色が変わって身を乗り出すように話を聞き始めた。

元々バスキアやヘリングが好きなので美術的な関心が入り口だが、ちゃんと補助線を引いて上げると中学2年でも政治や経済や社会の裏の構造の話を理解できる。こんな場所でこんな展覧会をする大人たちの欺瞞に騙されてはいけないこともしっかりと差し込んでおいた。

本当の問題は展覧会タイトルにあるような「バンクシーが誰か」ではない。バンクシーなるものを"誰がどういう意図でなぜ作ったのか"の方が遥かに重要だ。それを理解するにはもう一ステップ必要だが、まずはこれくらいで良いのではないかと。

●6月12日/12th Jun
 6月21日の夏至の日に、占星術師のためのセミナー「URANAI Gathering」に登壇します。占いアカデミーを展開するザッパルスの主催で、占星術師を目指す方や、占星術師に関心がある方々向けのセミナーで、鏡リュウジさんはじめ豪華な講師陣たちによるオンライン対談形式のセミナーのようです。

 ハナムラは以前より懇意にしている占星術師のSUGARさんからのお声がけで、二人で30分ほど対談させて頂きます。何を話すのかは当日になってみないと分からず今からドキドキしてますが、SUGARさんのナビゲートに任せるまま楽しくお話し出来ればと。
 SUGARさんとは一度、我がアトリエで対談したことがあり、とてもエキサイティングな時間だった。その時に、大地のランドスケープを読む僕らに対して、占星術師の方々は「天空のランドスケープ」を読まれていて非常に共通点が多いと感じた。
 どちらも「読み方」の話であり、そういう意味で占いとは「まなざしのデザイン」と捉えることも出来るように思える。そんな話になるのかどうか全く分からないけど、ご関心ある方は是非ご覧ください。

●6月14日/14th Jun
 世のため人のためと言いながら、世のためにも人のためにもならんことをしていることにそろそろ気付けばいいのにね。
 人のためと正当化せずに、しっかりと自分のために生きることからスタートしないと。自分をしっかり生きることとは、人に依存することでも、人の評価に左右されることでもないのだから。
 根底の構造が間違っているのに、その中でいくら努力してもますます状況を悪化させるだけにしかならないことがある。それに加担することには少々疲れ気味。今の構造を壊して新しい芽を育てねば。

●6月14日/14st Jun
 6月21日の夏至の宵から始まる「URANAI gathering」のプログラムが発表された。占い師のためのセミナーのプログラムに「まなざしのデザイン」が並ぶことのアウェー感にめげずに、SUGARさんと楽しく話したい。
 お世話になっている鏡リュウジさんをはじめとする占いの第一線の方々に加えて、精神科医の春日武彦さん、物理学者の野村泰紀さん、人工知能の三宅陽一郎さんや、学研「ムー」の編集長の三宅丈晴さんまで、豪華な顔ぶれ。占星術師になりたい方だけではなく、この時代がどういう星の巡りになっていて、これからどうなっていくのかを考えたい方も必見かと。

●6月15日/15th Jun
 本日は池平先生の道教の講義の日。前回の初期道教の続きから、本日のメインテーマの「祈りと儀礼」に。儀礼には大まかに言って、「懺悔」「慶事」「弔事」の三つがあるが、3つめの葬送の儀礼について聞く。道教において地獄の考え方は多分に仏教の影響を受けているが、かなりの部分が道教流にカスタマイズされていて、方士が地獄から故人の霊を救い出す「打城」という下りは特に戯曲的な演出が加えられている。

 興味を持ったのは、その下りで童乩(タンキー)が介入してくること。元々道教とは関係なく、台湾地元のシャーマンのはずが、霊を救い出す下りで神々の力を借りるためのメディウムとして救助にくるという。儀礼空間の配置にもコスモロジーが反映されており、大変興味深い。終了後の質疑では、金丹法での水銀の使用のルーツがどこにあるのかということがあがり、インドのソーマとの関連性や、古代ギリシアやエジプトとの関連も気になるところ。西欧で錬金術が流行したのはもっと後だが、アレクサンドリア時代の付近ではかなり深められていたはず。大形先生がそのあたりをご研究されておられるということでLINEアドレスを早速交換した。水銀問題は結構気になっているので、西欧錬金術と付き合わせて考えてみたい。

仏教の「空」と道教の「無」との関連性の質問もあったが、僕も大変気になるところ。現世の捉え方が正反対なのは「ドゥッカ(苦)」の概念が中国に入った時にしっかり理解されなかったか、あるいは大乗経由で捻じ曲がったのではないかと怪しんでいる。そもそもドゥッカは理解し難い概念の上、理解されても受け入れ難いので生命礼賛ベースの中では省かれたのかもしれない。最近は西洋哲学ばかり読んでいたので、中哲から距離があったが、毎回知らないことばかりで、本当に勉強になる。

●6月17日/17th Jun
 来週竣工の現場から、学会参加のために札幌へ移動。久しぶりの飛行機に旅の感覚がよみがえる。

●6月18日/18th Jun
 9年前と変わらない風景が広がるモエレ沼公園。僕が物語花火「モエレ星の伝説」のプロデュースをしたあの時は、モエレサマーフェスティバルはまだ2回目で13000人ほどしか来場者がいなかった。その後名前と枠組みが変わり、まだ継続しているこの場所での花火大会は、北海道でも指折りのイベントの一つに育ったという。
 このモエレ沼公園は先人のランドスケープアーティストの第一人者であるイサムノグチが最後に手がけた作品であり、かつ最高傑作だと僕自身は考えている。彼自身がこの場所に込めたメッセージ、そして場所そのものが持つメッセージを媒介すべく奔走した9年前。東京で弟の葬式を終えて喪服のままでこの現場に入り、月明かりの下でこの場所と向き合った時の感覚を今でも覚えている。いい仕事をさせてもらえたこの場所と、その時に支えて頂いた皆様に改めて心より感謝を捧げるつもりで、再びこの地に立つ。

●6月20日/20th Jun
 札幌の書店を巡って「まなざしの革命」の革命旗を立てる。MARUZEN&ジュンク堂書店では「日本論」の棚に面見せで、三省堂書店札幌店では「社会問題」に一冊だけ、紀伊國屋書店札幌本店では「東洋思想(現代)」の棚に面見せで置いてもらっていた。これで北の地にも革命旗が立つ。心より感謝。

北海道発の郊外型書店コーチャンフォーにも「まなざしの革命」が置いてあるということで、空港へ向かう道にある美しが丘店に寄ってきた。店員さんに話をしたら普段はポップとかあまり立てないらしいけど、今回は立ててくれた。心より感謝。
#まなざしの革命を探せ

●6月20日/20th Jun
 明日の夏至の夕刻より、占いアカデミーを開催するザッパルスによる「URANAI GATHERING」がオンラインで開催されます。ハナムラは16:40から占星術師のSUGARさんと対談させて頂きます。
 今、ちょうど明日の前夜祭として鏡リュウジさんと暮れの酉さんがオンラインで対談していて、とても面白い話になっているので是非ご覧頂きたいです。明日は有料ですが今日の対談は無料ですので是非。

#占いギャザリング 16:40〜
いま世界をどうまなざすべき?

まなざし(認知の仕方)が変わると同じ風景も違って見えるというランドスケープアーティストのハナムラチカヒロさんと占術家SUGARさんが、無法者か革命家のように常識の外から物事を考える「アウトキャスティング思考」と占いの交差点を探ります

●6月21日/21st Jun
 #占いギャザリング 
登壇終了。学会のシンポジウムよりも面白い回があったという。今回はSUGARさんと二人で結構真面目に「まなざしの革命」の本の話をしたけど、こういう場だからこそ危うい話をすべきだったかもと。でもやっぱり役回り的には、社会的な話に終始して会全体としては正解だったか。
 後半の回でも、占星術師のいけだ笑みさん、学研ムーの三上編集長、宇宙物理学者の野村泰紀さんのマルチバース、メタバース原住民のバーチャル美少女ネムさんの話でも前半の僕らの問題意識と通じるどころばかり。
 「意識とは何か」「実存とは何か」というあたりで一度ディスカッションしてみたい。今日の議論に足りなかった視点は提供出来そうな気がする。
アフタートークのみyoutubeの下記リンクで無料で視聴頂けます。

●6月22日/22nd Jun
 昨日の夏至に開かれた「占いギャザリング」のアーカイブ映像が販売されている模様。1週間の期間限定配信らしい。当然僕は占い業界のことなど何も知らないし、SUGARさんと鏡リュウジさん以外にはお会いしたこともない。
 だから持ち上げる必要は全くないのは前提だが、一応締めのコメントで言ったのは、社会の中に「その他」フォルダがなくなってしまい、ちょっと前まではそれをアートが引き受けていたが、今や占いかオカルトぐらいしか残されていないのではないか、ということ。そのうちこの領野も取り込まれていくだろうが、現時点でおそらくこの読みは正しいはずだ。
 マルチバースの野村さんの話を聞きながら、僕の生命表象学や仏教的宇宙論から解説するとこうなるだろうなと、勝手に妄想する。SUGARさんや鏡さんはもちろんのこと、ぐらさんやいけだ笑みさんはじめ、占星術師には頭の回転の早い人が多いと感じた。
 何より写真の顔ぶれの中では、最も胡散臭いとされても仕方のないムーの三上編集長が、非常に真っ当なことを話していることに、時代の反転現象がここにも現れていると確認。バカにして油断しているとメインストリームから腐っていくのだろうなと。

●6月24日/24th Jun
 功を焦って不誠実なことをしようとする者はロクなことにならないだろう。ズル賢く立ち回ることで、その場はうまくいったかのように見えるが、巡り巡って結果として身を滅ぼすことになるのが因果法則の恐ろしいところなのだから。鎮めねばならない怒りが自分の中にまだあるのは、本当に修行が至らないと恥ずかしく思う。

●6月25日/25th Jun
 週末は心を落ち着ける孤独な時間を。

●6月27日/27th Jun
 ある設計思想があったとして、それがどのスケールで考えられているのかを理解しないと、空間を読み解けないだろう。特に機能という概念には要注意だ。短期的な効率や意味、現在共有されている価値観だけを補助線に見ていると100年とか1000年のスケールで設計された空間の意図は見えない。理性で理解できることなど限界がある。
 我々が何かを理解する上で理性は役に立つことがあるのだが、自然や宇宙は理性的にできているわけではない。どのスケールで問いかけるのかによって答えは変わるのは当然だ。

●6月28日/28th Jun
 拙著「まなざしの革命」をお読み頂いた方が、丁寧な書評をあげてくれていたのでシェア。この混乱した時代に"見方の見方"を整理する必要を強く感じて書いた本だが、既に「離」を実践されておられる方にも響くことに勇気を頂く。各地で静かに行動している一人ひとりのまなざしの革命家に心より感謝。

●6月29日/29th Jun
 参院選当日の来たる7月10日。江戸川区の名書店「読書のすすめ」さんが主催する拙著「まなざしの革命」出版記念講演が開催されます。30名限定のイベントで、基本はオフラインのみの開催です。今回の本の講演シリーズでは朗読スタイルを取っていて、少し舞台的に演出もしていますが、"革命"対話というタイトルがついているように、皆さんとの対話がメインになると思います。まだ若干名だけですが席があるようです。オフラインのみのクローズドの会であれば、少々突っ込んだ話が出来ますので、直接ハナムラに訊ねてみたいことがある方は是非お越し下さい。答えられる範囲でその場で考えて答えますので、どうぞよろしくお願い致します。

●6月30日/30th Jun
 先日の占いギャザリングでの占星術家のSUGARさんとのオンライン対談。本編は有料コンテンツになっているが、アフタートークはYouTubeで無料で見ることが出来る。対談終わった後だからテンションが上がったままとはいえ、本編では話さなかった話題や、際どいことまで口走ってしまった。他の方々の動画は5分前後なのに、僕らのだけ12分もある。しかもほぼ一人で話してしまって申し訳ない...。
ご関心ある方は是非リンクからどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?