見出し画像

掃除機

<前書き>
 リレーエッセイを書いている途中、ボツにした文章から肉付けして完成させました。
 私が仕事で海外案件を大量に担当し、持っている時間のほぼ全てを費やしても成果が出なかった時のことから始まります。




 平日朝、一人暮らしのワンルーム。
 着替えている途中だった。

 ローテーブルに足を引っかけた。その程度のこと、ほんの少し踏ん張れば別に転ぶほどではない。
 しかし踏ん張るエネルギーが湧かなかった。なぜか重力が急に強くなった。重力に従った方が、逆らうよりも遥かに楽だった。

 床に頬がついた。
 埃と髪の毛に覆われた床を見つめた。
 ここは、会社よりも楽かもしれない。このまま目を閉じてしまおうか、閉じたら二度と開けないかもしれない。
 辛うじて右頬を床から離し、顔を上げて正面を見た。

 自分の髪がうじゃうじゃと絡まった掃除機のヘッドが、私を見ている。
 ずっと見ていると、その中に吸い込まれそうだ。

 叫んだ。声の限りに叫んだ。
 掃除機の眼前から飛びのき、代わりにベッドに倒れ込む。
 涙と鼻水と呻きを漏らしながら、ただ呼吸することしか出来なくなった。

 社用携帯が鳴る。

 
 正しい声を、取り戻さなきゃ。
 せめて声だけでも普通の人に。涙と鼻水にまみれたまま、限界まで口角を上げた。

 
「はい、潮永です」

 
 良かった、明るい声を出せた。

 私はまだ、普通の人でいられる。
 私はまだ、社会で生きることができる──


 3年半後。


 木曜の夜、3LDKのマンションの書斎。
 夫は友達と飲みに行っている。


 呑気にも、私はあのどん底の状況をわざわざ文章にしようとしていた。

 ワンルームの景色、重力に負ける感覚、汚い床、掃除機。
 私以外に誰も証人はいないけど、私だけが証人だからこそ創作をせず、当時の様子をありありと書きたかった。

「さらに思い出せる感覚があるかもしれない」と思い、掃除機を壁に立て掛け、床にうつ伏せになって掃除機のヘッドを見上げてみた。

 ビビットな赤と青の、ベルベットのような洒落たヘッド。髪の毛は一本も絡まっていない。
 全くへたれていない毛並みには、艶まである。

 笑ってしまった。まるで質の良い絨毯じゃないか。ここなら吸い込まれても、気持ちよく眠れるかもしれない。
 6万円もした、“吸引力の変わらない掃除機”。

 3年半前に持っていた掃除機は確か3500円ほど。買ってから無理矢理4年弱使い続けたが、同居した夫は買い替えを強く要望していた。私は、「髪の毛吸えてるから使えるじゃん」と頑なに言い張っていた。

 そんな中、両親が買ったばかりのダイソンの魅力を熱く語ってきた。それを夫に伝えるやいなや、夫は目を輝かせて私をヨドバシカメラへ連行した。その場で我が家の掃除機は6万円のダイソンに置き換わった。

 その夜、早速我が家でダイソンを試した。
 埃の無いツルツルの床を触り、昨日までの掃除機が髪の毛しか吸えなかったことにやっと私は気づいた。

 夫は私の生活を、ありとあらゆるタイミングで引っ張り上げてくれた。
 とにかく調べ物と買い物が下手で面倒臭がる私に、夫は新しい商品やサービスを熱心にプレゼンした。
「今度見る」「そのうち買うかも」と決断から逃げていた私だが、“変化は早く起こした方がいい、それが成功か失敗かを早く知るためにも”という考えを得てからは、夫と共に生活を工夫するスピードが多少上がった。


 人を信頼できるようになって、よかった。


 自分一人で堂々巡りをしていた頃、自分は他人と共同生活をするだなんて一生出来ないかもしれないと思っていた。
 私のような面倒な存在を受け入れ、人生を共にしてくれる人間など一人も存在しないだろうと思っていた。

 信頼できるようになった人間第一号は、夫。
 
 でも、夫に依存し過ぎないよう、あと、夫以外の人間とも少しは心を通わせられるよう、今も「人を信頼する」ということを学んでいる。

 ちょっとだけ難しい家族とも、良い距離感が分かってきた気がする。
 あまり詳しくは書かないが、悪い人達ではない。特殊で天才だから、外からの情報で作った“普通の親のテンプレ”が当てはまらないだけ。


 リレーエッセイを書きながら夢について考え、今までの人生について考えた。私にとってのどん底の景色は、掃除機の吸込み口だった。

 その3年半後、必要も無いのに自ら床に這いつくばって、もう一度掃除機の吸込み口を見上げることになるとは思わなかった。その景色がこんなに見違えているとも、思わなかった。

 ついでにもっと必要の無いことを考えた。

 考えるのも馬鹿馬鹿しいが、仮に私が掃除機に吸い込まれてしまったとする。

 どちらかと言えば、髪の毛の絡まった3500円の掃除機の方が、楽に吸込み口まで降りて脱出できそうな気がする。あれだけ床のザラザラを取れなかったのだから。

 ダイソンの場合、吸い込まれる瞬間の不快感こそ少ないかもしれない。
 柔らかい毛並みに心地よく包まれて──しかし次の瞬間には、ダストビンの中で家中の塵に埋まっているだろう。
 私がダストビンから出られるとしたら、移動先はもうゴミ袋の中しかない。



 そんなことを、掃除機を眺めて考えた。

 本当に、呑気で幸せなことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?