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つーちゃんの赤いメガネ 【勝手にリレーエッセイ2023春 #3】

 こんにちは。「勝手にリレーエッセイ2023春」グループB第三走者の潮永三七萌です。

▼第二走者様のエッセイはこちら


 今回のテーマは「有意義で無意味」

 イトーさんの、「あの瞬間は有意義に見えたけど、いま振り返ると無意味だったなぁ。でも、無意味なものにこそ何らかの意義があるなぁ、と思える青春時代のような文章を求めています」というテーマ説明に沿ってネタを色々と掘り起こしてみました。

 書いててとっても楽しかったです!

 ではどうぞ!



 つーちゃんという友達がいる。高校の同級生の女の子だ。

 高校1年の時に同じクラスで、つーちゃんは赤いフレームのメガネを掛けていた。私は緑のフレームのメガネを掛けていた。

 ある日、ふざけてメガネを交換してみるとお互いの度数が近く、少し違和感はあったものの問題なく周囲を見ることが出来た。
 赤のフレームと緑のフレームは目立つので、周囲から「えーいつもと違う。なんか変」と笑われ、お互いの姿を見て「新鮮だね」と笑い、ひとしきり盛り上がった後、メガネをお互いに返却した。

 その日から私達は、度々休み時間にメガネを交換しては周囲を無駄にぐるぐると見回し、お互いの顔を眺めて笑うようになった。

 何度か繰り返すうちに私はつーちゃんの赤いメガネに慣れ、私の緑のメガネを掛けたつーちゃんの顔に慣れ、交換しっぱなしでもお互いのメガネに違和感を感じなくなるほどになった。

 そしてある日帰宅すると、母から「メガネ変えたの?」と言われた。

 つーちゃんの赤いメガネを掛けたまま、私は帰宅してしまったのだ。
 それほどまでに、私はつーちゃんのメガネを掛け慣れてしまっていたのだ。

 慌ててつーちゃんに連絡しようと携帯を見たら、つーちゃんからメールが来ていた。お互いの家の中間地点の駅のホームで待ち合わせることになり、私は家を飛び出した。

 下北沢駅の京王井の頭線ホームへ出ると、つーちゃんがすぐに気づいて駆け寄ってきた。
 つーちゃんは「ごめん!潮永氏!ごめん!」と叫び、私も「ごめん!」と言いながら走った。

「私が気づけば」「いや私が気づけば」と自分の責任であることを主張し合っているうちに、どちらからともなくなぜか泣けてきた。
 夕方の混雑するホームで、二人は号泣しながらメガネを念入りにメガネ拭きで拭いた。

 そしてメガネをお互いに返却しながら、「もうメガネを交換して遊ぶのはやめよう」と固く誓い合った。

 何度も掛けたつーちゃんの赤いメガネには既に愛着が湧いていた。他人のメガネの度数がここまで自分に一致することもそうそうないだろう。
 だからもう二度とつーちゃんとメガネを交換できないことには、帰りの電車で物寂しさを感じていた。

 しかし後から考えてみると、そこまでお互いのメガネに違和感を感じないのなら、次の日も学校で会うのだから翌朝までお互いのメガネを持っていれば良かったのだ。

 しかし、「一刻も早く返さなければ。人の大事なメガネを奪って持って帰ってしまった」というあの罪悪感と危機感を、私と同じ激しさで感じて共に号泣したつーちゃんには何か、運命めいたものを感じる。
「真面目過ぎるよ」「考え過ぎだよ」と言われることに気まずさを感じていた私が、同じレベルの真面目過ぎに出会えたことに、私はじんわりと喜びを感じる。

 それをこの、「メガネパクリ事件」は気づかせてくれたのだ。

 この経験は大変有意義だ。

 つーちゃんとは、高校卒業以来会っていない。

 大阪の大学へ進学し、そこで元気に過ごしているという情報を昔Facebookで見たきりだ。

 今どうしているかな。覚えているかな。











 という話は、全部嘘です。

(1246字)



【勝手にリレーエッセイ2023春“無意味”】

おつぎは…

2023年5月1日(月)、グループB第四走者『じゃむむ』さん。

<あとがき>

 一行目の「つーちゃんという友達がいる」から嘘です。存在しません。
 100%嘘です。神に誓って、ここに書いた全てが嘘です。


 すみませんでした。

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