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病気との戦い⑨~栃木でであった人々~

どうもみなさんこんにちは!こんばんは!おはようございます!
痛みに呪われ、痛みと婚礼の儀式まで執り行ったと言われているflutist_umakoです。

昨日は大学に入学して新生活がスタートしワクワク!!ドキドキ!!だった話でしたね。

さて昨日は大学に入学して1年生から2年生までかっ飛ばしてしまいましたが、忘れていることがちらりほらりと出てきまして...

いきなり入院!!

大学に入学してすぐに私は入院してしまいました。
それは大学1年生の七夕でした。
最初の七夕からもう入院か...

その科はなんと歯科。


そうなんです私、歯肉に膿が入ったのか顔が半分パンパンに腫れてしまい。
大学の構内にクリニックがあり内科、整形外科、耳鼻科、アジアでも最大だと言われているリハビリテーションセンターとありまして、足の悪い私は歯科にお世話になることになりました。

それがまず、「歯科口腔外科 准教授」のO先生との出会いでした。

O先生は生粋の栃木っ子(おじさん!?)で、私の栃木弁はO先生に教えてもらったというのはさすがに過言かな?
杖をついている私の配慮をいつもしてくださり、とても優しい先生です。

そのO先生に最初は外来で診ていただいていたのですが、入院治療が必要ということになりました。
クリニックはあくまでも外来を診るための施設なので、入院は大学から少し離れたところにある国際医療福祉大学付属病院に。
その頃はその後のような豪華な建物ではなかったので、古いお下がりのような病院に(笑)。

この入院をきっかけにO先生は私の事をとても可愛がってくださりました。
口腔外科の講義の時にスライド係を任されるほど...(笑)。
先生の笑顔をもう一度みたいなぁ~と祈っています。

アルバイト

昨日の投稿でも書きましたが、私は○万円とする参考書も古本を中心に買っていました。
なるべく仕送りしているお金に+αでお金を送ってもらうのは気が引けるので、私に限らずいつも一緒にいたAやNもアルバイトが必要でした。

私たちが最初に手をつけたのが、大学のカフェテリアのところにたくさんのビラを抱えて出会った「家庭教師派遣サービス」でした。

とりあえず3人とも登録。
でもその前に、AとNは自動車学校に行って自動車免許を取ることが先決でした。

家庭教師

私はその「家庭教師派遣サービス」から1人の女子高生の勉強をみていました。
今思うとあんなに高校時代に勉強をしてこなかった私から学ぶことなどあるのか!!と赤面してしまいます。

先日母が、

「あなたの高校の古文のテストが書庫を片付けたら出てきたんだけど✕✕点だった...」

と絶句していました。
だから教える科目は登録の時に理数系と書いたのですが、それすらもよく教えられたな...と自分でもよくよく思います。

あの子は今どんな女性になったんだろう...

と時々思います。

もうひとつの家庭教師は多分1年生の途中からだったと思います。
それは「家庭教師派遣サービス」ではなく、アドバイザーの先生から呼び出されたものでした。

その子、K君は中学1年生の男子生徒で、小学校2年生から「学習障害」と言われたり、「注意欠如・多動性障害」と言われたり、「知的障がい」と言われながらずっと訓練していたそうです。

しかし中学生という年齢になったため様子観察ということで、私の前に先輩が指導に行っていたそうです。
その先輩が臨床実習で忙しくなるとの事で、私が向かうことになりました。

そのK君のお宅には週に2~3回伺っていましたが、恥ずかしい盛りのK君の勉強をみることは、同時に私の言語聴覚士としての糧にもなりました。


K君とのおしゃべりや勉強をすることもとても楽しかったのですが、私がK君のお宅に伺うのはもうひとつの理由がありまして...

それが実はK君ママの手料理を私もご家族と一緒に食べさせていただいたことなんです。

K君、K君ママ本当に申し訳ありませんこんな家庭教師で...
お願いだから今さら後悔はしないでね!

でも故郷を離れ家庭の味や雰囲気に飢えていた私には最高な時間でした。

実は、K君ママと私には共通点がありました。
それはお互いに「痛み」をも持って生活している
ことでした。
私はこのK君ママに出会えて本当に良かったと思っています。
K君ママとは食事が終わり、K君のその日勉強した報告をしたあとに、夜が更けるまでお互いの傷のなめあいではありませんが、私にとても近しい存在でした。

K君が高校に入学した時、20歳の成人式の時に連絡をいただいたり、就職の嬉しい報告を聞いたり...
今回こちらに載せる件のお話を何年かぶりに電話しましたが、昨日の話の続きのようにスッと話が合いました。

K君も今年は30歳になったようで、

「(もちろん離れているけど)同じ30代なんて不思議だよね。本当にまっすぐと伸びましたね」

何て話もしました。
K君ママの年を聞いて仰天したけれど、ママのお年はママの名誉のために伏せておきます(笑)。

おもいで写真館

私は3年生の臨床実習前くらいまで週末は「おもいで写真館」というフォトスタジオでバイトしていました。

入学してバイトの情報はたくさんあれど、杖をついている私には難しいものが多くどうしたものかと悩んでいました。
そんな折、車を持っていたから1年生の5月頃、AとNとで私の近くにある大きな公園に行こうと車を走らせたものそこにつかない...?
慣れない土地で知らない通りに出たところ駐車場があったのでそこで地図を開くことに。
しかし訳が分からない私の目に止まったのが駐車スペースの真ん前にあった写真館でした。

最初は公園の位置を聞くのに入店。
お店を出る時にふと目に入ったのが「バイト募集」という張り紙でした。
私は一度車に戻り、中で作戦会議。
そして、もう一度入店して、

「すみませーん!私杖なんですがバイトの面接していただけますか?」

するとカメラマンらしきダンディーなおじさまが奥には入り、女性を連れてきて言われたのが、

「いつから来られる?」

でした。
やっっっったぁぁぁ~!!!!人生初バイトに受かった!!

そのスタジオは今で言うスタジオアリスのような事もしたり、お宮参り、七五三、成人式、契約している式場のウエディング撮影、そのアルバム作りまでやっていました。
私が今カメラが好きなのは、このアルバイトが大きく関係してきます。

その頃はまだフィルムの時代なので、撮影もぬいぐるみと反対の手に鈴を持ちながらも、

撮影に失敗があってはならない

というピンと張る緊張感がありました。

勤め出して半年ほど経った時に、面接の時に出てきた女性(副社長のポジションでした)が、

「写真撮る?」

Canonのkissという一眼レフ(もちろんネガ)をホイっと私にくれました。

えーーーーっ!!!!

もらっていいんですかぁ??というようなことを言った覚えはありますが、もうもらう気マンマンでした(笑)。
このkissが後にいろんな場面で活躍しました。

しばらく経って、証明写真の撮り方(インスタント&ネガ付き)を教わってからはお留守番もさせてもらいましたが、

「証明写真来るなぁ~証明写真来るなぁ~」

と念じていました。
と、そういう時に限ってくるんですよね...💧

一度インスタントの証明写真を撮りに来たお客さんを撮影して、5分間ほどお待ちいただくのでコーヒーをお出しして、

さぁ、あとはこの角からペリっとめくれば、お客さんが4人現れてくるんだ!!

ペリっ!ひぃぃぃぃぃぃぃ~!!!!

なんとお客さんが写るどころか真っ黒で失敗したぁ~!
でもお客さんには気づかれたくない。
だから私は、証明写真用の定規を使って真っ黒な失敗作に当てながら、

「ちょっと小さいかなぁ...ぶつぶつ...」

一芝居うち、

「ちょっと小さくとれちゃったのでもう一度撮るお時間ありますか?」

、「いいえ、それでいいです」と言われないように祈りながら承諾を頂き、2回目の撮影をしたのを今でもはっきり覚えています(笑)。

フォトスタジオのお留守番はほとんど自分の写真の現像とプリントをやりたい放題やっていました(失笑)。

こんなに好き放題させてもらって、お昼ごはんはお弁当を買ってきてくれたし(買い出しにも行かされたけど食べさせてもらえるならOK)で、時給が計算すると1,300円以上あってビックリ!!
契約っていう契約はしていないけど、850円位って聞いていたので、最初は戻しましたが、

「いいの!いいの!」

と言うから頂いておりました。

終わりに

どのバイトも思い出深いけど、やっぱりK君とママさんとの出会いが一番私の人生で大切なものだったなぁと感じます。

杖をつきながらかいものをしていた時に助けてくれた人にも感謝だし、人って不思議だなぁ。

そうそう、ちなみに表紙の写真は大学1年生の5月の誕生日にAとNが祝ってくれた時の写真です。
入学して早々20歳の誕生日だったのにふたりからのプレゼントはGUCCIのキーケース。
それから2年生になってふたりが20歳になった時も同じようにGUCCIのキーケースを贈りあいました。

つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。