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白い猫と妻の失踪12、果穂 鎌倉 夫との会話 2019

家に帰ってきて、最初にすることは、手を洗い鞄の中身をすべて出して所定の位置にしまうこと。
そして、着物を脱いで、専用のハンガーにかけ、埃を払うことだった。家着用の浴衣に着替えて、夫のいる居間に向かう。

 「ただいま!打ち合わせの後、また灯台に行ってきたわよ。」と、声をかける。
お手伝いさんが作っておいてくれた夕食のいい匂いが家中に漂っていた
「そうか。それは良かったね。」と、嬉しそうに夫が答えた。

 実は、夫の葬儀はもう既に終わっている。でも、彼はこうして家の中に朝と夜、時々現れる。簡単に言えば、幽霊ということになるのかもしれない。でも、私たちには全くそんな意識はなかった。葬儀の後、眠ろうとしていた頃、夫の声が聞こえてきた気がした。

 私は、最初幻聴だと思って眠ってしまった。翌朝になったら、姿まで見えた。信じられないことだけれど、会話ができてとにかく嬉しいという気持ちだけがあった。いつまでこの現象が続くのかはわからない。でも、多分、彼の心残りが解消されて、私が少し落ち着いたら、きっと天国に行ってしまうんだろう。ということはなんとなくお互いに分かっていた。

「僕がここに居られるのは、きっと数日のことなんだろう。それは仕方がないさ。もう体に戻ることはできないんだから。誰も自分がこの世を去る時期は決められない。」

「あなたと暮らせないなら、この世にいても意味がないわ。ああ、一緒に天国に行かれたらいいのに!」

「大丈夫大丈夫。また、必ず会えるよ。その時が来たらきっと迎えに来る。約束するよ。」

「私だけお婆さんになってしまうじゃない。あなたは、ずっとそのままの姿なのに。そんなの不公平だわ。」

「いつでも僕らの心は繋がっているじゃないか。僕がここに居なくても、僕の考えはだいたい君にはわかるだろう。夢の中でなら話ができるみたいだから、時々話もできるし。何かサインを送れるようにしてみるよ。ただ、心残りなのは、最後の作品だ。一緒に最後の作品を仕上げてもらえるかな。」
「ええ、もちろんよ!やるだけやってみましょう!」

 私から夫のことは、だいたいいつもと同じ姿で見える。声もちゃんと聞こえた。残念ながら触ることはできない。
彼からは、家の中では私のことは普通に見えている。私が外にいる間も、少しだけ私の行動や考えが遠くで感じられるらしい。

「・・・多分天国に行ってからも、ずっとこの感じが続くんじゃないのかな。ふんわりと、僕はいつでも君と繋がっている感じだ。なんていうか、糸でつながった凧が、少し上の方でふわふわ飛んでいるみたいに。」

 夕食は、鳥鍋の用意がしてあった。
「そうね!楽しく過ごさなくっちゃ。夕食にしましょうよ。白菜や水菜が今の季節は美味しいわよ。最後はおうどんにしましょうか?」
「そうだな。乾杯しよう。」と、二人で食卓に着いた。
彼は普通に食べているように見えた。食べ物や飲み物は実際には減っていないけれど。

 日常ほど尊いものはない。いつもと同じように過ごしていると、彼の声、仕草、眼差し、すべてに深い愛情が込められていることがよくわかった。数日でだんだん、彼の姿は見えにくくなり、話はできなくなった。言いたいことを伝え終わったのだろう。彼から聞いて代筆した文章を私が書き留めて、最後の小説を仕上げることができた。内容は、夫婦の物語だ。最後にタイトルを決めて、彼は満足して天国に旅立ったようだった。今の彼にしか書けない物語だ。タイトルは『逆さ水』に決まった。

***

 急に夫が現れなくなって、とても寂しかったけれど。もう彼には思い残すことはないのだから、いつまでも引き止めておくのは良くないのだろうということは、なんとなくわかった。もっと一緒に年を重ねたかったな。何を見ても思い出ばかりで、どうやってこの寂しさと付き合っていけばいいのかわからなかったけれど。少なくとも、彼はずっと私のことを見てくれているし、そばにいるのと何も変わらないのだということだけはわかった。

 明日から、夫の作品の管理のことでまた、しっかり仕事をしていこう。一人で時間を持て余してしまいそうで、そのことが怖くもあった。孤独が恐いというより、自分の恐れがさらに恐れを膨らませているような気がして、その渦を止められるのは、自分しかいない。という事にも気がついた。

 孤独はただの孤独でしかないのだから、本来は恐れるほどのことではない。二人で住んでいても孤独は存在していたはずだ。寂しさは寂しさという小さな箱に入れて、その都度投げ捨ててしまえばいい。夫との思い出は、宝箱に入れて美しいリボンを結び、ちゃんと心の中で楽しい事として扱おう。と決心した。

 夫との幸せな思い出や言葉を辛い事として扱うのは、やめよう。と毎日、毎分、自分から湧き上がる感情をできるだけ手放す練習をした。幸い、この静かな家が私を守ってくれた。自分をどう扱ってあげればいいのかわからないままに、何とか生き延びる術を、毎日少しづつ学んでいった。私の場合は、リハビリと称して、できるだけコツコツと毎日いつもと同じような行動をした。午前中は仕事をしてから、着物に着替え抹茶を点てて飲んだ。いつものお店でランチを食べ、散歩をした。とてもつまらないように見える日常の中でしか、この悲しみに立ち向かう力は生まれないと思ったからだ。

 

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