憧れの人達「椎名林檎」⑤ なぜ憧れているのか
「④で終わりで良かったじゃないか」とは私も思った。
すごくこのシリーズが終わったっぽい雰囲気を出した直後だが、前回書いたのは「椎名林檎の思い出」であり、まだ「憧れている理由」を論じていない。
今回は、プロフィールの「憧れの人達」に椎名林檎を真っ先に挙げている理由について書こうと思う。誰がここまでついてきているかは分からないが、とにかく自分のために書く。
<音楽の引き出しの多さ>
とにかく彼女が手掛けた楽曲のバラエティは広い。飽き性の私が15年間全く飽きずに椎名林檎を追いかけ続けられる大きな理由の一つは、楽曲のバラエティの豊かさだ。同じ人が作ったとは思えないような雰囲気の異なる楽曲が数多くあるため、もはや林檎・事変楽曲は「感情と雰囲気の辞書」のごとく様々な場面を網羅している。
これができるのはなぜだろうか。私は亀田誠治師匠が椎名林檎についてのインタビューで語っている「彼女はジャンルや時代に捉われない音楽の聴き方をしている」という言葉にヒントがあると思っている。
ジャンルや時代で垣根を設けることなく「好きだから」という理由で無差別に音楽を吸収していたことが、彼女のジャンルに捉われない音楽性の基盤になっているのではないだろうか。
私は音楽に限らず、「引き出しの多い人」に強烈な憧れがある。見ていて飽きないのだ。そんな味わい深い人間になりたいと思いつつ、「面倒くささ」が勝ってしまってあまり冒険をしない。
たまに知人と話した時のあまりの自分の変化の無さ、人間的味わいや深みの無さには毎度うんざりする。よくこんなつまらない人間と数時間同じ空間にいてくれたものだと、相手に感謝と申し訳なさを感じる。
「好きなものを見つけて楽しむ」ということを意識的に行い、生き生きと新しい刺激を受けることで、少しでも椎名林檎のような引き出しの多い人間になりたいと反省している。
<美意識>
芸能人の美意識は高い。美しい人というのは数多くいるが、私が美意識の面で一番憧れ、影響を受けているのもやはり椎名林檎だ。
前回の記事で、「『女性らしさ』と『強さ』を兼ね備えたギャップ萌えな佇まいにはフェチを刺激されまくった」と書いたが、これは主にデビュー初期や20代の彼女のスタイルに多いのではないかと思う。
彼女が30代後半に差し掛かってから、私は思った。「なんか若返ってね?」
テレビやライブ映像で見る彼女は、年を取るごとに年齢不詳になっていった。「肌がきれい」というだけではどうやらなさそうだ。彼女は、歌う楽曲に合わせて変幻自在に姿を変える。楽曲と同様、「同じ人間とは思えないほど」姿を変えられる。ウィッグ、衣装、メイクの力を借りるだけでなく、表情、歌声、醸し出す雰囲気に至るすべてがその場面場面にふさわしい別人の女に変身するのだ。
どんな変身にも説得力を持たせるスキンケア・ボディケアの基盤にも、きっとたゆまぬ努力が隠されているのだろう。しかし彼女のようになれるかというのはさておいて、変幻自在に姿を変える彼女を見ているのは理屈抜きに楽しく、自分も「おしゃれ」という変身の魔法を使ってみたいという好奇心を刺激されるのだ。
椎名林檎は私より15歳年上だ。常に15年先を走っている彼女が若々しく輝いている姿を見続けたおかげで、私は年を取ることがあまり怖くない。
「三文ゴシップ」リリース辺り、確か「ありあまる富」を歌ったMステでタモリさんから「林檎ちゃん、もう30歳になったんだね」と言われた彼女は、「30歳になることが楽しみでした。私には30代が似合うと思っていたので」と発言していた。それを聞いた15歳の私は、「私も30歳になったら同じことが言えるように生きていこう」と決意した。実際に30歳になってみると、内面の未熟さにとても「30代が似合う」とは自負できないのだが、「20代でなくなってしまうことがショック」という感覚は無かった。
そろそろ自分の老化を感じ始めているが、椎名林檎の若々しい輝きを見ると「この年齢で諦めていられない」と奮い起こされる。椎名林檎を見て美のモチベーションを高めることは、私が少しでも自分を好きでいられるためにも必要なことなのだ。
<プロ意識>
とあるインタビューで、「椎名さんにとって音楽とは何ですか?」という質問に対して、椎名林檎が「仕事」と答えていたことが印象に残っている。「顧客があり、納期があり、自分に発注をくれた人の要望に応えた品質の商品をひたすら納品するのみ」と言っていた。その言葉はなんだか、「私の仕事は世の中に溢れている大抵の仕事と変わらない」と言っているような印象で、強く心に残っている。
「音楽」「作品」というと、多くは作者の芸術性を表現するもののように思える。限られた天才がその個性を発揮し、我々凡人の前に有無を言わさず突きつけてくるもの。そして時に、「その良さを理解できるかできないか」により、「センスがある・ない」とふるいにかけてくるような存在でもある。
彼女が「仕事としての音楽」を説明する言葉には、そういった作者優位な姿勢を一切感じなかった。いわゆる一般的な労働者と全く変わらない「お客さんの要望に応えた仕事をしてお給料を頂く」という姿勢を感じる。その真摯な姿勢から、クライアントからの様々な条件を満たした作品が生まれ、私達に毎回新しい驚きを与えてくれているのだろう。
彼女は「プロデュースをメインにやっていきたいので、自分が歌う必要はもうないんじゃないか」という旨の発言もしている。表舞台で歌う彼女を見続けたいという気持ちはあるが、その発言の意図は少し分かる気がする。「自分の手掛ける仕事のピースに、自分よりもふさわしい声や存在を見つけてしまったら、そちらを使ってベストな作品に仕上げるべき」という考えなのではと推測している。
彼女の他者をプロデュースする能力もまた凄まじい。「鶏と蛇と豚」MVのAYA SATO、「獣行く細道」の宮本浩次、「放生会」収録のコラボ楽曲及びそのMVを見るに、他者の持つ素材、時にはまだ誰も見たことのない魅力を最大限に生かした当て書き楽曲やMV(児玉裕一監督の力もあるが)の制作能力には目を見張る。
そんな彼女の偉大な仕事と自分の些末な仕事を並べるだなんて、と恐れ多い気持ちはあるものの、彼女はそんな卑下を望まないんじゃないかと思う。
我々の仕事にも顧客がいる。求められているから仕事が発生して、代金が支払われて、賃金が発生する。必要な任務を遂行して、誰かの生活を良くするという意味では彼女と同じと言えるのではないだろうか。
彼女のストイックで実直な仕事から得たエネルギーで、私も誰かの生活に少しでも貢献する仕事ができればと思っている。
ここまで5つの記事に渡って、私が最も憧れ、影響を受けた人物、椎名林檎について語ってきた。
いつかは彼女について書かなくてはと思いつつ、「中途半端な記事を書いて自分の想いが中途半端だと思われたくない」とグズグズしていた。今回じっくり時間をかけて椎名林檎についての一連の記事を完成させたことにより、なぜこんなに椎名林檎が好きなのか、自分の人生にどのような影響を及ぼしてきたのかを整理できた。とても良い機会だった。
椎名林檎にはまった人生を幸せだと思う。これからも存分に彼女に影響されて、もがいたり戦ったり楽しんだりしながら生きていこうと思う。